たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組『MESSIAH』_思い出し日記(2)

2018年10月21日 19時24分18秒 | 宝塚
秋晴れの日曜日、ようやく7時間半ほど眠ることができました。あと3週間と一日、どこまでいってもきびしい最後の最後まできつい仕事をしながら、静かに引っ越しの準備をしなければならずほんとにやれるのだろうかと不安ですが、1年ぶりにカウンセラーの先生とお会いしおそいお昼を御馳走になりました。またきっとお会いできると信じながらお別れ。ちっそくしそうな部屋に帰りたくなくってまたカフェに寄り道しています。スマホを写真を撮るはいいものの整理できないまま次々とたまっていく一方ですが、少しずつ整理しながらやっていこうと思います。

 花組、東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイングの余韻さめやらぬまま、翌日からなにやら裏で色々ありそうなニュースが流れて、ネットには色々な書き込みがあって、うーん、20年前も今だったらこうして色々と言われそうなことはあったよなあなんて思いめぐらしています。トップになることだけが全てではなくて、トップになれるだけの華も実力もありながらめぐりあわせでトップにはならなかった?なれなかった?けれど鮮烈な場面を心に残してくれた娘役さんは何人もいらっしゃるのは事実。下級生がトップスターの相手役に抜擢されていき、もうトップになることはないのかなと思われていた娘役さんが9年目とか14年目とかでトップに選ばれて嬉しかったのも事実。作品数は少なくても確かな実力で舞台に軌跡を残してくれたのは事実。若くしてビジュアル抜群で実力が追いつかないままトップスターの相手役に抜擢されて、相手役に育てられながら花開いていき軌跡を残してくれたり、今や東宝の舞台で大活躍だったりする娘役さんがいるのも事実。百パーセント誰もが納得できることはないし、どうしてなんだろうって思うことがあるのは20年前も今も変わらない。今だったらSNSで色々なことを言われてしまうんだろうなあっていう方は何人もいらっしゃる。あとは好みかなあ。わたし、紫苑ゆうさん苦手でした。苦手でしたが宝塚らしい男役の美学をみせてくれて素敵な舞台人だったと思います。音楽学校で教えていた時期もあったみたいなので、彼女に教えられた生徒さんたちは幸せだと思います。好みじゃないけど納得の素晴らしさ。そういうこともあります。花組の次回公演の先行画像は、なかなかは理解が追いつかずでまだまだ終わったばかりの舞台にひたっていたい。


 あらためて、『MESSIAH』。天草・島原の乱でただ一人生き残った柚香光さん演じるリノ(南蛮絵師山田祐庵の洗礼名)が将軍徳川家綱に江戸城へ呼ばれて四郎たちキリシタン一揆群のことを語るというかたちで物語は展開していきました。そうとわかって観た東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイングは、鈴木からの矢文でリノが苦悩していることを知った四郎が、自分たちが生きて助かることはできないと悟り、地下牢に閉じ込めたリノを、生きて自分たちのことを未来に語り継いでほしいと託しリノを逃す場面、涙、涙でした。ただ一人生き残ったという十字架を20年間背負い続けてきたリノが将軍の前に跪く姿、その背中に苦悩が滲んでいるようで、柚香さん、いい芝居をされるようになったなあと思いました。舞台の上で人が苦悩する姿こそ、観るものの心を捉えますね、その姿がなぜか美しく感じられます。不思議なものです。柚香さん、トップとして舞台を背負っていけるようになるまでにはまだまだ伸びしろがあると思います。まだぎこちない感じが役所の印象にプラスに働いている感はありますが、さらなる成長を期待したいです。

 17世紀、天草・島原の乱が起こったのが1637年、南蛮のオランダでフェルメールが生れたのが1632年、交易が栄え、手紙がさかんに交わされるようになった時代でした。実在の人物、リノがフェルメールの絵に出会ったことはさすがになかったかな、どうだったのでしょうか。倭寇として東シナ海で暴れていた四郎が、リノの洞窟にある南蛮絵を観た時、マカオで見かけたことがあるっていう時のワイルドさがいい感じでした。空を頼りに天気を読みながら大海原を渡り暴れまくっていた姿が想像できるような台詞回し、ちょっと贔屓目すぎるかもしれませんがさすがだと思いました。

 明日海りおさん演じる四郎が、天草の人々が神を信じ、いつかハライソに行けると信じる姿に、死んでから天国に行くのか、生きているあなた方を救えない神が死んでからあなた方を救ってくれるのか、というような場面をいうところがありましたが、妙に共感しました。その四郎が、神は天の彼方にいるんじゃない、みんなの心の中にいるんだ、っていう場面はクリスチャンの方がきいたらものすごく沁みてくる場面なのかなと思いました。四郎からそんな言葉が出てくるまでの流れが脚本としては弱い印象を否めなかったので一回だけだとなかなかしっくりとこないところもあったのですが、ライブビューイングの時なんだかすごく沁みてきて、これもまた演出家の描きたかったことなのかなと。なんだか言葉足らず過ぎて全く上手く書けていませんが、流れは今一つですが、場面場面なかなかにじわじわとくる台詞が多かったのです。脚本が掲載されている「ル・サンク」、やっぱり買おうかな。かつてはプログラムに掲載されていましたが今は「ル・サンク」になっていました。

 思いつつくままに、断片的にまた書いてみました。時間切れとなってきたのでこれにて。


 9月26日の東京宝塚劇場にて。

 
 

月組『エリザベート』

2018年10月20日 20時35分27秒 | 宝塚
 昨夜はなんとか6時間半ぐらいの睡眠からの土曜日、無事にマンション引き上げられるかなとか、あと三週間の仕事がきついな、気が重いことばかりだなって頭の中をよぎりながらも、開演して集中しているとあっという間でした。宝塚の『エリザベート』を生で観劇するのは20年ぶり。宙組のずんこさんトート以来、あの時は1000Days劇場でした。久しぶりに宝塚の『エリザベート』をみたぞ!っていう感じでした。1日に宝塚大劇場の千穐楽ライブビューイングをみているのでちょっと変な感じでした。こうして本拠地でサヨナラショーを終えたあと、東京の劇場でさらなる舞台をみているのだと実感しました。指揮は西野淳先生。花組千穐楽から一週間とあかずにハードなスケジュール。二階席だと銀橋にスポットライトがあたったとき生徒さん越しに先生の背中もよくみえるし、暗がりの中でもけっこう先生の背中もオペラグラスで追ってしまいました。気がついたら前に乗り出し気味になってしまいうしろの席の方に迷惑かけてしまったみたいです。すみませんでした。先生の背中も生徒さんの全身も観ようと思うと乗り出し気味ならないと観えなくって、失礼しました。ライブビューイングの時にも思いましたが、オーケストラも舞台の一部、指揮者の先生と生徒さんたちは呼吸を合わせながら一緒に舞台をつくっているのだと、生演奏ならではの醍醐味であり、贅沢なことなのだと。場面場面によって指揮者の動きも大きくなったり、小さくなったり、全身で動いたり、手先だけだったり、一緒に作品の時間を生きているのだと。全編歌なのでずっと演奏は続きます。オーケストラボックスも一瞬の気を抜くこともなく、演奏し続けているわけで、東宝『エリザベート』は、オーケストラメンバーに参加するとすごくエネルギーを削がれるという声を読んだことがありますが宝塚はどうでしょうか。いずれにしろ神がかり的な楽曲の数々。再演を繰り返しながらも演出はほとんど変わらず、フィナーレのロケットダンスの衣装と振付、トップスターのソロダンスからの男役群舞のダンスの振付も初演からほとんど変わっていないかな。フィナーレを観ると、宝塚のエリザベートを観たぞっていう、懐かしい感覚。それでも演者が違えば新しい作品に出会ったような感覚もありました。あとシシィが「私だけに」を歌い終わろうとする頃、盆が回ってベッドが下りた後のセリがふさがりドライアイス?の中をトートがせり上がってくるところも宝塚のエリザっていう感じで大好き。

 ライブビューイングをみているので顔は見分けやすかったです。専科の方が出演していないので若い『エリザベート』でした。珠城りょうさんトートがまず歴代の中で一番若いトート、生命力のあるトートだと感じました。マックスパパは、『雨に唄えば』で女役さんを演っていた輝月ゆうまさん、男役で髭をつけるとかなりのイケメン。歴代一番若いパパ役ではないでしょうか。ママのルドヴィカもリヒテンシュタイン伯爵夫人も若いと思いました。愛希れいかさんは元気印のお転婆シシィ、木登りの場面、ライブビューイングの時はべぇってやっていたの今日はなかったかな、身体能力が高い方なんでしょうね。ほんとに木登りしそうな勢いでした。できちゃうんじゃないかっていうパワフルさ。それじゃあシシィじゃない、エリザベートじゃないじゃないかっていう向きもあるかと思いますが、それぞれの『エリザベート』、わたしの中ではいいんじゃないかって、面白いじゃないかって思いました。初演の時は今振り返ると衣装代もそれほどかかっていなかったのかな。トップスターが退団で死神をやることを受け入れられなかったし、劇団の予算も限られていたって一路さんがどこかで話されていたと思います。鬘と衣装のバリエーションは格段に進化しました。珠城さんトート、鬘にも衣装にも緑が使われていたのがよくお似合いでした。彼女が本来持っている娘役を包み込む包容力が、最後にようやく自分のもとにやってきたシシィを抱き留めるときにうまく滲み出ていたように感じました。フィナーレのデュエットダンス、愛希さんの動きとポージングがすごく美しくて素敵でした。美弥るりかさんのフランツ、わたしの中で高嶺ふぶきさんと甲乙つけがたい、優しくて嫁と姑の間に挟まれて苦悩する旦那さん像。軍服の立ち姿が美しい方だと思いました。月城かなとさんのルキーニは、作品世界と客席とのつなぐルキーニとしてはまだ弱いかなと感じました。すっごい美人さん、イケメンを隠してお鬚つけて健闘されていました。轟悠さんのルキーニがあまりにもルキーニ過ぎて歴代キャスティングそれぞれ苦労されているのかな、まだまだ進化の余地ありだと思います。暁干星さんのルドルフ、若さと完成度の高さが見事だと思いました。ルドルフダブルキャストの風間柚乃さんはシュテワンでしたが強かったです、目立っていました。声にひかれました。どなたなのだろうって気になりました。おじいちゃんのドクトルゼーブルガー、東宝エリザベートの城たんのように杖ついて足を引きずりながら登場していましたね。なかなかに好きです。

 色々ときりがありません。今日はこれぐらいにしておきます。一週間後は早霧せいなさんのるろ剣に、星組台湾公演のライブビューイング。こうして日比谷を訪れるのは今日が最後、東京宝塚劇場を訪れるのも今日が最後。12月にシアタークリエのチケットを取ったのでまた行けますが、こっちに暮らしながら訪れのは今日が最後。郷里に帰れば今までのようにはいかなくなります。最後なのだと心して観劇しました、東京宝塚劇場との別れを惜しみました。一回一回、一期一会の出会い。





公演デザートがお昼ごはんでした。


 
ちゃぴさんとみりおさんを一緒におさめました。



ラウンジの光景。










こちらは9月26日の東京宝塚劇場にて。

東日本大震災のあと真っ先に援助の手を指しのべてくれた台湾、親日的な台湾、年配の方々は日本語も話せたりするとききます。旅行好きなのが日本人と台湾人だときいたことがあります。行きたくてもさすがに行けません、公演の成功を日本からお祈りしています。


 

 

花組『MESSIAH』_思い出し日記(1)

2018年10月19日 20時30分55秒 | 宝塚
 睡眠障害が続く毎日、やっぱり眠れなくって5時間睡眠からの金曜日、残業分の代休として休みました。1時過ぎには布団に入ったものの、お隣3時ぐらいまでドタンバタン、すごく響いてきて眠れず、今朝は8時前に目がさめてしまいました。それからまた眠れほどの安心感はなく、案の定、廊下の壁の塗装工事?らしくドタンバタン、上からも外もドタンバタン。12時になって人がいなくなるまで部屋を出られませんでした。そんな金曜日、2時間半ほどスパで汗を流しながら、ごりごりの足腰をほぐしました。明日月組の『エリザベート』、11時公演、今夜も眠れなかったらすごくきついなあ。眠れなくても作品がいいから集中できるけどね、できればいっぱい眠りたい。日生劇場でラブネバのチケットをみたいし、日比谷シャンテで宝塚ステージ衣装展やっているみたいなので行きたい。こんな生活もあとわずか。時々来るけどね、そんな気力と体力が続くのいつまでかなあ。半年間は失業給付受けられますがその先また働かねばね、でも今は今が精一杯で先のことはわかりません。一日一日・・・。

 グチはおいといて、断片的思い出し。次回作の先行画像はなんだか理解が追いつかず、まだまだひたっていたい『MESSIAH』、あとからじわじわときています。天草四郎の神秘性、カリスマ性、天草に生きた人々の生き様と熱い心、リノ、鈴木重成、松平信綱の苦悩する様が輝いていた舞台だったと思います。脚本家が描き切れなかった隙間を花組生たちが見事に埋めて、脚本以上のものを導き出していたのではないかという仕上がりでした。9月26日に観劇したときはまだ本来の上品さが垣間見えて手ぬるいかなという感じもあった松倉の殿様が千穐楽ライブビューイングではほんとに憎たらしかった。なんの信念もなく人間としての器が小さい、全くつまらない暴君を、鳳月杏さんがつきぬけてくれていて、幕府側でありながら天草の民をなんとか守ろうと苦悩する鈴木重成、松平信綱の静かな表情の裏にかくされた熱い思いとの対比が見事でした。綺城ひか理さん演じる鈴木(重成)、出番は少ないけど物語のキーパーソン。鈴木と松平信綱を演出家はいちばん描きなかったのでは、って思うぐらいの存在感。26日の観劇後の客席で、鈴木が誰かわからないけどすごく気になる、鈴木ってだれっていう声がきこえました。落城した原城でリノが描きかけたサンタマリアの絵をみつけたのも、四郎に矢文を放ったのも鈴木。場面に直接登場しないのになんとかしようとする、なんとかしたかった、その姿が思い浮かぶような描き方でした。エピローグ、四郎たち天草の人々が光り輝く神の世界へと導かれていくのに対して、愕然と膝を落とす鈴木の姿。ライブビューイングではひきで映し出してくれてほんとにありがとうございました。水美舞斗さん演じる松平信綱の静かな表情の裏に熱い思いを秘めながら、幕府軍としての自分のなすべきことをなさねばならない葛藤がしのばれる姿も秀逸でした。お侍姿がすごく似合っていて美人さん、こんなに芝居力のある方だとは知らなかった。『BEAUTIFUL GARDEN』でも大活躍でした。キリシタンたちによる反乱が起きた知り、自分が赴くという時の台詞に思いがこもっているのもすごく伝わってきました。3日待っても「来なかったな」は来てほしかったのに来なかったという思いが伝わってきました。対する松倉の殿様の家来? これが最後の男役姿だった天真みちるさんの田中宗甫。濃い眉毛をつり上げて敵役として十分すぎるほどのっていました。天草の人々に踏み絵を強要する場面の「踏め!」と言い方が印象的でした。リノが絵を描いている隠れ家ぶり的洞窟を訪れた時の、四郎と対決して敗れて去っていく小物ぶりが子気味よかった。場面場面で好きなところはほかにもたくさん。娘役さんたちが扮する男の子たちがすごく可愛かったし、舞空瞳ちゃんの萬は足が長いのと華のある感じが否が応でも目を引く感じでした。瀬戸かずやさんと桜咲彩花さんの娘役、なんとも美しい家族でした。オープニングのワイルドな明日海りおさんの夜叉王、時間的にはすごく短いけどかっこよくて素敵でした。だんだんとキリシタンの四郎になっていく姿を衣装の変化で上手く表現していましたが、(南蛮絵を)マカオでみたことがあるっていう場面など、夜叉王丸時代に海で暴れていた姿が思い浮かぶような台詞回しでなんとも好きでした。振り返ってみると天草の人々をみなさん心から生きたんだなあとじわじわ。柚香光さん演じるリノのことを書きたいですがまた後日。

9月26日の東京宝塚劇場。




キキちゃんアップ、絵画みたい。
































明日は休みだけど休めない?

2018年10月18日 23時04分10秒 | 日記
 5時間ほど眠るとお手洗いで目が覚めて、結局そのまま朝を迎えた木曜日。2日連続で5時間睡眠かな。すごくきついです。さりとて緊張しているのでそれほど眠れないままに毎日は過ぎていきます。今日もあれやこれやの一日で疲れました。どこまでいってもどこまでやってもきりがなく、果てしがなく、次から次へと何かが起こって、起こる内容が全部全く違うので、一回一回ひとつひとつまたわからなくってききながらやるしかなくって果てしがありません。この仕事を続けても心身が擦り減っていくだけでほとんど実を結ぶことはないから一年で終われていいのかな。先日打診されたばかりだったのに、今日になって上司の上司からも一緒に呼ばれて、「次のアルバイトが決まったので期待させて申し訳ない」って謝られてしまいました。やるつもりはなかったのでどっちでもいいといえばどっちでもいいことですが、こういうことをしている組織ってダメだなあって思いました。どっかの大会社よりはマシなのかもしれませんが体質が変わらない巨大組織であるという意味においては同じようなもんで残念だなあと思います。それでも一生懸命にやってしまって、午前中だけで面談やら続いて頭の中ぱっつんぱっつん、午後は病院から戻れなくなったおじいちゃんのために部屋に行って荷物少し回収して病院に持っていってと、上司と一緒に車で移動しましたが疲れました。足が痛いです。病院ってみんな余裕がなくってきつい人たちばかりだとわかってきて付き合いが難しくって気疲れするし、わたしなんか歳くってるだけで経験値ないからあわあわするばかりだし、なんだかほんとに疲れました。一日中全く記録を書くことができず、明日は残業分の代休をとるので、2時間残業して記録を書きました。この分また休めるかしら。ほんとにきりがないの。あっちでこっちで次から次へと花火が打ち上がるの。伝言メモから何かが起こっているらしいまた別のことがあるのですが、一昨日から連絡取れなくって心配している件ですが明日は上司に委ねます。メモ書いてきました。来週はまたあれやこれやと目白押し。もつかしら。その前に明日は休み。でもゆっくり休めそうにありません。大規模修繕工事とやら、また何やら始めるらしく騒がしくなるらしい。隣もご近所のヘンなオッサンも平日いるし、ほんとゆっくり休めないよ。この部屋にあと一カ月。荷造りしたいけどいられないので朝から出かけてさまようしかありません。午後は歯医者のあとまたスパにいくつもりです。明後日は月組『エリザベート』、友の会優先公演。まさか当選するとは思わなかった。ヅカの生エリザなんて20年ぶりだよ。そのために明日は休みます。今夜とにかく夜更かしせず休むしかありません。なのでお休みなさい。

 一足早く一週間、お疲れ様ね、わたし・・・。

大ボケしてしまいました

2018年10月17日 19時46分56秒 | 日記
 部屋に帰ると塗料の匂いがすごくってちっそくしそうな感がいっそう高まっている毎日。すごく疲れていますが今日も息抜き。家に戻れば家賃負担がなくなることを思うと気持ちは少しばかり楽ちんです。日比谷は遠くなりますけどね。

 昨夜も1時頃に就寝。疲れているのでほっとワインですぐに寝ついたようですが、使い捨てコンタクトの右目を外して使い捨てたつもりが一晩中つけたままでした。わかったのは11時頃。新しいレンズをつけても目の前がぼけてみえなくって焦りました。10時になるのを待っていつもの眼科へ行くと休診の札が。診察券をみると12時診療開始となっているではありませんか。普段こんな時間に行かないので知らなかった。急いで隣のビルの眼科へ。そこでようやく右目のレンズがはいったままだとわかりました。お恥ずかしい限り。初診料もかかって高くつきましたが乱視の矯正が強くなりすぎているらしいことがわかりました。どのみち帰省する前に一度いかなければならないし、また調整しなおしです。ほんとに苦労しています。きつい仕事しながら、部屋では緊張しっぱなしで音がきこえないように気を張り詰めながら荷物を詰めているし、睡眠のリズムは狂ったままだし、疲れているんだなあと自分で思います。今日は午後から出勤して訪問に行ってきました。貴重な代休はヅカのためにとっておきたいのでがんばりました。いない間にもあれやこれやと電話メモが。ほんとにあれこれあります。人の心配している場合ではないですが、明日もあれやこれやと大変な一日になりそうです。もう少し給料くれー!残業代くれー!

 宝塚がざわついています。ネットの記事やSNSを読みすぎるのもよくないですね。わたしなりに思うところは休日に書ければと・・・。

 今夜も無事に眠れでしょうか、明日は無事に朝から出勤できるでしょうか。そろそろ観念して部屋に帰らねばです。

 平日は今日もつまらないグチ日記でした。失礼しました。

火曜日、疲れました

2018年10月16日 22時19分54秒 | 日記
 昨夜はなんだかんだで就寝が1時を少し過ぎてしまったかなあ、からの火曜日。今日もなんとか無事に起床して、出勤して、一日が終わりました。次々と知らないことがでてきて、わからないことがでてきて、アルバイト故にできないこともあってすいませんすいませんって頭を下げながら自分の担当分やってもらわないといかなかったりもして疲れました。別にわたしの責任じゃなくって、そういう体制なんだから仕方ないんですけどね、明らかに人手が足りないのにアルバイトで補強して、しかも1年というルールをつくってしまっているのだから、別にわたしに非があるわけでもなんでもないですけど、なんだか申し訳ないと思わないといけないようになってしまっているの、そういう空気になってしまっているの、疲れます。そういう空気のなかにいるの、疲れました。結局職員同士の会話には入れない立場だし、歳くっていても経験値少ないし、外部には自分の立場を言えないし、苦しいなあと思います。2カ月のインターバルで戻るつもりはありません。説明できないのもすごく苦しい。安い給料で苦しみながらやるほどの仕事でもなんでもないです。昨日給料日でしたが9月は稼働日数が少なかったので手取りの少ないこと、少ないこと。不労収入よりも少ないの、正直かなりへこむ。彼らはいろいろと免責されているし、いろいろと一般的にはものすごく苦労して自分で出しているものが、なんの苦労もなく出てきて、それを当たり前みたいに思っているし、そう考えると彼らの方がわたしより恵まれているようにしか思えません。じゃあそうなりたいのかと言われると違っていて、こうして働いて税金も社会保険料も収められる自分でいる方がはるかにいいのだと言い聞かせます。普通は知らない現実を知ってしまうとやりきれないものがあります。安い給料で、彼らに振り回されてばかりいる自分が哀しくなったりします。明日は水曜日、ようやくまた午後訪問の予定を入れました。そんなに坂を歩かなくてもすむ場所。明後日は朝から面談、色々な手続きがあるのが一件とどうしようもないのが一件、そのあと上司と外出。その内容は書けませんがおトイレに行きづらいし、けっこうハード。一人ではやれなくって一人ではないので安心ですがエネルギー要ります。なんだか毎日毎日色々とあってほんとに大変な仕事。疲れて帰ってくると塗料の匂いが廊下中すさまじい。網戸がないけど少しでも空気を入れ替えたいと少しだけ窓を開けていますがこれまた塗料の匂いがすごくて具合が悪くなりそうです。外の階段やら手すりやら何回塗っているのか。修繕工事といってもあちこちやたらと塗っているだけ、細い配管が解決されるわけでもなんでもないのに、こんなんやめたらいいのに。土曜日の月組エリザ観劇にそなえて、金曜日は残業した分代休をとるつもりですがこれではいつものように部屋を出ないといけませんね。ドアの枠?を塗る工事で、作業員たちがまた激しく出入りするだろうし、ご近状たちはこんな環境でも朝も昼も夜もいるみたいだし、とてもじゃないけどいられません。昨夜も11時半を過ぎたころからうるさかった。12時を過ぎたころから電話の話し声かなあ。やたらときこえてくる。あと一カ月睡眠障害のままいくしかありません。

 ラブネバに憲ちゃん出るのか、お兄ちゃんと同じ役、観たいけど郷里に帰れば何回も足を運ぶことはできません。この作品、日生劇場という空間で上演されることに大きな意味があるんですよね。迷っているうちにチケット売り切れるかなあ。国際フォーラムのベルばら先行でチケットがとれていれば日程をあわせて観ようかな。明日の夜店でパソコンを立ち上げながら少しゆっくり考えますか。12月に日比谷に来るし、2月にも来ることができるかもしれません。弟に怒られちゃうかな。仕事の予定はないけど観劇の予定はちらほら。失業給付を受けながら考えませう。

 またグチ日記になってしまいました。休む準備せねばね。すごく音が響いてくるけど、今夜は静かかなあ。段ボール箱を置くスペースができたけど隣合っている壁際は荷造りの音丸聞えなので置くことができません。気を使いつつ、平日に少しずつ、でも今日はもうおしまい。

 今夜も無事に眠れますように、明日も無事に出勤できますように・・・。

月曜日、疲れました

2018年10月15日 23時01分51秒 | 日記
 心があったかくなった花組東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングから一夜明けた月曜日。SNSがざわついていますね。わたしの中ではタイミングなのかなって、これ以上は厳しいんじゃないかって。ともちゃんの退団公演、映像を見返していると芝居でもショーでもふられちゃつどころかデュエットダンスすらないの。人によってほんとに扱いが違うなあって。難しいですね。まあここらへんにしておきましょう。

 一昨日は午後スパに行ってミストサウナで20分ぐらいウトウトとお昼寝できたみたいでかなり疲れがとれました。ゆったりと体もほぐれて貴重なお休み時間。睡眠障害はつらいですね。昨夜は就寝が1時ぐらいになってしまったかな。熟睡していたみたいですが、たぶん6時少し前ぐらいにお手洗いで目がさめてそれからもう眠ることができませんでした。なんだか眠くって、疲れを感じて、訪問日程調整のための電話をしなければならないのに気力がわかず今日も事務作業をやっていました。といってもあれやこれやとくるし電話が鳴ってしまうのであまり進みませんが自分がいる間にやっておかねばという気持ちの焦りがあります。今日次の予定はあるかとたずねられました。なければ二カ月のインターバルをおいて、また春まで同じ地区の担当としてやってくれないかという打診でした。わたしの後任のアルバイトをさがしてはいるけどなかなかむずかしいという話でした。そりゃそうでしょ。雇用責任を逃れるための二カ月ルール。おかしな話。そのためのリスクの方が大きいのは明らか。巨大組織の矛盾。もしマンションの契約更新のタイミングでなければ、更新したい部屋であれば、引き受けているのかなあ、どうでしょうか。罰ゲームとして配置されることもあるらしい業務内容、二カ月間は収入ないまま家賃払い続けてまでやるほどのことでもありません。もういいかな。このちっそくしそうな部屋を一日も早く出たいし、一度引き上げてまた部屋を探して何十万も払ってまた引っ越すだけのエネルギーも資力もありません。帰ってくれば廊下中あちこちシートと養生テープで覆われていて塗料の匂いがすごくって、網戸がないので窓開けられないから外は寒いぐらいなのに中は暑いから冷房いれています。わけわかんない。本は8割方詰め終わったので大きい箱に荷物を詰めるスペースを確保しなければ。今日と明日とで、前の部屋のために買ったレースのカーテンとお別れ。10年もお世話になったのだから十分かな。断捨離しながら少しずつ、少しずつ・・・。

 闘いのたったひとつの成果品?である労働局から開示されたクソ大会社への調査資料、自分では全く見ないまま捨てるに捨てられず、知り合いの通信社の記者さんに引き受けてもらいました。わかってはいましたが10センチぐらいの厚さのある資料のほとんどが黒塗りだったようです。見ないまま送って正解。

 これからどうやって生きていけばいいのかわかりません。郷里に帰ったら、離れていますが同じ県内の古本屋さんをたずねてみたいです。まだやっているかな。読むことと書くことをやりたい。ただ漠然と思っているだけ。

 とにかく今はきつい日々を乗り切って行かなければなりません。今夜も無事に眠れますように、明日も無事に出勤できますように・・・。
 

花組『MESSIAH』『BEAUTIFUL GARDEN』東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング

2018年10月14日 22時48分10秒 | 宝塚
 今朝は9時半過ぎまでウトウトしてようやくなんとか8時間ほどの睡眠を確保できたのかなあからの日曜日、昨夜寝ついた時の記憶がなく歯も磨かずに寝ちゃっていたみたいです。やっと眠れた、よかった。予定通り無事にライブビューイングで花組の東京宝塚劇場千穐楽公演を見届けました。郷里近郊でもライブビューイングあるけど、映画館は外れにあって実家は駅から遠いし、映画館は不便だしですごく大変そう。今の利便性を享受できるのもあと少し。いつもの映画館で楽しい時間を過ごして心が潤いました。9月26日に観劇したときよりもさらに舞台全体がぐっと深まっていてよりよい作品に昇華していました。芝居もショーもよかったです。

『MESSIAH』、思いつくままに・・・。脚本はやっぱり弱いと思いました。もう少し書き込んでほしかったなあ、今一歩っていう感は否めませんが明日海りおさんのスター性、カリスマ性と花組生たちの熱意が作品を熱く美しく昇華させていると思いました。レミゼをみているような感覚の群像劇。恋愛も一応あるけど主軸ではなくとってつけたような感じで物語の中で必然性はなかったかな。主軸は神への愛に生きる民衆の物語。大階段を使った一揆軍が幕府軍の総攻撃によって全滅していく場面。倒れた人々が十字架を形づくっているの、さすがにライブビューイングのカメラで全体をとらえることはできませんでしたね。ひきでも映していましたが、あれは生で観劇したからこその醍醐味でした。でも最後に綺城ひか理さん演じる鈴木(重成)ががくっと膝から崩れ落ちる場面をとらえてくれていてカメラさんありがとうございました。鈴木がやっぱりキーパーソン。一揆軍を救いたかったのに救えなかった鈴木の絶望。四郎の代わりに斬られた仙名彩世さんの流雨の絶命するときの声もすごかったけど、女性を斬ってしまったことにおののく鈴木の姿もすごかった。プログラムによると史実では一揆から20年後、幕府の直轄領となった天草の地を鈴木重成は立て直すことに尽力したとか。水美舞斗さんの松平信綱の静かな芝居も一段と深味を増していました。立場上感情を表に出すことはできないし一揆軍を見逃すことはできない苦しさが静かな表情の裏に現れていて難しい役どころだと思いますが素晴らしかったです。

 明日海りおさんの夜叉王丸、海賊仲間の飛龍つかささん演じる不動丸と一之瀬航季さん演じる多聞丸との関係性も好きでした。二人が若くって元気で可愛いの。甚兵衛に助けられた時、「一人か」って聞かれた夜叉王丸は何も答えないの、二人は仲間なんだよね。天草の地で偶然再会した時のはしゃぎっぷり、千穐楽の舞台では夜叉王丸、多聞丸の腰をこちょこちょしていたのかな。笑いがおきていました。それからまさかの花組ポーズ。芝居の中でやるなんて、それだけのっていたっていうことですね。四郎を慕って一揆軍に加わった二人が幕府軍に斬られる場面も鮮烈でした。松平信綱に会いに行った柚香光さん演じるリノに、四郎が、生きておれたちの生きざまを人々に伝えてほしい、逃げろ!っていう場面も涙、四郎は勝てるはずがないと悟り、それでも戦い抜こうと決意していて熱かったなあ。生きて生きて生きるんだ!って人々に四郎が語るの、この場面もすごく好き。甚兵衛の神を信じなければここまで生きてくることはできなかったっいう言葉も沁みました。苦しい時代、宗教をよすがに真摯に生きた人々の物語。一揆から20年後の江戸城で将軍から原城で見つかったという絵を渡され、絵を完成されるんだ、人々に伝えるんだって言われて、リノが「四郎」「流雨」って呼びかける場面も涙。この場面からハライソ(神の国)への転換、江戸城がさがって光り輝く世界のなるの、指揮台の西野先生、わかっていても柚香さんの芝居と歌に集中しているので毎回くらくらなるってツイッターに書かれていましたが、そんな西野先生が指揮するオーケストラの音色、一揆軍が全滅していく場面の音楽がとりわけ美しいと感じました。オーケストラもまぎれもなく舞台の一部なのが生演奏ならではの醍醐味。役者さんの歌と動きを追いながら指揮するマエストロもオケも素晴らしい。なんかレミゼを観劇したあとの感覚に似ている日曜日の夜。ショーは、エトワールの天真みちるさん、涙ぐんでいましたね。芝居ではのりにのっていました。身長158センチは宝塚では小さいのか。わたし150センチ。退団者のお三方、お疲れ様でした。それぞれやり切った感のいい笑顔でした。

 まあなんだかきりがありませんが時間がなくなってきたのでこれにて。自分は自分の厳しい現実に立ち向かわねばなりません。眠れるかどうかわかりませんがとにかく明日のために準備せねばなので、あれやこれやとまた休日に書ければと・・・。

 舞台は素晴らしい、宝塚は素晴らしい。

カテコで噛み噛みだったみりおさん、花組生全員はそろうのは今年最後なので「よいお年を」って去年お花屋さんでも同じことやっていたような・・・。可愛すぎます。

9月26日の東京宝塚劇場。








2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たちより_アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望

2018年10月13日 19時55分12秒 | 美術館めぐり
2018年9月9日の記事からの続き、

イヤホンガイド1の絵のお話、公式カタログからの引用です。ご興味があれば・・・。


「ヤン・ファン・デル・ヘイデン(1637‐1712アムステルダム)

《アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望》1660年頃、デトロイト美術館蔵


 デトロイトとオスロの作品を比較することにより、ファン・デル・ヘイデンの制作法をより深く理解できる。レオノーレ・スターベルが初めて指摘したことだが、本作品の遠近法はうるさいほどに徹底しているので、すべての消失線は一つの消失点に収蘞(しゅうれん)するようになっている。一方、より「自然主義的に」見えるオスロ作品は、幾何学的にはさほど厳格ではない。その結果、より広がりのある、視覚的に無理のない景観になっている。(巻頭論文で述べたとおり)、遠近法を厳密に数学的に適用すべきか、それとも見ために自然に映るように調整を加えるべきかという議論は、まさにその頃、フランスのアカデミーで展開されていたものであった。事実、ファン・デル・ヘイデンは、アムステルダムの新市庁舎を描いた二つの有名な作品(ウフィツィ美術館、ルーヴル美術館)を通じて、この両方の主張を支持するような、いわば具体例を提供していると言えよう。ファブリティウスの《楽器商のいるデルフト》のように、錯視効果は1点透視法を前提としていた。すでに指摘したように、ファン・デル・ヘイデンが遠近法をめぐる議論の両面に理解を示し、通じていたことは明らかだ。翌年の1668年、ファン・デル・ヘイデンは同じ景観を描いた2つ目の作品を手掛けたが、より自然な遠近法を演出するために遠近法に視覚上の手を加えた。

 本作品には、ある優れた特徴を認めることができる。近年開催されたファン・デル・ヘイデン展の図録で初めて論じられたことだが、この画家は、幾つかのごく小さな細部を仕上げるため、自作のあちこちで版画技法を使っていたかもしれないのである。発明家にして優秀な版画図案家であった彼が、版画技術に多大な関心を抱き、転写を熟知していたことは想像に難くない。本作品においては、木々のハイライトには3つ葉模様が繰り返しスタンプされている。のみならず、レンガや屋根瓦は、転写技法によって絵に写された、版画の画像の助けによって制作されたように見える。ファン・デル・ヘイデンと同時代の人たちが「芸術の秘密」、「マジック」と呼び、1729年にヤーコプ・ウェイルマンをはじめとした専門家によっても認められた超自然的な細部は、このように実現できたのである。」




土曜日ですがあまり眠れませんでした

2018年10月13日 10時05分16秒 | 日記
 昨夜は週末なのでいつもより遅めに就寝、すごく眠いのに、疲れているはずなのに、寝つきをよくする薬を飲んだのに寝つけませんでした。冷房いれっぱなしで、でも冷えるので布団の中には電気アンカを入れて3時ぐらいにはなんとか寝ついたのかな。すっごいヘンな夢にうなされ続けて気が付いた時は胃が痛くてなりませんでした。仕事の胸くそわるいのを引きずっていたし、隣は遅くにどたどただし、朝は外でどうバタバタされるかわからないしで、落ち着いて眠れません。たぶん5時間眠れていません。今朝案の定9時ぐらいから外ですっごいドタンバタン。作業員たちがデカイ声出しながらドタンバタン。人の生活を邪魔して、苦労して家賃払っているのにこんな何重もの苦痛、つらすぎます。つらい仕事しているのに、部屋もつらいなんてつらすぎます。こんな中で荷物を段ボールに詰めなければなりません。午後は歯医者、それからスパで休みます。つらい土曜日の朝を迎えています。