絵を描くという行為は、またろうとはなひめについては日常的に発生するが、こじろうについては決して自然に観察されることがない。
いたずら描き程度のものであってもそうなのだから、こじろうに植物画を描かせるというのは飛躍している。明らかに無理がある。しかし無理でもやらねばならない。宿題なので。
最初、計画表において「植物画」と書かれた日にちに達したとき、こじろうは「参考になる本を借りておかなきゃいけないので今日は出来ない」と言って先送りにした。そして、図書館で「はじめての植物画」のような本を予約した。
次に、計画表において、先日先送りされた「植物画」が割り振られた日にちに達したとき、こじろうは、「必要なもの(画用紙など)を買っておかなきゃいけないので今日は出来ない」と言って先送りにしようとしたが、「いるものは今日買ってきなさい」とあっさりいわれて先送りの許可はおりず(笑)
ところが、結局買わずにうだうだと一日を過ごし、代わりに「剣岳」でもなんでもやればいいのに何もやらず、帰ってきた父母に激怒された。とはいえ、事実上先送りになったことには変わりない。
さらに、次の予定日は日曜日だったので、父母が在宅。もう逃れることはできず、画用紙や、不足分の色鉛筆を買うところまでは話が進んだ。しかし、描ける花がないとかなんとか、のらりくらりと過ごすうち、午前中と、午後の入り口あたりが空費され、「親ストップ」が入ってその日の課題は剣岳に変更。
…と、このように経過すると、長いと思われた夏休みもあっという間に終わってしまうのである。そして夏休みが終わってしまった日曜日、逃げようがなく植物画を描くことになったのだが。
この期に及んでもなお、あれは描きにくい、これはぎざぎざが多すぎて無理、とダメ出しばかりしているこじろうに、とにかくベランダにあるものの中から描くように強制。本人が公園などに出かけて、スムーズにターゲットを見つけてちゃっちゃと描いて帰ってくるなんて、そんなことは起こるわけがないので、家の中で描けることは必須だろう。
というわけで、リビングに古新聞を広げて、画用紙を置き、ようやく描く体勢になったところで午前中があらかた終わり、それからまた、できないよ描けないよ、どうやったらいいかわからない~で一時間。
借りてきた参考図書にあるような、「正確さと美しさを兼ね備えた」植物画を、がんばれば描けるなどと言っているのではない。こじろうが描ける範囲の、それがどんなにへなちょこな絵であっても、ともかく所定の時間内に描いて仕上げろということなのだ。その、まず取り掛かるという、一筆目(鉛筆だが)をおろすことができない。
画用紙は何枚も買ってあるので、まず練習のつもりでとにかく線を引き、自分がどう描けないのか、どうすればいいのか調べろ。行動を起こせ。ということで、父と母の怒号が飛び交う中、ようやく鉛筆であらかた花と葉、茎の位置のような「骨格」部分が出来たのが昼過ぎ。
それからまた、色鉛筆に持ち替えて、葉っぱの最初の一枚を描くところがえらい騒ぎで、「この葉っぱはぎざぎざがありすぎる、葉っぱの数も多すぎる、こんなの絶対描き終わるわけないよ!!」といって描かない。「描き始めなければ終わるわけないでしょ!!」と不毛な押し問答になり、しかたなく母が葉を描いてみせ、何分かかるか計測(-_-;; 「理論上」余裕で終了するはずであることが示された。
ほとんど力づくで葉を描かせられて、ようやく一枚できたが、すごくぶかっこうな葉。そこから、父が「ぎざぎざをひとつずつ見ながら描こうとしないで、ぎざぎざの数が狂ってもいいから形全体を一気に仕上げる」方法を伝授。だいぶスピードアップされ、五枚目くらいからは少し葉っぱらしくなってきた。
午後も後半になってようやく、描き進める勢いがついて、これなら終わるかもしれないという希望が出てくる。花を描くにあたってまたひと悶着あったが、とにかく描けなくても下手でも、時間を空費せず手を動かして仕上げるということを学ぶつもりで強制的に進めさせる。進まない船を漕ぐのも重労働だ。
夜になって、本人の「完成」宣言が出て、本人は終わった~と晴れ晴れした顔をしているが、絵を冷静に見ると明らかに変である。手前の描きやすい葉しか描いてなくて、葉が茎から分かれるときは必ずペアになる葉が同じ個所から分かれるという特徴が抜け落ちているのだ。
葉の質感が出てないとかそんな高尚なことは一切置いておくとして、理科の宿題として、葉の付き方がありえないのはNGだろう。そこで、浮かれているこじろうの首根っこを捕まえて連れ戻し、この葉が描いてない、このつぼみが描いてない、といってひとつずつ書き足させる。
そうやって描き足していくと、あらためてこの植物の葉のつき方、茎の形というものがわかり、こじろうの絵は正確なバランスをしていないのであちこち辻褄が合わなくて苦戦していたけど、なるほど、絵を描くことで初めて把握できる、細かく観察できるという面があるのだなぁと感心した。植物画の楽しみというのは、こういうところにあるのだろう。
というわけで、苦しいだけの植物画の一日も、最後には植物画の楽しみを(母が)発見して終わり…このように、我が家の「エンドレス・エイト」はついに終わりを遂げたのだった。
と、言ったら、よしぞう曰く、「いや、やっぱり、『エンドレス・エイト』シリーズは八回くらいはいくんじゃないの?? まだ、またろうの夏休みが終わってないよ」…はっ(o_o)そっちがあった
いたずら描き程度のものであってもそうなのだから、こじろうに植物画を描かせるというのは飛躍している。明らかに無理がある。しかし無理でもやらねばならない。宿題なので。
最初、計画表において「植物画」と書かれた日にちに達したとき、こじろうは「参考になる本を借りておかなきゃいけないので今日は出来ない」と言って先送りにした。そして、図書館で「はじめての植物画」のような本を予約した。
次に、計画表において、先日先送りされた「植物画」が割り振られた日にちに達したとき、こじろうは、「必要なもの(画用紙など)を買っておかなきゃいけないので今日は出来ない」と言って先送りにしようとしたが、「いるものは今日買ってきなさい」とあっさりいわれて先送りの許可はおりず(笑)
ところが、結局買わずにうだうだと一日を過ごし、代わりに「剣岳」でもなんでもやればいいのに何もやらず、帰ってきた父母に激怒された。とはいえ、事実上先送りになったことには変わりない。
さらに、次の予定日は日曜日だったので、父母が在宅。もう逃れることはできず、画用紙や、不足分の色鉛筆を買うところまでは話が進んだ。しかし、描ける花がないとかなんとか、のらりくらりと過ごすうち、午前中と、午後の入り口あたりが空費され、「親ストップ」が入ってその日の課題は剣岳に変更。
…と、このように経過すると、長いと思われた夏休みもあっという間に終わってしまうのである。そして夏休みが終わってしまった日曜日、逃げようがなく植物画を描くことになったのだが。
この期に及んでもなお、あれは描きにくい、これはぎざぎざが多すぎて無理、とダメ出しばかりしているこじろうに、とにかくベランダにあるものの中から描くように強制。本人が公園などに出かけて、スムーズにターゲットを見つけてちゃっちゃと描いて帰ってくるなんて、そんなことは起こるわけがないので、家の中で描けることは必須だろう。
というわけで、リビングに古新聞を広げて、画用紙を置き、ようやく描く体勢になったところで午前中があらかた終わり、それからまた、できないよ描けないよ、どうやったらいいかわからない~で一時間。
借りてきた参考図書にあるような、「正確さと美しさを兼ね備えた」植物画を、がんばれば描けるなどと言っているのではない。こじろうが描ける範囲の、それがどんなにへなちょこな絵であっても、ともかく所定の時間内に描いて仕上げろということなのだ。その、まず取り掛かるという、一筆目(鉛筆だが)をおろすことができない。
画用紙は何枚も買ってあるので、まず練習のつもりでとにかく線を引き、自分がどう描けないのか、どうすればいいのか調べろ。行動を起こせ。ということで、父と母の怒号が飛び交う中、ようやく鉛筆であらかた花と葉、茎の位置のような「骨格」部分が出来たのが昼過ぎ。
それからまた、色鉛筆に持ち替えて、葉っぱの最初の一枚を描くところがえらい騒ぎで、「この葉っぱはぎざぎざがありすぎる、葉っぱの数も多すぎる、こんなの絶対描き終わるわけないよ!!」といって描かない。「描き始めなければ終わるわけないでしょ!!」と不毛な押し問答になり、しかたなく母が葉を描いてみせ、何分かかるか計測(-_-;; 「理論上」余裕で終了するはずであることが示された。
ほとんど力づくで葉を描かせられて、ようやく一枚できたが、すごくぶかっこうな葉。そこから、父が「ぎざぎざをひとつずつ見ながら描こうとしないで、ぎざぎざの数が狂ってもいいから形全体を一気に仕上げる」方法を伝授。だいぶスピードアップされ、五枚目くらいからは少し葉っぱらしくなってきた。
午後も後半になってようやく、描き進める勢いがついて、これなら終わるかもしれないという希望が出てくる。花を描くにあたってまたひと悶着あったが、とにかく描けなくても下手でも、時間を空費せず手を動かして仕上げるということを学ぶつもりで強制的に進めさせる。進まない船を漕ぐのも重労働だ。
夜になって、本人の「完成」宣言が出て、本人は終わった~と晴れ晴れした顔をしているが、絵を冷静に見ると明らかに変である。手前の描きやすい葉しか描いてなくて、葉が茎から分かれるときは必ずペアになる葉が同じ個所から分かれるという特徴が抜け落ちているのだ。
葉の質感が出てないとかそんな高尚なことは一切置いておくとして、理科の宿題として、葉の付き方がありえないのはNGだろう。そこで、浮かれているこじろうの首根っこを捕まえて連れ戻し、この葉が描いてない、このつぼみが描いてない、といってひとつずつ書き足させる。
そうやって描き足していくと、あらためてこの植物の葉のつき方、茎の形というものがわかり、こじろうの絵は正確なバランスをしていないのであちこち辻褄が合わなくて苦戦していたけど、なるほど、絵を描くことで初めて把握できる、細かく観察できるという面があるのだなぁと感心した。植物画の楽しみというのは、こういうところにあるのだろう。
というわけで、苦しいだけの植物画の一日も、最後には植物画の楽しみを(母が)発見して終わり…このように、我が家の「エンドレス・エイト」はついに終わりを遂げたのだった。
と、言ったら、よしぞう曰く、「いや、やっぱり、『エンドレス・エイト』シリーズは八回くらいはいくんじゃないの?? まだ、またろうの夏休みが終わってないよ」…はっ(o_o)そっちがあった