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会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

会津産漆

2018-08-21 21:32:15 | 地域情報
2018年8月21日(火)晴 36.7℃~21.4℃
「うるし林見学会」

 

8月9日国土緑化会津若松市推進委員会から「うるし林見学会の開催について」案内が来た。続いて会津若松市森林業グループから「あいづまちなかアートプロジェクト」の案内が来た。同じ事業だが担当部署が違うのかグリーンスクールの受講生にも来た。
午前7時30分 会津鶴ヶ城体育館東駐車場集合。グリンスクールの参加者は大勢いるがその内高齢男子2名のみ。
 他は、全国からうるしに関心を持ち学んでいる「うるし塾」(詳しいことはわからない)の大学生が20数名参加した。

 旧滝沢峠を車で上り、横向開拓地(一箕町町金堀地区内)から農道を通り、うるし林へ到着。

 開講式の後、うるし作品を手がける村上修一氏より講義を聞き、搔き取り作業を見学した。その後、3グループに分かれてうるし搔きに挑戦した。
はじめに、樹木を選び、無駄な枝を切り取る。次に搔き取る部位をきめ、その上部の樹皮を凸凹無いように削る。それから、樹木の曲りにそって道具を使って水平に切り取る。樹液がしみ出て溜まったらへらで搔取りする。直径15cmくらいの木だったのであまり採れない。実際には30~40本くらいに切り取りをし、何度も順繰りに回って搔きとる。本当に根気のいる作業。実際に体験してみると道具がうまく使えず苦労した。
 この体験の後休憩し、漆の若木の保育管理(草刈り、蔓取り、肥料など)を体験。大きな草刈り鎌をはじめて使ったが、これも思うようには使えない。
何事も体験してみないとわからないことが多い。




 会津の漆の歴史は紀元前500年、縄文時代末期に遡る。大沼郡三島町にある阿頼耶識遺跡より、漆製品が出土している。
 江戸時代には保科正之公が漆の木の保護育成に努めた。歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、中国、オランダなどへも輸出し、隆盛を迎えた。
 しかし、幕末の戊辰戦争で会津漆器は壊滅的な打撃を受けた。先人の努力によって明治の中期には日本有数の漆器産地としてその名をとどろかせた。
 だが、太平洋戦争後、バブル景気を経て、崩壊し、会津の漆器産業は衰退した。

会津産漆の再興を願って、平成24年度から平成27年度までの4年間について、福島県森林環境税を利用した「特用林ウルシ事業計画」を策定し苗木の新種や漆液の搔き取りにあわせて計画的な保育管理を行ってきた。更に平成28年度から平成32年度まで事業を継続。また、大戸町南原地区にもうるし団地を造成している。会津若松の伝統分化としての「会津産漆」であることの付加価値を高めることにより伝統の継承に繋がることを期待する。