市立高校の体罰による自殺事件をみていて思うことは、人権と民主主義を教えていかなければならない学校において、人権と民主主義が保障されていないことが判ります。
以下の記事が、それを物語っています。信じられませんが、人権と民主主義という言葉すらないのです。
そのような言葉を使わなくても、当たり前のように思うかもしれないが、このことは、人権と民主主義を学び、継承していく子どもらが、どれだけ、人権と民主主義の大切さを理解しているか、でしょう。
人権と民主主義を受け継いでいくためには、まず、この理念について、歴史はどうなっているか。どのようにしてこれらが、現在の自分たちの生活を守っていてくれるか、どうやって学んでいくか、どうやって自分たちで、つくり発展させていくか、そのようなことを学校でどのように学んでいるか、そこの点を検証していく必要があるように思いました。
15歳のニュース:公立学校、減らぬ体罰 「感情的に」「激高して」 /大阪 毎日新聞 2013年01月19日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20130119ddlk27100413000c.html
一掃へ意識改革徹底を 根強く残る体罰 2013年01月21日 12:46 http://www.chibanippo.co.jp/c/serial/119400
大阪・高2自殺:体罰は許されない「運動部だけでなく学校全般で」−−県立学校長会で県教育長 /和歌山 毎日新聞 2013年01月17日 地方版
◇今年度4〜8月、いじめ236件も報告
http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20130117ddlk30040346000c.html
これでは体罰やいじめはなくならないでしょう。子どもの中に人権を擁護する責任、そのための民主主義を学級や授業や部活動で使うという発想が培われないからです。
そういう意味で、文部科学省や行政の責任は重いと思います。学校と教師は、国家や行政の下で、意見を言えるような民主主義が現場で保障されているとは言えないと思うからです。
具体的にどうか、今後注目していきたいと思います。今日は時間がありませんので、これで終わります。
それにしても桜宮高校の入試問題、玉虫色の解決のようです。15の春は泣かせない!ことになったかどうか、検証して見たいと思います。それにしても、橋下市長を改革者のように演出させているマスコミの犯罪的役割は指弾されねばなりません!