会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

九州 一周 フルムーン19 グラバー園

2012-09-11 22:31:15 | 旅行
2012年9月10日(月) 晴れ 33.4度

 気の合った友人と白河太平洋カントリークラブへゴルフへ行った。会津若松市より1時間強で着く。標高約980m。高原の涼風が心地よい。客があまりいない。予定より30分早くOUTよりスタート。第一打のティーショトはまあまだがグリーン周りからのアプローチがうまくいかない。

 また、先週池に入れたフォールでは、失敗をしないようにと気をつけて打つのだがまた池に入れてしまった。ゴルフはメンタル面が非常に影響するスポーツと痛感した。それでも一日ゆっくりとコースを回れたことがうれしい。健康の回復を感じる。我々の前後にプレーする組はなく一日貸切状態であった。ゴルフ場の経営は大丈夫?などと心配してしまった。
 プレーを終え会津若松市に戻ると蒸し暑い。寒冷紗で覆っておいた白菜の苗もぐったり。日が陰ってから散水。遊んでばかりいないで畑に植え付けなくてはと反省した。
 

6月3日(月)旅行五日目 曇り、晴れ グラバー園


大浦天主堂の見学を終え、坂道を上って近くのグラバー園に行く。初めにエレベーターで一番高いところにあるグラバー邸へ行き、邸内を見学した。当時の生活の様子がわかる部屋や調度品などの展示室があり優雅な生活を送っていたことがうかがえる。
  

その昔、グラバー園一帯(南山手)は、出島や東山手とともに外国人の居留地だった所で、園内には居留地時代から現存する旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、市内に点在していた6棟の洋館を移築し計9棟の洋館があり、ありし日のおもかげを今に伝えています。 また、グラバー園は高台の斜面にあるために長崎湾や市街地を一望することができ、とても眺望の良い場所です。 このグラバー園に残っているオルト邸のオルト氏の妻であったエリザベスは後の回想録に当時の長崎の事をこのように書いています。 「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しいところを私は知らない・・・・」 この高台から毎日、美しい景色を眺めていたエリザベスはイギリスに帰った後も、長崎の美しさを一生忘れなかったようです。  

園内にひときわ大きな敷地を持っていたのがグラバー邸です。グラバー邸は文久3年(1863)に建てられた日本で最も古い木造洋風建築物です。 グラバーさんはスコットランドの出身で21歳の時に長崎に来てグラバー商会を設立しました。若干21歳で見ず知らずの未開の地であった日本に単身、乗り込んで来るとは、相当な冒険家であったようです。 グラバーさんは幕末の激動の時代に、志士達を陰でささえ、伊藤博文らの英国への留学も手伝いました。 江戸末期には長州藩は幕府から睨まれており武器を購入することができませんでした。坂本龍馬は自分のつくった日本最初の商社と言われている亀山社中を通して薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、最新銃4300丁と旧式銃3000丁をこのグラバー商会から購入したのです。 この銃が第二次長州征伐である四境戦争などで大活躍し長州藩を勝利に導き明治維新を成し遂げる大きな原動力となりました。このグラバー邸は坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多などが出入りした記念すべき建物なのです。 明治維新の陰の立役者はグラバーさんだったかもしれません?

ハート型の敷石
ハート型の敷石の一つ
園内の石畳の中に2箇所、ハート型の敷石(ハートストーン)が埋め込まれている。これを探し出してハートストーンに触れると恋愛が成就すると言われており、若い男女に人気となっている。2つ見つけると、良いことが起きるといわれている。ただし、広い園内だが、入園の際にもらうパンフレットの地図を見れば、見つけ出すことはあまり難しくない。