社会主義・共産主義=ソ連という思考回路をどのように払拭するか!
日本人は、1,000年以上前に社会主義が駄目で、資本主義に移行して生産性が上がった経験しているから
マルクスとか、エンゲルスとか、レーニンとか、興味を持っている人はとっくにいなかったなあ
まだ、ソ連があった頃の話だ!
以下の記事にコメントが寄せられました。感謝申し上げます。
共産党に「憲法を活かす」新しい政権の構築に向けた議論と運動が弱いのは何故か!マルクスの科学の目は日本に使われているか! 2018-04-26 | 共産党
そこで確認してみました。勉強になりました。
この記事は、コメント欄に掲載しました。記事の素原稿部分も一諸に掲載していましたの、その部分は削除しました。
そして、このコメントについて、記事にすることで、広く討論を呼びかける意味もあり、記事の中に再録することにしました。ご覧ください。
Unknown (Unknown)2018-04-26 17:52:48大学1年の英語の授業で、教科書がマルクスの「資本論」だった。 どうやら、経済学部をクビになったマルクス経済学の教授が、教養学部で細々と英語教師として生き延びつつ、それでもマルクス経済学を学生に広めたかったのだろう。 まだ、ソ連があった頃だが、マルクスとか、エンゲルスとか、レーニンとか、興味を持っている人はとっくにいなかったなあ。 日本人は、1,000年以上前に社会主義が駄目で、資本主義に移行して生産性が上がった経験しているから、そりゃあ無理だわ。
日本は千年前は資本主義だった!?マジか? (愛国者の邪論)2018-05-01 19:32:16Unknownさん
コメントありがとうございます。
>日本人は、1,000年以上前に社会主義が駄目で、資本主義に移行して生産性が上がった経験しているから、そりゃあ無理だわ。
日本の中学の教科書に、このようなことが書かれていました?
ご確認ください!
こんなことを言っていると、マジでバカにされますよ!
愛国者の邪論(引用ここまで)
Unknown (Unknown)2018-05-11 16:50:52愛国者の邪論さん、
中学校の歴史でも、高校の日本史でも、
律令政治の初期段階で公地公民制があって、それではやっぱり駄目で、墾田永年私財の法が制定されて、生産性が上がったと書かれているでしょう。 それが、社会主義破綻による資本主義回帰による生産性向上なのです。社会主義では、能力有るものもサボりますから、、。
そのように、認識していないのは、あなたの読解力が無いからですよ。
Unknownさん
コメントありがとうございます。
勉強になります。
では、以下ご覧ください。
>それ=律令政治の初期段階で公地公民制が、社会主義破綻による資本主義回帰による生産性向上なのです
「律令政治の初期段階で公地公民制」が社会主義だった!?
驚きの視点です!!
中学での「歴史」・高校の日本史の教科書を再度勉強されていただくとありがたい!
しかし、そうはいってもなかなか難しいでしょうから、調べてみました。ご覧ください。
ではまず、「公地公民」とは何か!について、です。
以下復習してみます。ご覧ください。
中学の『新しい歴史教科書』(自由社)には、以下のように書かれています!
律令国家のもとでは、公平な統治をめざして、すべての土地と人民を国家が調節おさめる公地公民の原則が打ち立てられた。この原則に基づき、人々に平等に土地を分ける、班田収授法というしくみが整えられた。(略)
聖武天皇の治世になると、疫病や天災がたびたびおこった。税をのがれるため、口分田を捨てて逃亡する農民もあらわれた。朝廷は開墾を奨励し、743年には墾田永年私財法を出して、新しく開墾した土地を私有地にすることを認めた。この法律は、開墾者の権利を保護する規定を律令制度に付け加えるもので、人々の開墾への意欲をかきたて、耕地の拡大につながった。また、有力な貴族や寺院、地方豪族などは、この法律を生かして私有地を広げた。(引用ここまで)
どうでしょうか?
これが「社会主義」と、その「破たんの始まり」というのでしょうか?
因みに、この教科書では「律令政治のしくみ」「律令制における中央行政組織」の頂点に「天皇」が君臨していますよ!
天皇=国家だった!
「公地公民」の「公」とは「天皇」を意味していたのではないでしょうか?
「日本における社会主義」は「天皇制社会主義国家」だった!?
では次に高校の『詳説日本史B』(山川出版)には、どのように書かれているでしょうか。
関係する部分を掲載してみます。以下のように書かれています。
701(大宝元)年に刑部親王や藤原不比等らによって大宝律令が完成し、律令制度による政治の仕組みもほぼ整った。律は今日の刑法にあたり、令は行政組織・官吏の勤務規定や人民の租税・労役などの規定である。
欄外に、以下のような説明があります。ご覧ください。
律と令がともに日本で編纂されたのは大宝律令がはじめてで、「日本」が国号として正式に用いられるようになったのもこの頃のことである。
日本の律令は、唐の律令にならいながら、独自の実情にあわせて改めたところもある。
718(養老2)年に藤原不比等らによりまとめられた養老律令は、大宝律令を大きくかえたものではなく、757(天平宝字元)年に施行された。
班田収授法は、豪族による土地・人民の支配を排除して国家が直接民衆を掌握しようとしたものであるが、その実施には、郡司など地方豪族の協力が必要であった。(引用ここまで)
因みに山川出版の本では、「律令管制表」の頂点に「天皇」は書かれていません!
因みに「律令国家への道」という別の項目のところには以下のように書かれています。
大宝律令の前段の歴史です!
乱(壬申の乱672年)の結果、近江朝廷側についた有力中央豪族が没落し、強大な権力を手にした天武天皇を中心に中央集権的国家体制の形成が進んだ。天武天皇は、675年に豪族領有民をやめ、官人の位階や昇進の制度を定めて官僚制の形成を進めた。684年には八色の姓を定めて豪族たちを天皇を中心とした新しい身分秩序に編成した。(引用ここまで)
672年壬申の乱から701年大宝律令、そして743年墾田永年私財法、757年養老律令施行までの85年の歴史は「社会主義づくり」の歴史であり、「社会主義破たんの始まり」の歴史でもあった!ということですね!
「社会主義」とは、「能力有るものもサボります」というUnknownさんの「社会主義」観が、こうした視点と論理をひねり出し、愛国者の邪論に紹介することになったのですね。
でも文科省の「検定」では、さすがに、Unknownさんの視点はありません!
残念でした!
愛国者の邪論(引用ここまで)
誤字は訂正しました。ご容赦ください。
以下の記事もご覧ください。
日本の2千年の歴史の中に、日本国憲法の源流が脈々と地下水脈のように流れている!この自由・人権・民主主義実現の戦いを発展させることが日本型社会主義・共産主義社会を実現させることだな!2017-05-17 | 高校生でも判る日本型共産主義
日本型社会主義・共産主義は日本国憲法を活かした政治の進展の中で形成されていくものだということ、しかも、日本の歴史のなかで脈脈と地下水脈のように流れてきて発展深化してきた自由・人権・民主主義を、更に発展させていくという視点が、今日特に必要でしょう。
社会主義=共産主義=ソ連・中国・北朝鮮という構図の入る余地のない体系をつくる必要があるでしょう。そのためには日本の歴史を検証する必要があると思います。