会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

終戦

2018-08-16 16:47:31 | 時事
2018年8月16日(木)晴・曇・雨 24.2℃~17.8℃
「終戦記念日に思う」

 8月15日 終戦から73年となり、政府主催の全国戦没者追悼式が東京の武道館で開かれた。

退位を控える天皇陛下と皇后さまが参列された。平成最後の追悼式。「深い反省」「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」があり、国民としてお言葉の意味を考え深く受け止めたい。
 73年前の終戦は、会津柳津町坂本で迎えた。当時6歳。8歳の兄と20歳の女中と3人で知人宅に疎開。柳津小学校坂本分校の1年生だった。
 終戦のことは実感としてよく覚えていないが、親元を離れての生活。風呂は沢水を沸かし、何日も取り替えない。畑にまく。おしりを拭く紙がない。縄か草の葉だったような気がする。戦後分校より若松市立城西小学校1年生に転入。その後は、物資不足、食糧配給(食券など)、6年生の時朝鮮戦争勃発。戦時特需で日本は景気が回復し復興をみた。
 73年間 平和憲法を守り、戦争をしない。天皇陛下のお言葉のように「長きにわたる平和な歳月」。
 その平和な歳月が憲法改正を唱える安倍晋三首相によって紛争に巻き込まれる危険がある。心配だ。
自民党総裁3選を目指す安倍首相と支持する多くの自民党国会議員に問う。
 「日本国をどのような国にして国民の平和で安心した生活を送れるようにするのですか?」
 特に、憲法改正し第9条に自衛隊を明記(軍隊?)。防衛予算の増額(トランプ大統領の要請による武器輸入)。日米安全保障問題。アメリカ一辺倒でよいの? 
 明治政府は江戸幕府が1858年5月に結んだ日米友好通商条約(不平等条約)の改正に岩倉具視外相をはじめ歴代の内閣が交渉し、1911年小村寿太郎外相の時53年の時を経て平等条約にした。
 
1951年9月8日対日講和条約に署名した時、日米安全保障条約を結んだ。1960年1月19日岸信介首相は安保反対の国民世論を無視して安全保障条約改定を行った。新しく地位協定(区域設定等=基地、思いやり予算、米軍の治外法権等)。この新安全保障条約により、三沢、横田、沖縄などの米軍基地拡張、空域制限など。佐藤内閣が沖縄返還条件として、緊急時に核持ち込み、貯蔵を容認した密約・・・・・。
 沖縄で起きる多くの問題は地位協定の改定をしなければ解決しない。故翁長沖縄知事の訴えを全国知事会が受け、今年はじめて提案した。
 戦後73年もかかって日米地位協定の改定がすすまない。過去に鳩山内閣が取り組むと声明したが、短命内閣で実現しなかった。
同じ世界大戦の敗戦国のドイツはアメリカとの交渉で基地問題などは解決している。
 なぜ、できないのか? 憲法改正よりも日米安全保障条約(地位協定)の改正が先決問題と終戦記念日に思う。
 国民のみなさん地元国会議員にこのことを聞いてみましょう。特に,安倍首相3選を支持している議員に・・・・・。