眠剤にたよっても明るくなるまで寝つくことができず、夏至に向けて陽がどんどん長くなってきていることもあり不眠に陥っています。就活という言葉がなんだかすごくいやで自分の中で居場所探しと称していますが、帰郷してから六カ月、疲れました。不安と緊張で心身のエネルギーがものすごく削がれます。どう転んでも苦しい、不安ばっかりで少しも嬉しくありません。これが自分にとっての正解なのか、これ以上もたないところまで追い込まれているのだから合格通知が届いたとしても不確実性が高い道に賭けるよりも確実な道を選ぶの当たり前じゃないか、やってみないと分からないからやってみたけどいくつも同時にやるのも疲れました。昨日の自分のダメさを洗い流せるまでにはまだしばらく時間が必要みたいです。ましてや働いたことのない地域でこんなことはもういや。
『鎌足-夢のまほろば、大和し美し-』、当て書きって座付き作家と役者とで作り上げていくものなんだなあとあらためて思いました。史実として今の世に伝わっていることが少ない分、虚と実のすき間をほぼ想像力でうまく埋めた脚本。鎌足はヒーローではありませんでした。ものすごくカッコ悪かった。入鹿を討ったことで斉明天皇から恨まれ、斉明天皇の讒言により中大兄皇子に逆らうことができないまま、入鹿打倒に協力した石川麻呂を謀反の動きありとして討ち取り、石川麻呂の娘を妻としている軽皇子(孝徳帝)の夭逝も鎌足の謀略によるものであった、さらに軽皇子の子である有間皇子も討ち取らざるを得なかった、中大兄皇子の即位を脅かす存在を次々と討ち取っていかざるを得なかった鎌足は中大兄皇子へ向けられる恨みを全て背負うこととなり、少年時代に抱いた志を見失い葛藤し続けます。少年時代共に「改新の志」を抱いた入鹿を、鎌足の放った矢が討ち取ったとき、入鹿の残したことば「一度人を斬ったものは自分が斬られるまで斬って斬って斬り続けなければならない」から鎌足は逃れることができなくなります。ストーリーテラーとして登場する歴史書の編纂者恵尺に、ならば死んで歴史から消えるかと迫られると、「与志古を残しては死ねぬ」と這いつくばりながら目を見開く鎌足。紅ゆるさん、切れ長の目元に日本物の化粧がよく似合い、ライブビューイングカメラアップの全てが美しかった。
与志古を妻にすると中大兄皇子に告げられたとき、声をふるわせ「与志古は志の全て」、一番大切なものをとられたくない、だか主君に逆らうことなど許されないと目を見開いて苦悩するときの表情も凄まじかった。鎌足が試されていることを感じ取り、自分が人質として宮中に入らなければ鎌足の立場は危うくなることに気づいた与志古は、鎌足を守るため、こんなにありがたい話はないではないか、「そうでしょ、鎌足」と鎌足を諭し自ら宮中へと入っていきます。宮中に入ってから、「本当に必要なのは私ではなく鎌足様なのではないですか」「私の体に触れることはできても私の心に触れることはできません。この悲しみは、私と鎌足様、二人だけのものです」(ニュアンス)と中大兄皇子に言い放つ与志古の毅然とした姿もまたとてつもなく美しく、『エルベ』を経てすごくいい役者になったと驚きました。与志古を自分の妻にした交換に采女を一人やろうと鎌足に遣わされたのが安見児でした。普通は結婚できない采女である安見児を妻にできて嬉しくないのか、嬉しいだろ、その喜びを歌にしてみろと中大兄皇子に言われて詠んだのが、万葉集にある「安見児得たり~」という設定でした。そうくるのかと唸りました。安見児の星蘭ひとみさんもすごく小顔で美しい娘役さん、与志古を中大兄皇子にとられて「つらい」と絶望しきった表情で言い放つ鎌足に、「采女になったときから感情をもつことは許れずに生きてこなければならなかった、愛することも愛されることもなく生きてきた」(ニュアンス)、「与志古が羨ましい」と。そんな安見児を絶望しきった表情で抱きとめずにはいられない鎌足、心は鎌足にある与志古を抱きとめる中大兄皇子、二組をオーバーラップされる演出もなかなかだと思いました。
入鹿を倒し、新しい時代の幕開けとなったとき、初めて日本に元号が定められました。入鹿打倒に協力し、右大臣となった石川麻呂が最初に開いた巻紙?には「令和」と、次に「千穐楽」と、三枚目で「大化」。さりげなく笑いをとっていました。やっと夫婦になった鎌足と与志古の束の間の平穏な時間、食卓を囲む二人の前に並んだ数々の料理は「唐からきた料理人に作られました、名前はホンとか」と与志古。ここでさりげなく退団公演作の宣伝が入っているのですね。中大兄皇子から祝いにもらった青い瓶に入った酒を青いグラスに注ぐ鎌足の指の長さと仕草の美しいことといったらありゃしない。与志古に鎌足様と呼ばれるのはどうも、じゃあなんて呼んでほしいの? いや、あなたは照れる、いやもう一回あなたって言ってほしいとか、鎌足が切れ長の目がなくなってしまうぐらいの笑顔をみせるデレデレのほのぼの場面、鎌足が与志古さん好き過ぎる幸せ場面でしたが、ほんとに束の間。私は観ることできなかったですが、少年少女の頃入鹿との思い出を与志古が語ると現実を突きつけられた鎌足の表情は一瞬にしてこわばります。自分が背負ってしまったものから逃れることはできないのだと知った鎌足の苦悩の表情もまた秀逸。ライブビューイングのカメラがアップで映し出す目の表情がすごかった。日本物にあわせてアイメイクが美しく、どんな目もすべて鎌足の心情そのもの。
天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した。享年56。 天智天皇8年10月16日(669年11月14日)(ウィキペディアより)
死の前日、杖をつきながら歩く白髪まじりのロマンスグレー、イケオジの鎌足と寄り添う与志古。若き日から晩年までを通してお二人が演じきったのもよかったですね。代々朝廷の祭祀を行う中臣の姓を嫌い別の名がほしかった鎌足、名をあげたかった、ただそれだけだった鎌足なのに気がつけばたくさんの血を流すこととなり、「何も残らなかった」「自分の人生はこれでよかったのか」と問いかけると、与志古が「あなたの志はあとに受け継がれていきますよ」とすべてを肯定してくれます。「悩みました、苦しみました、でも与志古は楽しかった」「共に歩んできたふたりの時間、これでよかったのです」(ニュアンス)と鎌足の人生を肯定してくれます。夕陽のなか、猿岩の前で肩を寄せ合う二人の後ろ姿の美しさよ。星組トップコンビ、どの作品も最後はふたりで手に手をとる幸せな終焉(『エルベ』はすれ違ったけど『エストレージャス』で再会したので・・・)。「不比等には志のすべてを教えました」と天智天皇に告げ、不比等には「父と同じようにではない」「父を超えていけ」と告げる鎌足。不比等は自分が鎌足の子ではないと知っているようでした。言葉にしない互いを思いやる心が行間にあふれているあったかい終盤の場面でした。不比等は平安時代に繁栄をきわめる藤原氏の礎となっていきます。
カーテンコールで副組長の美稀千種さんが如月蓮さんから受け取った巻物?の表には令和最初のトップスター「紅」、裏には「ゆずる」と。紅さん素で笑ってました。二度目に幕が上がると、ここで笑いが起きると思っていましたと紅さんが言ったのは、愛里さんが「紅」をもっていたから。愛里さん、すごく嬉しそうになんども「紅」「ゆずる」をひっくり返しながら交互に客席にみせていました。その姿の可愛いこと可愛いこと、紅さんがそんな愛里さんを嬉しそうに見つめている姿もまた幸せオーラ満開。次の幕が上がった時には紅さん自ら「紅」を持っていました。「稽古場で悩みました、苦しみました、今日の千穐楽を目指して専科のお二人、星組生と共に志をひとつにしてがんばってきました。鎌足を演じきってみて、悩んだり苦しんだり、それを乗り越えた時にこそみえてくる景色がその先にあるのだとわかりました」(ニュアンス)とあいさつ。沁みました。令和は248個目の元号だそうな。「人は生きる。歴史は、作られる」がキャッチコピーでしたが、今私たちが当たり前のように生きているこの時代は決して当たり前ではなく、こうした過去の礎があればこそで時にはそんなことを思い出すことも大切かなって思いました。「次回大劇場は、紅ゆずると綺咲愛里の退団公演、4月29日より組替えとなった舞空瞳と初舞台生8名が加わり総勢88名でお送りします」と副組長。紅さんが尊敬している松岡修造さんの娘さん星組配属だし、88期の紅さんを送る舞台が88名とはどこまでも引き寄せるものをもっていますね、紅さん。「みなさんお腹もすいてきたことと思います。次回はおいしいお料理を食べていただけるようにがんばります。気をつけてお帰りください」と幕が下りても「紅」をみせてくれていました。舞台のラストシーン、黒い束帯の鎌足が一人で歌い最後は笑顔なの、幸せなエンディングでした。
「何も残らなかった」-、私、13年間働いた大会社から使い捨てにされることなったとき、そう思いました。アホみたいにどこまでいっても苦しみながら生きている自分、もがきながら生きている自分、いや生きるっていうことはカッコ悪いことなんだよ、人はそうやって生きているんだよ、それでいいんだよ、カッコ悪い姿こそ美しくて尊いものなんだよ、紅さん率いる星組の舞台はこう言ってくれているように思えて涙が止まりません。『アナワ』『エルベ』に続いて、人って悪くないよ、って思わせてくれるの、救いがあるの。そしてすごくあったかい。頭の中飽和状態で次へとついていけてないけど、幸せなオーラをライブビューイングだけど紅さんからもらったからきっと大丈夫なんだよ、自分。そう信じていくしかない。
如月蓮さんのほんのわずかでしたが、有間皇子の薄幸な少年感、歴史書に紡ぐことしか興味ない『ひかりふる路』のサン・ジュストを思わせるにんまりと冷ややかなた表情の天寿光希さんの恵尺も素晴らしかった。まだまだ書きたいことありますがここらへんで・・・。
(舞台写真はツィッターから拾いました。)
郷里の夏は都心よりも暑い、酷暑の予感・・・。
冷房がどこもきつい・・・。
『鎌足-夢のまほろば、大和し美し-』、当て書きって座付き作家と役者とで作り上げていくものなんだなあとあらためて思いました。史実として今の世に伝わっていることが少ない分、虚と実のすき間をほぼ想像力でうまく埋めた脚本。鎌足はヒーローではありませんでした。ものすごくカッコ悪かった。入鹿を討ったことで斉明天皇から恨まれ、斉明天皇の讒言により中大兄皇子に逆らうことができないまま、入鹿打倒に協力した石川麻呂を謀反の動きありとして討ち取り、石川麻呂の娘を妻としている軽皇子(孝徳帝)の夭逝も鎌足の謀略によるものであった、さらに軽皇子の子である有間皇子も討ち取らざるを得なかった、中大兄皇子の即位を脅かす存在を次々と討ち取っていかざるを得なかった鎌足は中大兄皇子へ向けられる恨みを全て背負うこととなり、少年時代に抱いた志を見失い葛藤し続けます。少年時代共に「改新の志」を抱いた入鹿を、鎌足の放った矢が討ち取ったとき、入鹿の残したことば「一度人を斬ったものは自分が斬られるまで斬って斬って斬り続けなければならない」から鎌足は逃れることができなくなります。ストーリーテラーとして登場する歴史書の編纂者恵尺に、ならば死んで歴史から消えるかと迫られると、「与志古を残しては死ねぬ」と這いつくばりながら目を見開く鎌足。紅ゆるさん、切れ長の目元に日本物の化粧がよく似合い、ライブビューイングカメラアップの全てが美しかった。
与志古を妻にすると中大兄皇子に告げられたとき、声をふるわせ「与志古は志の全て」、一番大切なものをとられたくない、だか主君に逆らうことなど許されないと目を見開いて苦悩するときの表情も凄まじかった。鎌足が試されていることを感じ取り、自分が人質として宮中に入らなければ鎌足の立場は危うくなることに気づいた与志古は、鎌足を守るため、こんなにありがたい話はないではないか、「そうでしょ、鎌足」と鎌足を諭し自ら宮中へと入っていきます。宮中に入ってから、「本当に必要なのは私ではなく鎌足様なのではないですか」「私の体に触れることはできても私の心に触れることはできません。この悲しみは、私と鎌足様、二人だけのものです」(ニュアンス)と中大兄皇子に言い放つ与志古の毅然とした姿もまたとてつもなく美しく、『エルベ』を経てすごくいい役者になったと驚きました。与志古を自分の妻にした交換に采女を一人やろうと鎌足に遣わされたのが安見児でした。普通は結婚できない采女である安見児を妻にできて嬉しくないのか、嬉しいだろ、その喜びを歌にしてみろと中大兄皇子に言われて詠んだのが、万葉集にある「安見児得たり~」という設定でした。そうくるのかと唸りました。安見児の星蘭ひとみさんもすごく小顔で美しい娘役さん、与志古を中大兄皇子にとられて「つらい」と絶望しきった表情で言い放つ鎌足に、「采女になったときから感情をもつことは許れずに生きてこなければならなかった、愛することも愛されることもなく生きてきた」(ニュアンス)、「与志古が羨ましい」と。そんな安見児を絶望しきった表情で抱きとめずにはいられない鎌足、心は鎌足にある与志古を抱きとめる中大兄皇子、二組をオーバーラップされる演出もなかなかだと思いました。
入鹿を倒し、新しい時代の幕開けとなったとき、初めて日本に元号が定められました。入鹿打倒に協力し、右大臣となった石川麻呂が最初に開いた巻紙?には「令和」と、次に「千穐楽」と、三枚目で「大化」。さりげなく笑いをとっていました。やっと夫婦になった鎌足と与志古の束の間の平穏な時間、食卓を囲む二人の前に並んだ数々の料理は「唐からきた料理人に作られました、名前はホンとか」と与志古。ここでさりげなく退団公演作の宣伝が入っているのですね。中大兄皇子から祝いにもらった青い瓶に入った酒を青いグラスに注ぐ鎌足の指の長さと仕草の美しいことといったらありゃしない。与志古に鎌足様と呼ばれるのはどうも、じゃあなんて呼んでほしいの? いや、あなたは照れる、いやもう一回あなたって言ってほしいとか、鎌足が切れ長の目がなくなってしまうぐらいの笑顔をみせるデレデレのほのぼの場面、鎌足が与志古さん好き過ぎる幸せ場面でしたが、ほんとに束の間。私は観ることできなかったですが、少年少女の頃入鹿との思い出を与志古が語ると現実を突きつけられた鎌足の表情は一瞬にしてこわばります。自分が背負ってしまったものから逃れることはできないのだと知った鎌足の苦悩の表情もまた秀逸。ライブビューイングのカメラがアップで映し出す目の表情がすごかった。日本物にあわせてアイメイクが美しく、どんな目もすべて鎌足の心情そのもの。
天智天皇から大織冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した。享年56。 天智天皇8年10月16日(669年11月14日)(ウィキペディアより)
死の前日、杖をつきながら歩く白髪まじりのロマンスグレー、イケオジの鎌足と寄り添う与志古。若き日から晩年までを通してお二人が演じきったのもよかったですね。代々朝廷の祭祀を行う中臣の姓を嫌い別の名がほしかった鎌足、名をあげたかった、ただそれだけだった鎌足なのに気がつけばたくさんの血を流すこととなり、「何も残らなかった」「自分の人生はこれでよかったのか」と問いかけると、与志古が「あなたの志はあとに受け継がれていきますよ」とすべてを肯定してくれます。「悩みました、苦しみました、でも与志古は楽しかった」「共に歩んできたふたりの時間、これでよかったのです」(ニュアンス)と鎌足の人生を肯定してくれます。夕陽のなか、猿岩の前で肩を寄せ合う二人の後ろ姿の美しさよ。星組トップコンビ、どの作品も最後はふたりで手に手をとる幸せな終焉(『エルベ』はすれ違ったけど『エストレージャス』で再会したので・・・)。「不比等には志のすべてを教えました」と天智天皇に告げ、不比等には「父と同じようにではない」「父を超えていけ」と告げる鎌足。不比等は自分が鎌足の子ではないと知っているようでした。言葉にしない互いを思いやる心が行間にあふれているあったかい終盤の場面でした。不比等は平安時代に繁栄をきわめる藤原氏の礎となっていきます。
カーテンコールで副組長の美稀千種さんが如月蓮さんから受け取った巻物?の表には令和最初のトップスター「紅」、裏には「ゆずる」と。紅さん素で笑ってました。二度目に幕が上がると、ここで笑いが起きると思っていましたと紅さんが言ったのは、愛里さんが「紅」をもっていたから。愛里さん、すごく嬉しそうになんども「紅」「ゆずる」をひっくり返しながら交互に客席にみせていました。その姿の可愛いこと可愛いこと、紅さんがそんな愛里さんを嬉しそうに見つめている姿もまた幸せオーラ満開。次の幕が上がった時には紅さん自ら「紅」を持っていました。「稽古場で悩みました、苦しみました、今日の千穐楽を目指して専科のお二人、星組生と共に志をひとつにしてがんばってきました。鎌足を演じきってみて、悩んだり苦しんだり、それを乗り越えた時にこそみえてくる景色がその先にあるのだとわかりました」(ニュアンス)とあいさつ。沁みました。令和は248個目の元号だそうな。「人は生きる。歴史は、作られる」がキャッチコピーでしたが、今私たちが当たり前のように生きているこの時代は決して当たり前ではなく、こうした過去の礎があればこそで時にはそんなことを思い出すことも大切かなって思いました。「次回大劇場は、紅ゆずると綺咲愛里の退団公演、4月29日より組替えとなった舞空瞳と初舞台生8名が加わり総勢88名でお送りします」と副組長。紅さんが尊敬している松岡修造さんの娘さん星組配属だし、88期の紅さんを送る舞台が88名とはどこまでも引き寄せるものをもっていますね、紅さん。「みなさんお腹もすいてきたことと思います。次回はおいしいお料理を食べていただけるようにがんばります。気をつけてお帰りください」と幕が下りても「紅」をみせてくれていました。舞台のラストシーン、黒い束帯の鎌足が一人で歌い最後は笑顔なの、幸せなエンディングでした。
「何も残らなかった」-、私、13年間働いた大会社から使い捨てにされることなったとき、そう思いました。アホみたいにどこまでいっても苦しみながら生きている自分、もがきながら生きている自分、いや生きるっていうことはカッコ悪いことなんだよ、人はそうやって生きているんだよ、それでいいんだよ、カッコ悪い姿こそ美しくて尊いものなんだよ、紅さん率いる星組の舞台はこう言ってくれているように思えて涙が止まりません。『アナワ』『エルベ』に続いて、人って悪くないよ、って思わせてくれるの、救いがあるの。そしてすごくあったかい。頭の中飽和状態で次へとついていけてないけど、幸せなオーラをライブビューイングだけど紅さんからもらったからきっと大丈夫なんだよ、自分。そう信じていくしかない。
如月蓮さんのほんのわずかでしたが、有間皇子の薄幸な少年感、歴史書に紡ぐことしか興味ない『ひかりふる路』のサン・ジュストを思わせるにんまりと冷ややかなた表情の天寿光希さんの恵尺も素晴らしかった。まだまだ書きたいことありますがここらへんで・・・。
(舞台写真はツィッターから拾いました。)
郷里の夏は都心よりも暑い、酷暑の予感・・・。
冷房がどこもきつい・・・。