アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

またろうの作り方: おしたくできるかな(幼児期編)

2009年09月16日 | 高専生活
またろうがいかにしてまたろうになったかということを語るとき、「おしたく」の問題は避けて通れない。

保育園ゼロ歳児クラスのときはばっちり優等生(よく笑い・飲み・寝る)だったまたろうが、個人面談で「またろうくんは集団生活についていけてません」と言われたのは二歳児クラスのとき。

保育園では、そのくらいから子どもが自分で何かしらの「おしたく」をするように仕向けていく。例えば、帽子をかぶってクツをはいて、おさんぽにいくよ!! とか、パジャマに着替えたら紙芝居を見に集まってとか。なんらか、集団に対して声かけをしても、もちろん反応が早い子も遅い子もいるし、話なんか聞いちゃいなくて、みんながいなくなっちゃってから慌ててしたくをして追いかけるような子もいる。しかしその「ばらつき」の中にまたろうはおさまっていなかった。

話は聞いてない。みんなから遅れをとってもまったく気にかけることなく、マイペースで自分の遊びを続けている。

もちろん、着替えの動作そのものができないとか、言葉そのものの理解が難しいとかいうことであればそれはそれで特別な支援の対象となるだろうし、あるいは気持ちのほうの問題で、先生に非常に反抗的で従う気がないとか、そういうことであれば別の解決が必要になるだろう。でもそうではなくて…

先生にはとても懐っこくって、一対一で話をすればよくわかり、たまにすばやく着替えをすることもあるし、何がいけないのかわからない。

この問題は、二歳児的なあり方から、中学生になって提出物が出せないということまで綿々とつながっていくのだが、歴代担任が頭を悩ませ、いろんな工夫を積み重ねてきた。

四歳児のときの担任の先生は、「朝のしたく(コップとタオルをかけ、連絡帳を出す)がすんだら、いっしょに連絡帳をみようね」といって誘うというテクで、数日スムーズな「おしたく」を引き出した(だいたい、何かうまくいくテクが発見されても、数日しか効かないところがまた困るのだが)。

そして、帰りの支度もその調子でいかないだろうかということで、「長い針が10(3:50)までにお支度できたら、せんせいといっしょに今日の出来事を連絡帳にかこうねと話しました」とあり、したくができたらまたろうコメントが連絡帳に残るから、親からもほめてあげてほしい、とある。

初日のコメントは「きょうは、Aちゃんと、Bちゃんと、またろうで、ポケモンごっこをしたのがたのしかった。Aちゃん→ピカチュウ、Bちゃん→ピカチュウ、またろう→ピカチュウ」…全員ピカチュウ(^^;;

翌日のコメントは「Cくんといっしょに、お山を作ってあそんだのがたのしかった。水を流そうとしたけど、お片づけになって間に合わなかったので、明日つづきをやるよ」。

数日空白…「外があたたかかったので、マラソンができてよかった」
また数日空白…「おとうばんができてよかった。おきゅうしょくをくばったり、いただきますをしました。ごちそうさまもしました」
また数日空白…「ゆきがふってよかったなぁ。あしたはゆきあそびをしよう」

そして、二週間くらいで途絶え、以降、またろうコメントはなし。このテクが効かなくなったのか、先生が忙しくて対応できなくなったのかは不明。先生、ほんとうにお疲れ様です。ありがとうございました_o_

しかし、先生の涙ぐましい努力にもかかわらず、この話つづく(小学校編へ)。


--- おまけ: 連絡帳から
ま「ねぇ、おうちの中では息みえないの?」
母「みえないよぉ、だってそんなにさむくならないじゃない」
ま「どうして」
母「さむい日もあったかくしちゃうでしょ(暖房を指差す)」
ま「うーん」←不満そう
父「さむい日に、まどあけてハーッてすればみえるよ」
ま「ヤッタァ~!!(*^-^*)」

--- おまけ: 連絡帳から
今朝はまたろう「こわいゆめみちゃったー」と泣きべそ。いつも「こわいゆめみないぼうし(カバーオールのフード部分)」をかぶって寝ていますが、今日はそれでもみちゃったらしい。「またろうがこわいゆめみてたらちゃんと起こしてよぉ」といって下くちびるを突き出しています。「べちょべちょのかいじゅうで、かたくしようとしてもまにあわないの」そのうちちゃんと「これはゆめだな」とわかるようになるよ、とか、ゆめの中のパパやママに助けてもらったら、と話をしましたが「できないよ~」「ゆめきらい」とべそべそ。
コメント (18)
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