アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「春の祭典」はレッスン素材に最適なのか!?

2014年11月05日 | ピアノ
私とudurannさんがモーツァルトを弾いた次の曲は、ストラビンスキー春の祭典でした。

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さきさん&artomrさん、この組み合わせは夏にあった「音楽の星座」と同じなんだけど、そのときは曲の後半、今回は前半でした。全体弾くと長いもんね。

「音楽の星座」のときはいかにも準備不足を気合と度胸で乗り切った的な演奏だったんだけど、今回はかなり準備万端で、そりゃあもう迫力満点でした。

曲前のトークでartomrさんが、「初演のときは警察が来る騒ぎになった」とかいってたんですが、まぁこりゃ警察とか来るでしょうと素直に思える(「なんか、隣の人が気が狂ったみたいなんです!!」って通報されるに違いない)エネルギーがどっかん、ざっぱーんと押し寄せるかっこよさ。

それまで和声の進行がどうとかいってたのがふっとんで、リズムのうねりに腹からつかまれて、なんだかそのあと数日、頭の中をあの9/8拍子?とかの断片がぐるぐるしてしまいます。

それで終わったあと、artomrさんがいっていたのが
「春の祭典」はレッスンするのに最適な題材だと思うんですよ」云々。

この説は斬新すぎてほかの誰からも聞いたことはありませんが、そういえば前回のときも彼は
「春の祭典」は微分積分だ
とかいっていましたね。あの場合、それまでの数学の積み重ねとかは脇に置いて、それとは関係なく始まるというような趣旨でしょうか。

とにかく拍子が「変」で、イチから組み立てていかなきゃいけなくて、とてもじゃないけど感覚だけでつらつらと奏でていけるようなしろものではないわけ。

ストラビンスキーよりずっと前の音楽でも、たとえばシューマンとかとっても「変」なところがあって、それが、「春祭」をやっておけば弾けるようになるだろうと彼は主張しているのです。

…まぁ、ぶっちゃけ、「春祭」が弾ける人ならばシューマンの「ユーゲントアルバム」を弾けるだろうけど…

単に、難しい曲が弾ける人は簡単な曲も弾けるという趣旨であれば、先に難しい曲を練習させるということは、レッスンカリキュラムとして価値がないので、つまりartomrさんは、「春の祭典」のほうを先にやる意味がある(よりクリアである?)というふうに考えているんでしょうね。

それで、彼のレッスン理論を実践に移したことがあるかというと、実はない(現在、お弟子さんはいない)ということなので。じゃ、ちょっくら、せっかく春祭の楽譜を買ってしまった私が実験台になってこようかね。と思っております。

私はリズム感のいい人と悪い人の区別はつくけど(だから例えばartomrさんを指名して連弾やってもらったんだけど)、自分はリズム感なくて、でもなくっても別に楽しむには困らないので特に気にしてなかったのですが、今回の本番二日前練習のときにいきなりshigさんがその話(私のリズムがスパーンと決まらなくてそれが停滞感の元になっていること)を持ち出してきて、そんなこといまさらいわなくても~と往生したという事件がありました。

翌日あたり、弾いてると突然なんか「今のよくなかったよね~」とか気になって、なんか余計ぐだぐだにつっかえまくったりして困って(当日はもうふっきれてたんで影響はなく、つっかえた分は仕様です)、つまりshigさんは「改善の余地あり」と思ってるからいってくれたんだろうけど、私はそんなもん生まれつきだと思っていて(たとえば、こじろうは持ってて、またろうとはなひめは持ってない)、実際どんなもんでしょうかね?? 拍を数え間違うということならば練習して改善するだろうけど、リズムが欲しいとこにキマらないというのはね。

どうだかわからないけど、この機会(?)に、春祭をartomrさんに教えてもらうのも何か発見がありそうかなと。

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コメント (4)
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