たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』より-「デルフトの爆発」(1)

2021年10月16日 08時23分51秒 | 美術館めぐり
エフベルト・ファン・デル・プール《デルフトの爆発》
1654年頃 
個人蔵、
油彩・パネル
33.6× 49.2㎝

(公式カタログより)


「19世紀を通じて、描かれているのはブレダと誤って信じられてきたが、デルフトを北西方向から眺めた図である。左に新教会、中央方向に旧教会、そしてその間に市庁舎の塔が見える。右端の建物は、北の端にある聖ヨーリス病院である。火薬庫の爆発は1654年10月12日、月曜、午前10時30分に起きたが、街の4分の1にあたる北東部分、ヘールフウェフ近くのその後の壊滅状況が描かれている。爆発で火薬庫にあった約90,000ポンドの火薬が焼けた。その影響でヘールフウェフの北、シンゲル・カナルの東に並ぶ家々が破壊された。市内の主たる教会も損傷を受けたが、倒壊することはなかった。爆発現場に残されたものといえば、水のたまった大きな穴だけだった。おそらく本作品の右手前に描かれているのがその池である。その場所は、再建の対象にはならず、後には馬市場として活用された。

 ダニエル・フォスマール、ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト、ヘルマン・サフトレーフェンらがこぞってこの爆発事故の後の状況を描いているが、エフベルト・ファン・デル・プールはその光景の描写を専門とし、繰り返し20回、手がけた。マクラーレンとブラウンがその手の作品の多くをリスト・アップしている。多くは本作品のヴァリエーションだが、何点かは爆発の様子そのものを描いたり、黒焦げになった木と廃墟をより目立たせている。同じ添景を用いたものも少なくない。本作品におけるように犠牲者を強調したり、爆風で地面にたたきつけられた犠牲者を救助したり、走り去る人を入れたり、遺体がそこここに散らばる様子に目を向けたりしている。そうした数え切れないほどの犠牲者の一人が、有名な画家であるファブリティウスだったのだ。ファン・デル・プールもフォスマールもこの不幸を目撃したのかもしれない。実際、ファン・デル・プールはこの悲劇で子どもを一人亡くしている。あった2日後に娘を埋葬しているのだ。ファン・デル・プールのほとんど全部の作品には、爆発の年か、その2日後の年記が入っているが、間違いなく、その後何年も、このよく知られた事故を描き続けた。とはいえ、彼がこのテーマを繰り返し取り上げたのは一種の自己療法の行為だったという説は、時代錯誤の見方としてしりぞけて差し支えない。それは、近代的なショックや悲しみを物語っているのであって、画家が生きていた頃の感性ではないからだ。」

                                      →続く






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