たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

頭おかしい知事たちによる日本破壊がまたひとつ

2024年12月22日 16時20分25秒 | 気になるニュースあれこれ

はあ??どこの国の知事ですか?なんでこうなるの?どっかからたっぷりお金もらってます?

 

2024年12月21日朝日新聞、

宮城県、土葬墓地を検討 インドネシア人材呼び込みのため 知事表明 [宮城県]:朝日新聞デジタル

宮城県は、インドネシアなどイスラム圏の外国人材を労働力として呼び込もうと、土葬できる墓地を県内につくる検討を始めた。イスラム教徒は宗教上の理由で火葬できないが、土葬が可能な墓地は全国で10カ所程度しかなく、切実な問題になってきた。行政主導での設置の動きは珍しいが、ハードルは低くはなさそうだ。

村井嘉浩知事は10月の県議会で質問に答え、「イスラム教団体にヒアリングをし、全国の土葬墓地を調査したうえで、県内での実現に向け検討したい」と述べた。

 担当課によれば、県営墓地を設けることや、既存の市町村営・民営墓地で土葬できるよう働きかけることなどが、考えられるという。

 県は昨年、技能実習生や特定技能労働者にもっと来てもらおうと、インドネシア政府と人材送り出しに関する覚書を締結。将来は、定住する人の増加が見込まれるとして、「安心して暮らせる環境を整える」ことになった。

 日本では土葬を禁じる法律はないが、条例などで事実上認めない自治体が少なくない。県内でも、イスラム教徒らが自治体に土葬墓地新設を相談したことはあったが、周辺環境に影響を及ぼさないか、近隣住民の合意を得られるか、といった条件が壁になってきた。亡くなった場合、遠方の土葬可能な墓地まで運んだり、遺体を故国に空輸するなどしていたという。

 国内で土葬可能な墓地のうち、公営は東京都立多磨霊園と神戸市立の外国人墓地がある。ただ、多磨霊園は新規区画の募集はなく、神戸も市内に在留する外国人に対象を限っている。ほかは民間の墓地だが、東北にはなかった。県の担当者は今月から、各地の土葬墓地を視察に回っている。」

 

 


埼玉県議会で自民党が主導してインボイス廃止求める意見書を可決

2024年12月22日 10時42分31秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年12月21日朝日新聞、

インボイス廃止求める意見書、自民県議団が主導し可決 埼玉県議会(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

「埼玉県議会で20日、自民党県議団などがインボイス(適格請求書)制度の廃止を求める意見書案を提出し、賛成多数で可決された。経理事務などが小規模事業者に過大な負担となっていることや、国の支援措置が不十分なことなどを提出理由に挙げている。自民は党として制度導入を推進してきただけに、埼玉の動きは波紋を呼ぶ可能性がある。

 賛成したのは自民のほか、民主フォーラム、共産、改革の各会派と無所属の3人。意見書提出を主導した自民県議団の白土幸仁政調会長は本会議後、「中小企業の負担は政府が思っている以上に大きい。政府への批判ではなく、地方の声を届けるべきだという判断だ」と賛成の理由を述べた。  

意見書では、エネルギー価格や原材料費の高騰によって小規模事業者などの経営は厳しさを増していると指摘。インボイス制度にかかる負担を求めることができる状況にないとして、「経営の持続化や県内の経済活性化の重要性を考えると、制度そのものを廃止することが最良の策と言わざるをえない」としている。」

 

この動きが全国にひろがってほしい。

一丁目一番地は消費税廃止、消費税を廃止すればインボイス制度もなくなる。

2024年12月21日安藤裕チャンネル、

(59) 【12月21日21時ライブ】税制改正、103万円の壁、2025年度予算【毎週土曜日21時ライブ】 - YouTube

 


2009年ルーヴル美術館展より‐「6人の人物の前に現われる無原罪の聖母」

2024年12月22日 10時25分12秒 | 美術館めぐり

バルトロメ・エステバン・ムリョーリョ

(1617-1682)

《6人の人物の前に現われる無原罪の聖母》

1662-1665年

油彩、カンヴァス

172×298cm

(公式カタログより)

「スペイン「黄金の世紀」の画家で、最も頻繁に版画化されてきたムリョーリョの作品には2系列がある。ひとつは、いささか胸を締め付けるような思いを喚起する路上の貧しい子供たちを描いた風俗場面で、他は宗教画である。ルーヴルのこの作品はムリョーリョのふたつ目の系列を代表する作品である。この堂々たる作品がサンタ・マリア・ブランカ教会に置かれていたことを想像しなければならない。カトリックの対抗宗教改革によって発せらえた綱領によれば、神聖な者は我々の近くに現われる。この絵を見る者と聖母との関係は、画面左前掲の人物たちによって確かなものにされている。その中の後ろ向きに描かれている男の手は、神の空間と人間のそれとの移行を示している。聖母は華奢な乙女として描かれ、跪くような仕草で、三日月の上に身体を置いており、魂の高揚をかき立てるに相応しい表現となっている。とはいえ、この近接は相対的なものでしかない。雲のあいだを舞う天使たちは巻物をもっているが、そこには「最初より神は聖母を愛された」という銘文がラテン語で書かれており、聖職者だけが説明できるものだからである。

 17使役、聖母の「無原罪」という性格は、原罪の打撃からも神は聖母をお守りになったという信仰を意味している。この考え方と聖母の身体にイエスが宿ったという奇跡の懐妊とを混同してはならない。

 信者への「神の顕現」が流行したことをよく示すこの作品は、「黄金の世紀」においてカトリック教会によって注文された偉大な宗教装飾がどのようなものであったかをよく示す作例でもある。また、この作品は輝かしい神が人間世界に干渉するという超自然の場面を描く作例でもある。画面が神聖なもので満たされていることは、半透明でオレンジ色のケルビムが空一面に群れていることから示され、他方、信者の空間は遠近法的規則を尊重している。この画面は当時の典型的なものと言ってよいが、過去の遺産を継承している部分も考えるべきだろう。西欧文化において、最初に神的なものの顕現の形象化を展開したのはキリスト教世界ではなく、古代なのである。」