2013年6月23日(日)晴れ 27.2℃~16.8℃
今回の<歌舞伎座杮落しツアー>で歌舞伎以外にも築地本願寺・スカイツリー・東京駅へ寄ることであった。特に築地本願寺は会津若松市の福照寺住職が修業した場所であり、その紹介で堂内を見学ができ説明も受けることができた。
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築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。その後関東大震災による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。又、58ヶ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。
現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。
本尊は聖徳太子の手彫とされる阿弥陀如来立像。
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築地本願寺では葬儀はもちろん結婚式も行われる。雅楽やパイプオルガンの演奏もある。私たちのためにわざわざパイプオルガンで演奏してくれた。曲目は分からないが荘厳な響きに心打たれた。
築地本願寺には仏教寺院としては大変珍しくパイプオルガンが設置されています。
このオルガンは音楽を通じた仏教伝道と仏教音楽の普及の願いのもと、1970(昭和45)年、(財)仏教伝道協会によって寄進されました。
このパイプオルガンは旧西ドイツのワルカー社製で、約1年をかけて製作されました。
長いものでは約3メートル、短いものでは約1センチほどのものまで、大小約2,000本のパイプ(笛)で構成され、このパイプを伝い演奏者が奏でる「風」が、繊細で荘厳な音色を織りなします。
法要や儀式、結婚式や2006年1月より開催されている毎月最終金曜日のパイプオルガンランチタイムコンサート等、その他様々な場面で演奏され築地本願寺の象徴的存在として多くの方々に親しまれています。
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今回の<歌舞伎座杮落しツアー>で歌舞伎以外にも築地本願寺・スカイツリー・東京駅へ寄ることであった。特に築地本願寺は会津若松市の福照寺住職が修業した場所であり、その紹介で堂内を見学ができ説明も受けることができた。
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築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。その後関東大震災による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。又、58ヶ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。
現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。
本尊は聖徳太子の手彫とされる阿弥陀如来立像。
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築地本願寺では葬儀はもちろん結婚式も行われる。雅楽やパイプオルガンの演奏もある。私たちのためにわざわざパイプオルガンで演奏してくれた。曲目は分からないが荘厳な響きに心打たれた。
築地本願寺には仏教寺院としては大変珍しくパイプオルガンが設置されています。
このオルガンは音楽を通じた仏教伝道と仏教音楽の普及の願いのもと、1970(昭和45)年、(財)仏教伝道協会によって寄進されました。
このパイプオルガンは旧西ドイツのワルカー社製で、約1年をかけて製作されました。
長いものでは約3メートル、短いものでは約1センチほどのものまで、大小約2,000本のパイプ(笛)で構成され、このパイプを伝い演奏者が奏でる「風」が、繊細で荘厳な音色を織りなします。
法要や儀式、結婚式や2006年1月より開催されている毎月最終金曜日のパイプオルガンランチタイムコンサート等、その他様々な場面で演奏され築地本願寺の象徴的存在として多くの方々に親しまれています。
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