明治10年代以降民権運動はめまぐるしい発展を遂げた!
大日本帝国憲法で鎮圧されたが、その後どのような役割を果たしたか!?
五日市憲法草案 本日5月2日付けの赤旗より(クリックしてみてください)
皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)宮内記者会の質問に対する文書ご回答
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html
…5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。…略
浜谷 惇 五日市憲法草案が作られた過程から学んだ4つのこと―草案誕生の郷を見学して―
http://www.alter-magazine.jp/index.php?%
日テレ 「国民の権利」重視、『五日市憲法草案』2017年1月14日 20:35
http://www.news24.jp/articles/2017/01/14/07351527.html
シリーズ“記憶”をつなぐ小さな展示館。日テレNEWS24では、戦争、震災などの記憶を風化させない取り組みをシリーズで紹介している。
130年以上前の明治時代に「国民の権利」を盛り込んだ現在の憲法に近い憲法案を作った人達がいた。その「五日市憲法草案」は、東京・あきる野市に今も残され、東京都の有形文化財に指定されている。
さかのぼること『大日本帝国憲法』制定前。憲法の制定や国会の設立を求める「自由民権運動」が高まる中、民間の人たちにより作られた憲法試案のひとつ。
あきる野市教育委員会・関根輝雄さん「まず条文が204条からなるということで、非常に長い条文を持っているということが特徴です。さらに国民の権利の内容を多数盛り込んでいまして、現在の憲法にも相通ずる点があるのが特徴のひとつです」
『公法』『立法権』『司法権』など5つの項目について、204条と細かく条文が定められていた。当時作られた民間の憲法試案の中でも、非常に条文が多いことが特徴。さらに大きな特徴として、「基本的人権の保障」については細かく定められていて、明治初期としては、とても民主的な内容の「憲法草案」になっている。
憲法草案は現在の宮城県栗原市出身で、当時、五日市で学校の教員をしていた千葉卓三郎氏が中心となり作成。憲法草案は昭和43年に見つかった。当時の五日市町深沢の土蔵の中にあった。
憲法草案の全ての内容は、五日市地域を中心に市内の歴史・民俗・自然を紹介する「五日市郷土館」で複写が展示されている。このほか、千葉卓三郎氏に援助をしていた名主の深沢名生・権八親子や地域の学習団体『五日市学芸講談会』の当時の資料など、憲法草案作成にかかわった人や団体に関する資料も展示されている。
2013年1月には天皇皇后両陛下も訪れ、後日、皇后さまは「深く感銘を覚えた」と思いをつづられた。
あきる野市教育委員会・関根輝雄さん「市民にとっては、これだけの憲法草案ということで、宝と思っていただいていると思います」
材木や絹織物で栄えた当時の五日市では、裕福な商人や農民らが欧米などの新しい文化への関心を高め、情報を集めていた。そんな土壌が、山あいの地域から「国民の権利」を重視した『憲法』を生んだのかもしれない。
五日市郷土館は火曜・水曜・祝日が休館日。水曜が祝日の時は、木曜も休館。(引用ここまで)
高等学校で学ぶ自由民権運動
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明治民権運動が起こった歴史的背景とその後の歴史の中で果たしたことは何か!