愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

安倍晋三首相派の「令和」礼賛をよくよく視れば、政権交代ばかり、憲法を活かす新しい政権と政治の必然性が見えてくる!麗しい平和の時代を構築するために参議院選挙で退場させる!

2019-07-09 | 日本文化

元号をどのように捉え、その意味を考えれば、新しい景色が見える!

明仁天皇の「退位」公表から新しい「元号」公表に向けて

そして「平成」から「令和」に「時代」が変わった!変わった! 日本国中で大騒ぎしました!

まさに狂奔!

テレビが映す庶民の「令和新時代」に込めた期待は、 暮らしが良くなってほしい。平和になってほしい。 というものでした。

リセットされた「平成」政治が、如何に「国民のための政治」でなかったか、庶民の反応が、アベ政治の破たんを浮き彫りにしました。 このことは各種世論調査において、安倍政権にやってほしいことは何か!その結果を見れば明らかです。

再度考えてみることです!テレビが大騒ぎするほど、ホントに「時代は変わる」のでしょうか?

この場合は、「一世一元」制に基づく「元号」が「変わった」ことを意味しているのですが、 社会の在り様、実態がホントに変わったか!というと、全く変わっていません。

「安倍政権から、新しい政権ができた」というのであれば、「時代は変わった」と、言えるかもしてません。

また「令和」についても、その意味するところは、安倍首相の狙いとは全く違ったものであることが、品田悦一氏と中西進氏の意見を見ると判ります。

殺伐とした事件や天変地異が相次いだ万葉の時代はどんな時代だったか。

「天皇家」内部で殺し合いが行われたのは何故か。

そもそも聖武天皇が「鎮護国家」の名のもとに、行基に建設を依頼して「東大寺盧舎那仏像」を建立したのは何故か。

 庶民の浮浪逃亡が頻発したの何故か。

全く不問です。

安倍晋三首相は、「国書」を元にしていると胸を張って見せましたが、「律令」制度・「天皇」号そのものが「唐」の影響=中国文化・制度であることは、高校の日本史の教科書を読めば、誰もが判ることです。ここに一国の首相で、いわば、日本国を代表している安倍晋三首相の悲惨で、惨めな「学力」の実態、無知が浮き彫りになってしまっているのです。

そもそも元号「令和」そのもの本来の意味するところと、その時代背景を考えれば、「元号」制度、とりわけ「一世一元制」時代の「元号」が泣いているのではないか、と思わざるを得ません。 安倍晋三首相の日本の歴史に対する冒とくぶりが浮き彫りになります。

だから、主権者国民が「元号とは何か」について考えた時、歴史は大きく変わるのではないか、と思うのです。

ところで、「一世一元」制度ができたのは、1868年。以来150余年にわたって、以下の元号が天皇によって使われてきました。

明治45年天子が南に向かって声を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる

大正15年正しく政治を行うことが天道にかなう。

昭和64年人々がそれぞれ徳を明らかにすれば、世界の共存がはかられる。

平成30年内外ともに治まる、世が治まり、天下が整う。

令和??。???????

これらの元号は、天皇の都合で制定・使用されたのであって、 1月元旦に制定・転換したわけではないので、 生活上で不便が生じていることは、衆目の一致するところです。

ここに、「明治」「大正」「昭和」「平成」の時とは違った制定の仕方の変化、天皇と元号の扱いが着実に変化してきたことが、浮き彫りになりました。

早晩「元号」使用は変化を遂げ、博物館行きになるでしょう。

そこで、「一世一元」制度以前の「元号」はどのようになっていたのか、「天皇」と合わせて調べてみました!

大化元年(645)以来、慶応まで1222年の間、103人の天皇が使った元号は143。

天皇と元号の関係について「時代」毎の使用例を一覧してみます。

ただ、時代と天皇と元号は重複する場合もあります。

飛鳥時代(645)    天皇10人(中大兄・天智各1、持統称制、元明重)・元号数6(和銅重)

奈良時代(710~794)  天皇8人(元明重・孝謙・称徳各1)・元号数18(延暦重)

平安時代(794~1185) 天皇32人(桓武重)・元号数89  

鎌倉時代(1185~1333) 天皇16人・元号数49  

南北朝時代(1336~1392)  

北朝天皇―光厳・光明・崇光・後光厳・後円融・後小松(統一)  

北朝元号―元徳・正慶・建武・暦応・康永・貞和・観応・文和・延文・康安・貞治・応安・永和・康暦・永徳・至徳・嘉慶・康応・明徳  

南朝天皇―後醍醐・後村上・長慶・後亀山  

南朝元号―元徳・元弘・建武・延元・興国・正平・建徳・文中・天授・弘和・元中

室町時代(1392~1573) 天皇9人(後小松重)元号数13(文明重)

戦国時代(1573~1603) 天皇2人(正親町重)・元号数15  

江戸時代(1603~1867) 天皇16人(後陽成重)・元号数36(慶長ダブり)

元号を使った主な歴史用語は、以下のとおりです。

奈良時代―大化・大宝・和銅・養老・天平

平安時代―延暦・弘仁。承和・貞願観・元慶・寛平・延喜・承平・天慶・天暦・安和・延久・保元・平治・治承・寿永

鎌倉時代―文治・承久・貞永・宝治・建長・文永・弘安・永仁・文保・元亨・正中

南北朝時代―元弘・建武・観応

室町時代―明徳・応永・正長・永享・嘉吉・応仁・文明・天文・天正・文禄・慶長

江戸時代―慶長・元和・寛永・慶安・明暦・寛文・貞享・元禄・正徳・享保・宝暦・明和・天明・寛政・文化・文政・天保・弘化・嘉永・安政・文久・慶応

実にたくさんの元号が歴史の教科書で使われてきました。 その意味を教わることなく!安藤優一郎『元号でみる日本の歴史』(徳間書店2019年4月30日刊)参照

元号と天皇の特徴は以下のとおりです。

1.元号は、天変地異・政治的社会的混迷を受けて、新しい時代を切り開きたいという権力者の側の願望と意図が透けて見える。

2.使われている言葉は中国思想。

3.天皇の名前も、「後」に象徴されているように継承を重視している。 4

4.元号が変わっても、社会の状況が転換するとは限らないことが判る。

5.江戸時代末期の孝明天皇=明治天皇の父は、1846年即位し、弘化を受け継ぎ、嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応と、8つの元号を使用したが、1867年没した。「攘夷派」で  あったために暗殺されたのではないか、と言われている。

6.一世=一人の天皇が、一つの元号を使うということで、天皇が時代を支配するという制度がつくられたが、「一世一元」制以前と以後とでは、天皇に対する位置づけも、大きく変わっている。

7.大日本帝国憲法で、天皇は主権者であり、現人神の君主としての地位が確定された。

8.日本国憲法第1条では、天皇の地位は主権者国民の総意で決まるとある。

明仁・徳仁・文仁氏も、    

①主権者国民に寄り添う。    

②憲法を守る。    

③平和を祈る。    

④象徴天皇制の在り方についても、研究・検証する。

と言っている。実に憲法第99条遵守派=護憲派である。 天応の地位を決める主権者国民は、この事実をどのように受け止めるか!

9.「天皇」問題は、主権者国民にかかっている。皇室典範・皇室経済法などは、国会で決めるという点に、主権者の位置が浮き彫りになる。

10.王政復古の大号令にあるように、「諸事神武創業」に基づいて始まった近代国家づくりにおける「一世一元」制度・現人神制度から見ると、着実に歴史が変わってきたことが判る。その点で凄い時代となってきた。主権者とは何か、その意味は大きい!

安倍首相の歴史に対する無知・不道徳・違憲思想が浮き彫り!

安倍内閣総理大臣記者会見にみる「令和」への思い違い 平成31年4月1日

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0401singengou.html

 


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