たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2013年『ラファエロ展』_「大公の聖母」

2019年05月07日 18時56分15秒 | 美術館めぐり
2013年3月2日から6月2日まで上野の国立西洋美術館で『ラファエロ展』が開催されました。
わたしは5月17日(金)に訪れました。


ラファエロ・サンツィオ《大公の聖母》
1505-06年
油彩/板 
84.4.×55.9cm
フィレンツェ、パラティーナ美術館

「「大公」とは、ハプスブルク家に連なるトスカーナ大公フェルディナンド3世のことである。18世紀末、ナポレオン軍がフィレンツェに侵攻した頃にこの作品を購入したフェルディナンド公は、亡命先にも伴うほどこの作品を大切にし、生涯にわたって寝室に飾っていた。黒一色の背景は後世に塗りつぶされたもので、もとは、窓のある室内空間が描かれていた。準備素描の段階では、楕円形の画面が試みられていた。」
     (公式カタログより)

           
「見る者を静寂の時に引き込む人間的な聖母

 漆喰の闇に溶け込むように描かれる聖母子。ラファエロの筆は、人物と背景との境が曖昧になるように、丹念にぼかしている。はっきりとした輪郭がないゆえに、かえって二人の肌の柔らかさとぬくもりまでが見る者に伝わるようだ。目をそっと伏せて立つ聖母の典雅な姿は、私たちを深い静寂の時に引き込んでいく。」

(『西洋絵画の巨匠‐ラファエロ』、2009年6月16日小学館発行より)



週刊 西洋絵画の巨匠 19 ラファエロ (小学館ウイークリーブック)
小学館
小学館







 わたしがルーヴル美術館で出会ったのは「聖母子像」。ダヴィンチの絵は緊張し過ぎて無理だけど、ラファエロの絵は部屋に飾りっておきたくなるような優しさがあるという現地ガイドさんのお話でした。

2017年9月3日記事;旅の思い出写真_ルーヴル美術館_ラファエロの聖母子像
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9661f4fe421407e5149569df556f1aae


それでも笑顔でいよう

2019年05月07日 18時21分31秒 | 日記
 10連休明けの火曜日、ハロワとつまならいけど金銭がかかっている用事をすませるため、花組の東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング以来の電車に乗り郷里近郊の繁華街へお出かけ。都心に比してはるかに人口密度が低いのに慣れず、相変わらずとってもへんな感じです。一人一人がすごく視界に入ってきてしまうのがいやでたまりません。最寄り駅から乗った電車、二両ほどの車体一面にガルーダ・インドネシア航空の広告が出ていたのを見て13年間も働いた末、使い捨て同然にされた大会社のことをまざまざと思い出してしまいました。わたし自身は一度もインドネシアに行ったことありませんが、成田空港⇔ジャカルタ間の搭乗券の半券と空港までの荷物手配の申込書をほぼ毎日のように見ていました。パソコン使えないおじさんやおじいちゃんの海外出張精算を替わりにやっていたので誰よりも熟知していました。13年間もいましたからね体にまだ沁みついているようです。たしか毎日11時過ぎぐらいに、ジャカルタ行のJALとガルーダインドネシア航空のコードシェア便が出ていたと思います。今も同じなのかしら、もう成田空港のフライト情報をネットでみることもありません。濃いブルーの半券を懐かしさと悔しさ入り混じりで思い出した次第。わたしをいいように使ってきた人たちはみんな最後は保身に走りわたしを見捨てました。今も悔しいといえば悔しいです。わたしを取材した通信社の記者さんは自分が同じ状況におかれたら、会社に焼き討ちに行くだろうって言いました。冷静にみたときにそれぐらい悔しいことだったろうと思います。それでも、それでも、「人生にイエスと言う」、ユダヤ人収容所の中で極限状態にあっても人生を肯定したフランクルの言葉を思い出しました。「希望を失わなかった人たちが生き延びた」。更新とまっています。自分のブログから久しぶりに読み返しました。励まされるとかそういうことではないです。そうして精一杯生きた人たちがいたという事実をかみしめます。


2015年7月2日記事;『夜と霧』より_なにかが待つ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d9adf7e3eaf2dcca9f9ef5b4ea774370


 家にいる限りにおいては家賃負担ないし餓死することも孤独死することもありませんが貯金はまたまた目減り。それでも家賃を払わなくてもいいだけ気持ちは楽なので自分の感性を信じて一歩一歩進んでいくほかないと思います。本命の作文の試験に先んじて呼ばれてしまった面接試験、行くだけ行って正直に援助職の求人にも応募していることを話すことにしました。電車代だけで往復1,500円ほどかかりますが夕方だし一度行っているのでプレッシャーは少ないです。出来レースなのか否かよめません。無駄足の可能性も高いですが辞退するための言い訳を考えて連絡する大変さと背中合わせだし、この先またどこでつながりがあるかわからないのであとくされがないようにしたいです。気になるんだったら、後悔するよりは行った方がいいとの結論。土曜日の朝はプレッシャー。慣れない鉄道網を使って二回乗り換えなければなりません。表示がわかりにくいこと、わかりにくいこと。はるかにはるかに規模が大きい都心よりもわたしには大変です。だって九段下とか永田町なんて地下鉄から地下鉄へ乗り換えのにものすごく長いエレベーターをのぼってのぼってさらに動く歩道を歩いたりとか、移動距離と時間はとんでもなくかかり、歩く距離は半端ない。平日の昼間でもすごくたくさんの人たちがいます。出口もいっぱいあって間違えると大変なことになります。それでも表示がきちんとあるのでその通りにいけば迷わないんですね。そんな規模でもなんでもない、出口だって少ないのにおかしいですね、わたしには複雑でわかりづらくって大変。もし時間に行けなくても人生は終わらないと自分に言い聞かせています。


 前職で一緒だった、わたしより先に契約終了を待たず他の就労先へと移った女性に半年ぶりでラインを送ったら4月からまた大きな事業体で援助職としてあらたに働き始めたとのこと。任用資格だけなのでこれからわたしと同じ国家資格をとるために通信教育で勉強もするつもりとのこと。わたしより少し年下で経験は1年半ぐらいと同じ。わたしと同じように短い間にまた書類作成して応募したということになります。すごいファイター。自分と比べるつもりはありませんが励みにはなります。1年半ぐらいの経験ってどうなんだろうと思っているのですが、それだけ生きるということ。郷里近郊はそれ以前に車を運転できないと身動きとれないとわかるまでに2カ月ほど寄り道をしてしまっただけ。ただ待たされた三週間の日々は辛かったですが今さら蒸し返しても過ぎた時間は戻ってこないのでやめましょう。まずは明後日の午後、その前に明日は3時までに銀行の窓口に行かねば・・・。危ない危ない郷里の暮らし。考え始めれば色々と悔しいですが、とにかく無事に生き延びていけばやり直しの時は訪れると信じてみます。それにしても、ペーパードライバーでもご本人様確認として免許証がないと生きていけないですね、手放せないです。パスポートは自分で住所書くので弱い時があります。免許証必須・・・。