たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組『MESSIAH』_思い出し日記(2)

2018年10月21日 19時24分18秒 | 宝塚
秋晴れの日曜日、ようやく7時間半ほど眠ることができました。あと3週間と一日、どこまでいってもきびしい最後の最後まできつい仕事をしながら、静かに引っ越しの準備をしなければならずほんとにやれるのだろうかと不安ですが、1年ぶりにカウンセラーの先生とお会いしおそいお昼を御馳走になりました。またきっとお会いできると信じながらお別れ。ちっそくしそうな部屋に帰りたくなくってまたカフェに寄り道しています。スマホを写真を撮るはいいものの整理できないまま次々とたまっていく一方ですが、少しずつ整理しながらやっていこうと思います。

 花組、東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイングの余韻さめやらぬまま、翌日からなにやら裏で色々ありそうなニュースが流れて、ネットには色々な書き込みがあって、うーん、20年前も今だったらこうして色々と言われそうなことはあったよなあなんて思いめぐらしています。トップになることだけが全てではなくて、トップになれるだけの華も実力もありながらめぐりあわせでトップにはならなかった?なれなかった?けれど鮮烈な場面を心に残してくれた娘役さんは何人もいらっしゃるのは事実。下級生がトップスターの相手役に抜擢されていき、もうトップになることはないのかなと思われていた娘役さんが9年目とか14年目とかでトップに選ばれて嬉しかったのも事実。作品数は少なくても確かな実力で舞台に軌跡を残してくれたのは事実。若くしてビジュアル抜群で実力が追いつかないままトップスターの相手役に抜擢されて、相手役に育てられながら花開いていき軌跡を残してくれたり、今や東宝の舞台で大活躍だったりする娘役さんがいるのも事実。百パーセント誰もが納得できることはないし、どうしてなんだろうって思うことがあるのは20年前も今も変わらない。今だったらSNSで色々なことを言われてしまうんだろうなあっていう方は何人もいらっしゃる。あとは好みかなあ。わたし、紫苑ゆうさん苦手でした。苦手でしたが宝塚らしい男役の美学をみせてくれて素敵な舞台人だったと思います。音楽学校で教えていた時期もあったみたいなので、彼女に教えられた生徒さんたちは幸せだと思います。好みじゃないけど納得の素晴らしさ。そういうこともあります。花組の次回公演の先行画像は、なかなかは理解が追いつかずでまだまだ終わったばかりの舞台にひたっていたい。


 あらためて、『MESSIAH』。天草・島原の乱でただ一人生き残った柚香光さん演じるリノ(南蛮絵師山田祐庵の洗礼名)が将軍徳川家綱に江戸城へ呼ばれて四郎たちキリシタン一揆群のことを語るというかたちで物語は展開していきました。そうとわかって観た東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイングは、鈴木からの矢文でリノが苦悩していることを知った四郎が、自分たちが生きて助かることはできないと悟り、地下牢に閉じ込めたリノを、生きて自分たちのことを未来に語り継いでほしいと託しリノを逃す場面、涙、涙でした。ただ一人生き残ったという十字架を20年間背負い続けてきたリノが将軍の前に跪く姿、その背中に苦悩が滲んでいるようで、柚香さん、いい芝居をされるようになったなあと思いました。舞台の上で人が苦悩する姿こそ、観るものの心を捉えますね、その姿がなぜか美しく感じられます。不思議なものです。柚香さん、トップとして舞台を背負っていけるようになるまでにはまだまだ伸びしろがあると思います。まだぎこちない感じが役所の印象にプラスに働いている感はありますが、さらなる成長を期待したいです。

 17世紀、天草・島原の乱が起こったのが1637年、南蛮のオランダでフェルメールが生れたのが1632年、交易が栄え、手紙がさかんに交わされるようになった時代でした。実在の人物、リノがフェルメールの絵に出会ったことはさすがになかったかな、どうだったのでしょうか。倭寇として東シナ海で暴れていた四郎が、リノの洞窟にある南蛮絵を観た時、マカオで見かけたことがあるっていう時のワイルドさがいい感じでした。空を頼りに天気を読みながら大海原を渡り暴れまくっていた姿が想像できるような台詞回し、ちょっと贔屓目すぎるかもしれませんがさすがだと思いました。

 明日海りおさん演じる四郎が、天草の人々が神を信じ、いつかハライソに行けると信じる姿に、死んでから天国に行くのか、生きているあなた方を救えない神が死んでからあなた方を救ってくれるのか、というような場面をいうところがありましたが、妙に共感しました。その四郎が、神は天の彼方にいるんじゃない、みんなの心の中にいるんだ、っていう場面はクリスチャンの方がきいたらものすごく沁みてくる場面なのかなと思いました。四郎からそんな言葉が出てくるまでの流れが脚本としては弱い印象を否めなかったので一回だけだとなかなかしっくりとこないところもあったのですが、ライブビューイングの時なんだかすごく沁みてきて、これもまた演出家の描きたかったことなのかなと。なんだか言葉足らず過ぎて全く上手く書けていませんが、流れは今一つですが、場面場面なかなかにじわじわとくる台詞が多かったのです。脚本が掲載されている「ル・サンク」、やっぱり買おうかな。かつてはプログラムに掲載されていましたが今は「ル・サンク」になっていました。

 思いつつくままに、断片的にまた書いてみました。時間切れとなってきたのでこれにて。


 9月26日の東京宝塚劇場にて。