会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

飯館村を通って

2013-09-06 22:10:05 | 地域情報
2013年9月6日(金)曇 26.0℃~19.6℃

 南相馬市で開催された平成25年度福島県退職連盟相馬大会に参加するため会津若松市から磐越道・東北自動車道・国道4号・県道12号を利用した。川俣町ー飯舘村ー南相馬市を通った。特に飯館村を車窓から見たが家には灯りがない。人影もない。耕されない田畑が延々と続く。除染されたものがシートに覆われて道路すぐ脇に山積みされていた。
 時々車両を見かけるが除染関係者のものだろうか。テレビ報道や新聞記事などで惨状は知っていたが、現場を通り実際に光景を目にすると胸が熱くなった。福島第一原子力発電所事故により、平和な生活が一変してしまった。 住民の方々の心労は想像できない。
 国が最優先課題として原発事故問題に取り組んでいかなければならない。復興税は復興のためだけに使ってほしい。


 飯館村のホームページによると
 飯館村は、阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村です。
総面積230.13キロ平方メートルの約75%を山林が占めた地形は比較的なだらかで、北に真野川、中央に新田川と飯樋川、南部に比曽川が流れその流域に耕地が開かれ集落を形成しています。
年平均気温は約10度、年間降水量1,300mm前後で高原地帯独特の冷涼な気候にあります。
2010年(平成22年)9月27日:「日本で最も美しい村」連合に加盟し、全国的にも住んでみたい村の上位にランクされていた。素晴らしい村であった。

 東日本大震災[編集]
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、飯舘村は震度6弱(観測地点:伊丹沢地区)を記録した[7](cf. 東日本大震災)。 地震動そのものによる被害は他地域との比較の上で極めて軽微であったが、地震とそれに伴う津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故(東京電力)の影響は深刻なものとなった。飯舘村はその全域が、放射線量が年間積算20ミリシーベルトに達するおそれがあるとする「計画的避難区域」(1カ月以内を目安として住民全員の避難が指示される区域。より深刻な「警戒区域」の外側)に指定され、土壌からは放射性物質の検出が続いている。


2011年
4月10日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人。
4月11日 - 原子力事故の影響により、福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村・浪江町・葛尾村の全域、および、川俣町と南相馬市の一部地域。対象は約3,000世帯・約10,000人)が、計画的避難区域に指定される。
5月15日 - 政府指定の計画的避難区域で計画的避難が開始され、初日は飯舘村民および川俣町民の、乳幼児がいる18世帯・113人が区域外へ移動した(飯舘村民の移動先は福島市)。なお、計画的避難区域の全住民のうち、5,000人前後(飯舘村では対象となる約1,700世帯・約6,177人の3割ほど)はすでに自主的避難をしている。
5月26日 - この時点で判明した人的被害は死者1人・行方不明者0人・重症者0人・軽症者1人、建物被害は無し