アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

クラビノーバを弾きつつチェンバロを想う

2011年07月02日 | ピアノ
その、七年前だかなんだかにイタリア協奏曲を練習してたとき、ピアノではあらかた弾けるようになってから、チェンバロを触ったことがある。

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そのとき、なんかもぅぜんぜん弾けなくて(-_-) 愕然としたんだけど、つまりピアノでも、私の場合はとにかく指が動かないんでそこがまず必死でしょ。それで、その曲ばっかり弾いてることでなんとか弾けるようにしてるわけですよ。

一楽章、三楽章は勢いのいい曲だから、たぶんピアノの鍵盤の感触、叩いたときの跳ね返り、鍵盤の大きさとかそういう物理的条件をいっさいがっさい固定して、それで無理やりなんとか慣れている状態といったらいいのかな??

そしてその条件が崩れたら、もうぐずぐずなわけ。鍵盤の寸法が短いから、いつもの手の形じゃおっこちちゃうし、親指くぐらせるにもなんかコケてばっかり。もちろん、ピアノ的に叩いたりしたらチェンバロの音だって良くはないわけです(*)。

まぁでもこの生活状況の中で、チェンバロまじめに習うとかありえないし…

それで、そのとき勢いでチェンバロの入門書を買ったけど
「ハープシコード メソード 16世紀から18世紀の資料に基づく」(マリア・ボクソール)
それ以来放置で、別にチェンバロの練習をしたりとかはもちろんしてない。

そこへ今回、チェンバロを弾く機会があるというのでその入門書の最初のところをぱらぱら見ていましたら…

「指を動かし始める前に両方の手を、弾くべき鍵の上に持っていって配置するように心がけなさい。そうしないと、第一音は肩からの何のコントロールもない衝突音になってしまう。同じように最終音を離すときも、腕で手を鍵から放す前にその音を弾いている指が離さなくてはならない。」

つまり、弾き始めから弾き終わりまで、指はまずキーの上にスタンバった状態で、指だけが動いて、弦をひっかき、そして離す。

そして、チェンバロの表現の基本はとにもかくにも「アーティキュレーション」なのらしい。ピアノでは、レガートで(音と音がつながって)いくのが基本だけれども、チェンバロの場合は音と音に隙間があるほうが基本。どれだけ音を伸ばすかを音によって変えることでフレージングを行い、表現が豊かなものになっていく。

…無理だ…

この練習をピアノでするのは混迷を深めるばかりだ。せめて、クラビノーバで練習することにしよう(^^;; チェンバロ「っぽい」音も出るしね。

アーティキュレーションのほうはそんな俄仕立てでどうにかなるわけがないのであきらめるとして、せめて「フォルテにするつもりで叩かない」タッチを心がける。それと、なるべく親指くぐりのない指使いを工夫するとか??

(*)とりあえず、このときの体験を生かし、「速い曲を避ける」という方針が立てられたわけです。

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コメント
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