会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都夏の旅20

2011-08-14 16:39:07 | 旅行
2011年8月 14日(日) 快晴 猛暑日   
 気温はぐんぐんと上昇しうだるような日。
蝉の大合唱だけが暑さの中で際立つ。サルスベリや百日草は夏の花。空に向って大きく枝を伸ばして咲いているのをみるとしばし暑さも忘れることが出来る。  妻は義兄の新盆で田島の義姉宅へ線香上げに電車ででかけた。私は城西地区区長会の仕事があったので行かなかった。昼間は何処にいても汗がじわーと流れ出す。  お盆なので理髪店も休みだろうと思い、何時から仕事をするのか尋ねたら14日から16日まで盆休み。17日から営業開始との返事。まあ仕方がないかと電話を切った。  10分も経たないうちに理髪店からの電話。店を開けますからお出かけくださいとのこと。恐縮し固辞したのだが、是非にとのお言葉に甘えて散髪した。襟首がさっぱりして気持ちがよい。常連客としてお世話になっているとちょっぴりよいことがあるのかな。

7月18日(日)雨後晴れ 「錦市場へ」

 河原町通は、ファッションビルやアミューズメントビルが林立。ファッション、音楽、映画、グルメと、つねに情報に溢れている。京都随一の繁華街。新京極通は映画館や京土産店が並び、寺町通は老舗の古書店にカフェなど個性的な店構えが魅力。これらの通りをさぁーとみて四条通の1本北を平行して走る錦市場へ
 約100店舗の商店が軒を連ねる京都屈指の市場。京の食材やおやつ、料理人愛用の調理器具などが揃い、いつも賑わっている。私たち夫婦もあっちによりこっちによりと店をのぞき、お土産を買った。
 市場の中頃に酒屋があり「今飲む シアワセ」のキャッチフレーズ。大吟醸酒が冷えている。酒に目のない私はコップ酒を注文。御隣は魚屋さん。ウナギの串焼き1本を買う。
昼間からの立ち飲みは旅ならではの楽しみ。韓国旅行団のガイドがシャターを押しましょうといってくれた。それが上の写真です。
市場の出口には岩牡蠣を焼いている店があったので立ち寄った。おいしかった。
(つづく)

京都夏の旅19

2011-08-13 22:05:16 | 旅行
2011年8月 13日(土) 快晴   
 今朝も朝から蒸し暑い。昨日、向いの孫達はラッシュを連れて母親と塙町に墓参りに行った。二人で静かな朝と思っていたら、生徒を引率して盛岡で弓道の交流試合をしていた息子が帰って来ていて朝食を食べに来た。妻は息子のためにいそいそと準備をして世話を焼いた。幾つになっても母子の関係は続く。 
 
7月18日(日)雨 後 晴れ 「京都四条通り」

 一昨日「宵山」を観て高台寺近くの京懐石料理「花咲」へ歩いた道を今日はウインドウーショッピングをしたり、お土産を買ったりと気ままに歩いた。妻の足取りは軽やかである。 

四条通りは八坂神社の石段下から始り、祇園、四条河原町、四条烏丸へと続く、京都のメインストーリト。花街残す祇園から鴨川を越えると、夕刻から賑わいを増す先斗町や木屋町の明かりが京都の夜へと誘う。
 
 何度か宿泊した「花屋旅館」は西木屋町通りにあり、近くには高瀬川が流れている。多くの藩邸があり、水運も盛んであった。幕末には、坂本龍馬など勤皇の志士達、新撰組の志士達がかけめぐったところ。この高瀬川の水運を利用して坂本龍馬達は「酢屋」に海援隊京都本部を置いた。龍馬もこの「酢屋」の2階に潜み活動していたが、同じところに長居は危険と感じ近江屋へ移った。大政奉還の宣言直後、中岡慎太郎とともに暗殺された。「近江屋事件」のあった場所は京都の繁華街の中にあるが、現在はコンビニになっているだけである。 (つづく)

京都夏の旅18

2011-08-13 01:07:08 | 旅行
2011年8月 12日(金) 快晴 朝方パラパラと小雨  
 午前3時22分頃余震があった。福島県沖震度5。びっくりして目が覚めた。
お盆前にはきれいにしようと思っていたが忙しくてできなかった庭の除草や駐車場脇の空き地の除草をした。庭の除草は妻がやり、空き地の除草は草刈機でやった。

夏草の中に埋もれていたじゃがいもの枯れた茎やかぼちゃのつるも見つかった。
遅く植えたじゃがいもだから芋もついていないだろうと思ったが、掘ってみたら大小混ざって芋が出てきた。夫婦二人で一冬食べるには十分の量を収穫できた。かぼちゃもつるを手繰ってみたら3個収穫できた。空き地はきれいになるし、思わぬ農産物の収穫があって労働の疲れも吹っ飛んだ。熱中症を避けるため、午前中は10時半まで、午後は4時半から7時まで働いた。入浴後のビールが実にうまい。

7月18日(日)雨 「京街中歩き」

 女将の見送りを受け、頂いたビニール傘をさして宿を辞した。坂道を3分位下っていくと左側に大谷本廟への道がある。福島民報の新聞連載小説「親鸞」を好んで読んでいる私たちは本廟へ立ち寄りお参りした。
午前中早いうちだが信者や観光客もおおかった。
境内に入り左側のエレベーターで3階へ。そこが親鸞聖人の御廟所である。本願寺発祥の地であるとともに、全国の門徒のご遺骨を納めるところである。深々と頭を垂れ、お参りをして寺を後にした。帰りはお寺の西口から八坂神社南口へと歩いた。そして祇園四条駅(市バス停)を通り四条通りを店を眺めながら河原町通りへと・・・・・。(つづく)


京都夏の旅17

2011-08-13 00:38:13 | 旅行
2011年8月 11日(木) 快晴 猛暑日 雨が欲しい
 
 朝方少しばかり雨がパラパラと降った。乾燥しきった畑には涙の雨にもならない。
朝食後散水をする。
 16日に城西地区で「第24回 灯ろう流し」が盛大に開催される。例年、市長、議長、議員などに案内を出しっていた。今年は大震災のため地方統一選挙が出来ず、会津若松市は8月7日に選挙。結果が分かったので、灯ろう流し実行委員長の指示を受け新市長と市会議員2名に案内状を持参した。午後4時市長在室だったので面会して案内状を手渡し、挨拶をお願いした。市会議員については議会事務局へお願いした。
 城西地区区長会庶務の仕事は多様で忙しい。職を受けたからには投げ出すわけにはいかないので任期あるうちは務めを果たすようにがんばりたい。
 
7月18日(日)雨 「其中庵を後にして」

 一休みして宿を出る。坂道を5分位下っていくと円山公園入り口に食堂があった。 祇園まで行かないでこの店に入る。街中の喧騒はなく客も居ない。時間的にも遅く午後7時頃だった。
「大正ロマン」の暖簾もうれしい。店内もそれらしくステンドガラスの窓があったり円卓があったり、ランプや調度品にも工夫をしていた。店のお奨め「湯豆腐セット」と「とろろセット」をオーダー。店主夫婦も私たちと同じ年頃。ゆったりと落ち着いた雰囲気の中で食事ができてよかった。妻も機嫌がなおった。
 宿に戻り入浴・就寝。翌日は応接間で女将の心のこもった朝食を頂き、支払いや次ぎの宿へ荷物を送る手続きをした。
 急がない旅なので朝食後部屋でくつろいでいたら雨が降り出した。事前に調べたら晴天の連続だったので今回は雨具を持参しなかった。(どんな時でも雨具は用意して旅行をしているのに・・・)
 女将の好意でビニール傘を頂き宿を後にした。この宿の前にある京料理「左阿弥」では映画の撮影が行われていた。どんなドレマなのかな?
 「其中庵」はとっても気にいった宿なので紹介します。京都に旅する時は是非宿泊されてはどうでしょうか。 電話075-533-0210

 「其中庵」は夕食無し朝食付きの片泊まりの宿。1日2組限定の宿。
 祇園とは目と鼻の先なのに、宿はまさしく市中の山居。こじんまりした宿で、客室の窓からは、円山公園の桜、新緑、紅葉、雪など四季折々の風景画広がる。木の風合いも清々しい館内には、祖先から受け継いだ九谷や伊万里の陶磁器や骨董の調度品が飾られている。客室は14畳と7疊半の2部屋のみ。女将の心のこもった接客と、閑寂な趣にひかれてリピーターも多い。(雑誌 京都大好き? 片泊まりの宿 の記事より) 
 
 
 

京都夏の旅16

2011-08-12 23:39:03 | 旅行
2011年8月 10日(水 ) 快晴 猛暑日 
 「来てよし また帰ってよし 孫達は」

 朝から異常な蒸し暑さ。35度を越え猛暑日である。
帰京する娘と孫達を高速バス乗り場まで送る。豊齢研ITサロン会津の授業日なので自宅(担当は交替)に出た。節電ながら冷房はきいていたが1日仕事をするのは疲れた。
 夕食は孫達がいない静かな時間。
7月17日(土)快晴 「其中庵」へ

 定期観光バスは京都駅に戻った。山鉾巡行の余韻があちこちに残り、駅は人で溢れていた。タクシーで今晩の宿「其中庵」へ。
祇園祭は続いたい。八坂神社の神輿に遭遇。タクシーは交通規制でストップ。
下車して宿探し。長楽館で食事をしてからと立ち寄るレストランも軽食カフェも満席。円山公園内にある出店に「其中庵」を聞いて宿探し。歩いて10分くらいと教えてもらたがみつからない。坂道を歩いて来たので妻は昨日と同じく疲れた不機嫌。長楽寺前で待たせて左の道を奥へ歩いた。 右側に小さな標識「其中庵」があった。

 
 感じのよい女将の出迎えを受け部屋に入り一休み。一服したら妻もいくらか機嫌がよくなった。これから夕食の店を探さなくては・・・・・。(つづく)

京都夏の旅15

2011-08-09 22:01:09 | 旅行
2011年8月 9日(火 ) 快晴 真夏日 
 朝から異常な蒸し暑さ。35度を越え猛暑日である。私のパソコンの部屋はクラーがあるので、明日東京へ帰る4年生の孫は夏休みの宿題を会津で終わらせると頑張りをみせていた。つきあってみてやっているのは私の妻。娘と子どもはあまりうまくいかないみたいだ。 まあまあなんとか宿題を終えほっとした。
会津の夏最後の夜。生協に行き手巻き寿司のネタをお願いした。男の料理の講師をしてくれる方だったので気楽にお願いできた。息子家族と娘家族と食卓を囲んで歓談するのは楽しい。そして幸せである。愛犬ラッシュも家族の一員と当然の顔をして食卓を囲んでいた。

7月17日(土)快晴 「太覚寺が華道の家元」

 式台玄関から通常の門をくぐり寺の外へ。その道すがら右側にテントがあり幾つもの花が生けて展示されていた。お寺で生け花展とは不思議に思い近づいてみるとなんと大覚寺は「いけばな嵯峨御流」の家元だった。生け花をしている方はご存知だろうが、素人の私にはお寺が華道の家元とは知らなかった。
 パンフレットがあったのでもらってきた。
少し長くなりますが、パンフレットを引用して紹介します。 
『今からおよそ1200年前の平安時代、嵯峨天皇が造営された離宮・嵯峨院(今の大覚寺)では、華やかな王朝文化が展開されていた。嵯峨御流は嵯峨天皇が嵯峨院の庭内にある大沢池で菊を手折り、殿上の花瓶に挿されたことに始る。
 鎌倉時代、大覚寺中興の祖である後宇多田法皇が、華道をはじめとする諸芸に称号を授ける「永宣旨(ようぜんし)」を発布され、日本文化の発展に寄与された。
 嵯峨天皇、そして後宇多田法皇、このお二人によって代表される、一貫した御所のが、当時の基本精神となっている。
 江戸時代の末期には華道の太成者、未生斎広甫が大覚寺の事務職になり、当流は全国に広ろまった。現在では国内や海外に140余の司所がある。
 当流には、風格ある伝統を生ける「伝承花」と、未来感覚にあふれた新鮮な感性でいける「心粧華」がある。真言密教の教義と格式ある伝統をバックボーンとした当流のいけばなは、大いなる宇宙の生命を一瓶に表現する、貴賓と風格を備えている。』
 ちょっと長い紹介になってしまいました。
 生け花展を見た後は、よく整備された道を歩いて駐車場へと戻った。
 (つづく)

京都夏の旅14

2011-08-08 19:16:10 | 旅行
2011年8月8日(月) 快晴 真夏日  
 会津若松市長と市議会議員の投票が終わり、新市長と市議会議員が誕生した。当選された方、落選された方それぞれ悲喜交々だったと思う。会津若松市を思う気持ちは大なり小なり違いは在るだろうが、それぞれの立場で今後とも活動していってほしい。
友人からゴルフのお誘い。7月は腰痛と肩こりがひどくお断りをした。8月もお誘いがあったので、久しぶりに天栄村「太平洋クラブ」へ出かけた。会津若松市は34度以上の暑さ。約1000mの高原は爽やかな風が吹き、晴れていてもあまり汗をかかない。ゴルフ日和である。気心の知れた仲間とのゴルフで気楽にクラブが振れた。腰と肩が痛いので力まず横からのスイングをした。それがよかったのかIN54、OUT48 計102。  元気な時も出ないスコア。昼食後のOUTではグリーンに乗せ、パットがよくワンパットは5回もだった。あれほど痛くて後ろに回らなかった肩が横までは動いた。そしてクラブを振ることができた。 ゴルフは昨年9月以来止めて今年5月に1回再開。そして今回の2回目である。自分でもびっくりした。体調をみながら無理しないゴルフを楽しんでいくことにする。
7月17日(土)快晴 「太覚寺拝観」

 象鼻杯の体験をした後、五大本堂(本堂)、御霊殿、御影堂、宸殿、正寝殿と廻り玄関より帰った。五大堂では写経をする人が多勢。昨年「苔寺」で体験したことを思い出した。その時は映画の撮影もあり、御影殿には入れず、その前庭もみることができなかった。 五大堂は嵯峨天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈念して建てられたもので、現在のお堂は江戸時代(天明年間)に再建。五大明王を祀りしている心経の本山、大覚寺の本堂。 御影堂は(心経前殿)は嵯峨天皇・後宇多法王・恒寂入道親王・秘健大師(弘法太子)の尊像をお祀りしている。正寝殿は12室もある桃山時代の書院造りで、各室には日本を代表する画家達の絵が飾られている。宸殿は江戸時代に後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。

 勅封心経殿は、嵯峨天皇をはじめ六天皇の写経が奉祀されている。


 式台玄関は江戸時代の建造で、玄関正面を飾る「松」と「山鳥図」は狩野永徳筆とされている。 (つづく)
 

京都夏の旅13

2011-08-07 15:23:40 | 旅行
2011年8月7日(日) 快晴 真夏日 夕方雨が少し降った。
 会津若松市長と市議会議員の投票日。例年4日に親類一族が集まって読経をし堂内で会食する墓参りをして来たが、実家の義姉が亡くなり、長兄が入退院を繰り返すようになってからこの墓参りもなくなった。寂しい限りである。夕方妻と一緒に菩提寺である威徳院へ墓参りに行き、帰りに投票した。

7月17日(土)快晴 「太覚寺」

 昨年 訪れる時は玄関から入場料を500円払って境内を見学した。今回は五大堂(本堂)通用口から拝観なので順路も変更されており少し違っていて戸惑った。
  「大覚寺縁起」によると大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、真言宗大覚寺派の本山で、心経写経の根本道場・いけばな嵯峨御流の総司所である。
 門跡寺院とは、天皇または皇族が住職に就かれた寺院のこと。遠く平安の昔、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、弘法大師(空海)も幾度も立ち寄った。その後、嵯峨天皇の皇女正子内親王(惇和天皇皇后)が清和天皇に上奏して大覚寺と改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂入道親王が初代の住職に就いた。南北朝時代には南朝の御所となり、ここで争いに終止符を打つ講話会議が開かれた。


京都夏の旅12

2011-08-06 22:46:34 | 旅行
2011年8月6日(土) 快晴 真夏日
 今日も朝から蒸し暑い。街中は選挙宣伝カーが最後のお願いと走り回っている。暑い時はプールが一番。腰痛コースの振り替えで水中運動をした。珍しい人と出合った。会津の峠テクテク会で長い間一緒に活動した人だった。今年の冬交通事故に遭い手術をしてそのリハビリに腰痛コースに8月から入会した。積もる話をしながらリハビリの成果があるようにお互いやすまないで頑張ろうと言って別れた。
7月17日(土)快晴 「大覚寺 象鼻杯体験」へ

 涼しい高尾で川床料理を食べた後、つり橋を渡り、マイクロバスに乗り定期観光バスで大覚寺へ。通常は玄関から入るのだが、今回は大沢池側出入り口から象鼻杯会場へ入った。
大沢池(庭湖)は境内の東に位置し、嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の庭池で、周囲1キロメートルの日本最古の庭苑池。中国の「洞庭湖」を模して造られたところから庭湖とも呼ばれ、池に天神島、菊が島と庭湖石があり、この二島一石の配置は華道嵯峨御流の基本形に通じている。池の端には茶室「望雲亭」、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡がり國指定の名勝地になっている。
 この池の蓮の葉と茎が象の鼻に似ていることから、葉に日本酒かアクエリアスの2種類を注いで飲む体験が「象鼻杯」であった。
 私は日本酒、妻はアクエリアス。葉の導管を通って飲むのだが、強く吸わないとなかなか飲めない。お寺も色々なイベントを考えるものである。
  (つづく)

京都夏の旅11

2011-08-05 19:23:57 | 旅行
2011年8月5日(金) 快晴 真夏日
 朝から暑い。蝉の鳴き声が、選挙カーの街宣が、孫達の騒ぎが・・・・・暑さを倍増させる。一人応接間でクーラーを入れパソコンを操作して退避した。夜も暑かった。寝室はクラーの無い2階の部屋なので扇風機を回してなんとかしのいだ。本当に蒸し暑い日であった。

7月17日(土)快晴 「高尾 川床料理」へ

 祇園祭の最高のイベント山鉾巡行は一度は観ておきたい。一度目は観覧席を確保し、二度目に観るならば辻回しとか注連縄切りとか特徴ある山鉾を観るなどポイントを絞ったほうがよいと思った。かなりの年配の方々もこの祇園祭、特に山鉾巡行には意気があがり元気いっぱい参加されるそうだ。洛中の町衆の心意気を感じた。
 午後12時50分頃バスガイドが観覧席まで迎えに来たので「山鉾巡行」は途中までで観覧を終えた。定期観光バスに乗り込み北西にある高尾へ向った。
 
 
 高尾もみじ家前でマイクロバスに乗り換え山奥の高尾の川床(かわどこ)料理へ。
 ここは京都市内より気温が3~5度低く夏の別天地と知られている。清滝川に張り出すように一段高い位置にたてられた床で屋根があるのが特徴。天然鮎、京野菜など旬の食材を使った川床料理はとってもおいしかった。
 近くには紅葉の名所神護寺や「鳥獣人物戯画」で名高い高山寺もある。
機会をみつけて訪ねてみよう。



 高尾の他に川床料理の店は、貴船、鷹峯にもある。
二条から五条にかけて鴨川沿いには納涼床あるいは川床(かわゆか)が90軒ほど並び夏の風物詩の一つである。(つづく)