「キリシタン」の歴史は
日本における迫害された信仰の歴史!
日本における信仰の自由をたたかいとった歴史の成果!
自由・人権・民主主義の価値を明記した日本国憲法
前文 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
NHK 7月25日 17時48分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160725/k10010607791000.html
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文化庁の審議会は再来年の世界文化遺産への登録を目指して、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を推薦することを決めました。
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の推薦が決まったことを受けて、長崎県の中村知事は「競合するほかの候補があったので、推薦が決まってほっとした。キリスト教がひそかに守られた文化に焦点を絞って、推薦書の内容を変えたことが理解を得られた要因ではないか」と述べました。そのうえで、ことし9月中に提出する暫定版の推薦書については、「世界遺産に正式に登録されるよう、気を抜かずに内容を充実させていきたい」と述べました。
平戸市で喜びの声
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のうち、禁教期の独特の景観を今に残す、春日集落と安満岳、それに中江ノ島の2つの構成資産がある長崎県平戸市では、午後3時に、防災無線を使って推薦候補に決定したことを市民に知らせたあと、市役所の外壁に垂れ幕が掲げられました。
垂れ幕は幅88センチメートル、高さが10メートルあり、「祝世界遺産へ推薦決定!!」と書かれています。
市役所を訪れた20代の女性は「今聞いて驚きました。1度、世界遺産への推薦が取り消されて残念でしたが、今度こそ世界遺産に登録されて多くの観光客に来てほしい」と話していました。また、構成資産の1つ、春日集落に実家があるという60代の男性は「うれしいです。今度こそ登録されてほしい」と話していました。
平戸市の黒田成彦市長は「1度、推薦を取り下げてから、構成資産の1つだった平戸市の田平天主堂を除外するという、苦渋の決断をしたうえでの推薦決定だったので一安心しています。再来年の登録に向け、構成資産の保全や環境整備に全力を尽くしたい」と話していました。
天草市も横断幕掲げ決定祝う
構成資産の1つ「崎津集落」がある熊本県天草市の中村五木市長が記者会見し、「心からうれしく思っている。これで2年後の世界遺産登録が確実に近づいた。市民の期待に添うよう、これからもしっかり取り組みたい」と述べました。
また、崎津集落がある河浦町の住民とテレビ電話をつないで喜びを分かち合っていました。天草市役所には「天草の崎津集落を世界遺産へ!」と書かれた長さ6メートルの横断幕が掲げられ、集まった市の職員およそ50人が拍手をして今回の決定を祝いました。
大浦天主堂 訪れた人なども喜びの声
構成資産の1つ、長崎市の国宝、大浦天主堂では、訪れた観光客が推薦の決定を歓迎していました。
東京から観光で訪れた20代の女性は「すでに世界遺産に登録されている旧グラバー住宅もすぐ近くにあって、とてもきれいだったので、これを機会に長崎がもっと盛り上がってもらえたらいいですね」と話していました。
地元、長崎県南島原市から訪れた40代の男性は「昔から学校で勉強していたので長崎県民として本当にうれしいです」と喜んでいました。
また、大浦天主堂の近くにあるカステラ店の店員の女性は「今度こそは世界遺産に登録されてほしいです。長崎には世界に誇れる文化がたくさんあるので、観光客の皆さんと一緒に私たち長崎市民も盛り上げていきたいです」と話していました。
福岡県のバスガイドの女性は「九州は熊本地震の影響で観光客が減っているので、多くの人が訪れてくれると、私自身もガイドのしがいがあります」と話していました。
取り下げから再び推薦へ これまでの経緯
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、当初は、長崎でキリスト教が繁栄してから弾圧と潜伏を経て、明治時代に入って復活を遂げるまでの歴史を物語る14の資産から構成されていました。
そして、去年1月、ユネスコ世界遺産センターに推薦書が提出されましたが、ユネスコの諮問機関、イコモスから「キリスト教の信仰が禁じられた時期に焦点を当てるべきだ」と推薦内容を見直すよう指摘され、政府はいったん推薦を取り下げました。
その後、地元自治体は構成資産の見直しを検討した結果、南島原市の日野江城跡と平戸市の田平天主堂の2つの資産を「禁教の時期との関連を証明するのは難しい」として構成資産から外し、12の資産に絞り込んで再び推薦書を提出していました。(引用ここまで)
長崎の教会群/独自の信仰文化を世界へ
西日本新聞/2016/7/27 12:00
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/261765
国の文化審議会が、世界文化遺産の国内候補として「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本)の推薦を決めた。政府は来年2月までに推薦書を国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出し、2018年の登録を目指す。
長崎、熊本両県には安心感が広がっているだろう。
だが、世界文化遺産の審査は厳しさを増している。「顕著な普遍的価値」の証明には、推薦書を練り上げ、説得力を高めることが不可欠だ。
異例の2度目の推薦である。
ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)の意見を踏まえ、政府は15年に提出した推薦書を今年2月に取り下げた。新たな推薦書案は、イコモスの助言を受けながら作成された。国内では初めてのことだ。
約250年間の禁教期に焦点を当て、構成資産は2件減らして12件とした。各資産を教会単体から集落に広げたのは、潜伏期の文化継承をアピールするためだ。
「キリスト教の伝来・禁教・復活の過程」「東西文化の交流」の遺産として評価する。そんな当初の理念は背景に退いた。
削除された構成資産の地元などには不満もあるかもしれない。だが、潜伏キリシタンに視座を定めることで、九州西海岸のキリスト教文化遺産の独自性が鮮明になったことは間違いない。長い潜伏によって、キリスト教は仏教や土着の文化と混じり合い独自の信仰形態となった。その一部は現代に伝えられている。構成資産以外にも、潜伏キリシタンが関係した神社や墓地がある。こうした遺産や文化財の存在も幅広く視野に入れ、この地域に深く根付いた潜伏キリシタン文化の全体像に光を当てる取り組みを期待したい。調査や研究の余地はまだ多い。保全対策が必要な遺産もある。
その成果を推薦書に反映させることは、シリアルノミネーション(連続性のある遺産の推薦)を支える「物語」の補強となる。世界文化遺産登録に向けて、独自の信仰文化の再評価に力を入れたい。(引用ここまで)
日本における信仰の自由獲得の歴史とは
奈良時代:国家仏教=鎮護国家
平安時代:浄土教の布教
鎌倉時代:鎌倉仏教の布教
室町時代:一向一揆・法華一揆
戦国時代:一向一揆・キリシタン
江戸時代:キリシタン・日蓮宗不受不施派
明治時代以降:国家神道=皇国史観
戦後:日本国憲法
日本における自由・人権・民主主義・実現の歴史が
日本国憲法を成立させた!
日本国憲法の徹底化こそ
「日本型共産主義社会」実現への唯一の途だ!
communism=共産主義
「共産」という日本語は?
2004年4月21日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-21/0421faq.html
〈問い〉 「共産」という日本語は、いつ、誰によって使用されるようになったのですか。日本共産党が、それを名称に採用した経緯や意義はどこにあったのですか? (東京・一読者)
〈答え〉 「共産」という言葉は、明治時代のはじめに、コミュニズムという言葉の日本語訳として紹介されたことがきっかけで、使われるようになりました。
コミュニズムの語源は、「共同」「共通」「共有」などを意味するラテン語のコムニース(Communis)です。
科学的社会主義の創始者であるマルクスやエンゲルスは、人類の理想社会―生産手段の社会化を基礎に生産者が主役となる社会、搾取も抑圧も戦争もない、自由で平等な共同社会を展望し、それをめざす運動をコミュニズムとよびました。
日本で“コミュニズム”という思想が紹介されるようになったのは、明治初期の一八七〇年ころです。
ところが、初期には、欧米の文物に接した知識人、啓蒙思想家がその担い手だったことから、科学的社会主義本来の思想としてではなく、“財産の否定”=財産共有を特徴とする危険思想と紹介されました。
日清戦争(一八九四~五年)後、本格的展開をみせるようになった労働組合運動や社会主義運動のなかで、共産主義がマルクス、エンゲルスの学説と一体に受け入れられるようになり、『共産党宣言』(一九〇四年)や『空想から科学へ』(同六年)も翻訳されました。未来の共同社会を目標とする政党として誕生した日本共産党も、その名前を掲げることになりました。
創立以来82年、日本共産党は一つの党名を貫いてきました。そこには、戦前の暗黒時代に民主主義と平和のために不屈にたたかいぬいた歴史が書きこまれていると同時に、21世紀に生きる政党としての誇りある未来社会への理想が刻みこまれています。私たちはいま、この党名を高くかかげ、第23回党大会で新しく決めた綱領が明らかにした未来社会への展望を、広範な国民のものにするために力をつくしています。(若)〔2004・4・21(水)〕
「com」について
com=democracy
デモクラシーと民主主義の違い
http://www.geocities.jp/clinicalpolitics/html/democracy1.html
デモクラシー(democracy)という言葉は、ギリシア語の「ディモクラティ(demokrati)」から出ている。ディモス(demos)はピープル、クラティア(Kratia)はガバメント、政治制度をいう。
日本ではこのデモクラシーを民主主義と訳しているが、「主義」は本来「イズム(ism)」でなければならない。もしデモクライズムあるいはデモクラティズムならば民主主義となるが、デモクラシーは民主政治、あるいは民主制、民主政治制度とすべきである。この「制度」とすべきものを「主義」と誤訳してしまったところに戦後の日本のデモクラシーの大きな落とし穴があるように思うのである。(「国会は無駄づかい」P101より)
Democracy → demos kratia
demos = people
kratia = sway,institution(governing)
民主制(政)、政治制度 ※民主主義は誤訳(引用ここまで)