会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

同級生 無尽

2012-09-20 21:24:59 | 時事
2012年9月21日(金) くもり 21.0度
 
 暑さ寒さも彼岸までと昔からいわれているが、まさにその言葉どうりになった。
 19日の県内は、気圧の谷の影響で大雨の状態が不安定となり、曇りや雨となった。福島気象台によると、1時間降水量の最大値は西会津まちでは25.0ミリ、喜多方市では11.5ミリだった。 最高気温は伊達市梁川町が30.8度、相馬市は30.5度で真夏日となったが、福島市と会津若松市は28.7度でともに、連続12日間続いた真夏日が途切れた。
 雨が降り一気に気温は下がった。今朝方など寒くて上掛けを1枚増やした。日中も気温は上昇しなかった。極端な気象の変動に戸惑う。

 夜は中学時代の同級生(男だけ)との無尽。1名欠席で12名が集う。久しぶりに元県議のH氏も出席。
  諸事多難の中、民主党も自民党も党首選びに奔走している。民主党は野田さんで決まったが、自民党は誰がなるのだろうか。興味深い。
 また、国後・択捉など四島とロシア、竹島と韓国、尖閣諸島と中国・台湾などと領土や主権の問題。福島第一原発の処理と復興の問題、今後のエネルギー問題など。
 国内・国外の諸問題が何一つ解決しない。現政権だけの問題ではなく長期にわたる自公民政権の諸問題を先送りして真剣に取り組んでこなかった責任も大きい。などなど最近の国内情勢や海外情勢など政治がらみの話しに華が咲いた。
 同級生はいくつになっても胸襟を開いて話せる。お互いにいつまでも元気で長生きしなくては・・・・・。



八重の桜 3

2012-09-20 21:03:01 | Weblog
2012年9月20日(木)くもり 26.9度
 
来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の会津ロケも終わったが、ドラマの主人公が山本八重ということで会津では関心が高まっている。
吉村 康著「歴史物語 新島八重の生涯」や若松城天守閣郷土博物館学芸員湯田祥子氏が福島民報「たいむ」に執筆「八重の生涯」、大石邦子氏、野口信一氏など多くの方が新島八重について語り、執筆されている。

会津若松市大町通り・野口英世青春通りのおかみさんでつくる「アネッサクラブ」は二十日、JR会津若松駅から鶴ヶ城までの通り二十ヶ所に「八重物語り」の高札を設置した。また、新島八重や会津の魅力をPRし、もてなしの雰囲気を醸成する街角ハンサムウーマン58人が認定された。一度歩いてみようと思う。


 「新島八重」については古城研究会会長 石田 明夫氏が、いくつかの公民館で講座を持ち、講演している。私も北公民館で受講している。
先週の土曜日は「八重の桜」講座3回目があった。
学習課題「若松城下の戦い」で、白虎隊、娘子軍、新撰組などの関連を聴講した。
 慶応4年(1868)8月21日(現在の10月6日)、母成峠で会津藩、桑名藩、新選組土方歳三・斉藤一等が新政府軍の敗れる。大塩宿へ行く者、若松城下へ行く者と別れた。大島圭介は米沢藩に弾薬を借りに行が綱木(国境)で入国を阻止された。米沢藩の心変わりを知る。綱木の関門が閉ざされ、門外は避難民であふれ、餓死者が多く出て目も当てられない状態であった。今世界で内戦状態にある国では、戊辰戦争のようなことが起きているのだろう。悲しいことである。

8月23日 出陣した白虎隊は、戸の口原で新政府軍と戦うが、圧倒的な兵力と兵器の前にはなすすべもなく敗れる。新政府軍に遭わないように山道を通り、同門をくぐり、弁天堂で休憩し、飯盛山中腹にある自刃の場所まで行った。(生存者 飯沼貞吉『白虎隊顛末記』)

 娘子軍(じょうしぐん)の結成『会津戊辰戦争』水島菊子81歳の談。

○藩士依田駒之新の婿、源治は伏見で戦死。妹の菊子は、義兄の敵として仇討の機会をうかがい、門奈治部の婦人梅子より薙刀を習っていたのが6~7人いた。時を同じくして、赤岡大介の門下生 中野竹子・優子らがいた。合計20余人が国の危機を見て「婦人決死隊」を結成。正式な隊とは認められず「女隊」と呼んでいた。
 8月25日 神指(柳橋)で夕方敵と遭遇。戦闘は20~30分。中野竹子が眉間を撃たれ戦死。菊子、優子等は25日の晩から27日まで坂下に居て、その後城に入り負傷者の手当て、食事、弾薬作りなど奮闘した。
10月の4回目は「戊辰戦争後の新島八重」新島襄との出会いや布教活動などの抗議になる。楽しみである。