「金スマ」野田あすかさん特集は、私もよしぞうも見たのだが、録画で別々に見ている。後日、「えっ!?」と思ったシーンについて話したら見事に一致していて、それは、お父さんが「自立ですよね」と言ったときだ。
←私も無くし物体質なのに家族の物を探す係になっちゃうのは釈然としない
これは、あすかさんが「塩と砂糖」のお使いに行ってあまりの疲れにソファーに倒れ込んだあと、最近少しずつできることが増えてきてうれしいという両親の思いを語ったところに出てきたセリフ。
「自立できるようになったら、こんなに嬉しいことはないです」
「障害を持つ子の親御さんの願いはみんなそこだと思うんですよね」
うん、障害があろうがなかろうが、親は子より先に死ぬということを見越して、みんなとっとと自立してくれやぁ、とそりゃ思ってる。当たり前だ。けど、このお父さんの考える「自立」というのと、私が考える「自立」というのは、ちょっと違うようだという違和感。
(なんか、ここより、またろうブログで書いたほうがよさそうな内容になってきたけど、勢いでこのまま行かせてもらいます)
元々、あすかさんくらいの顕著な発達障害の特徴がありながら、22歳の診断が青天の霹靂というのはいったいそれまでどうやって暮らしていたんだ、とそれが衝撃でもあるわけだが、両親ともそんなことは夢にも思わず、むしろふつうよりずいぶん厳しく育てていたようだ。
「ジャーンとピアノの和音を聞かせて、それらが何の音か当てる練習を毎朝のようにやっていました。
「これは何の音?」
母親に言われて、あすかが何の和音かを答えます。
「そうじゃない!」
間違いだと言われて、半べそをかきながら、あすかが別の和音を答えます。
「違うでしょ! わかるまで、これ、聴いときなさい!」
こうやって、毎日、妻に叱られて、あすかはよく泣きながらピアノに向かっていました。」(「発達障害のピアニストからの手紙」より、父の記述)
「私は必死だったのです。当時はあすかを健常者だと思っていましたし、少しでもほかの子どもと比べてできないことがあれば、負けたくない一心で口うるさくあすかを指導していました。(中略)そのときは人の目を気にして、まわりに何とかおいつかないと大変だと、私はそればかりを考えていたのです。」(「発達障害のピアニストからの手紙」より、母の記述)
あすかさんは、草むしりをさせればチャイムが鳴っても帰ってこないし、教室以外の場所で合えばクラスメイトであることもわからず(人の顔がわからない)、人と話すとき相手の目を見ない、通学経路のようないつもの道でも覚えられずしょっちゅう逆へ行ってしまうような子だったのに、そこ(ピアノの進度)がそんなに気になりますか??
最終的に、ピアノは得意なことに発展したのではあるけど、ふつうの子が簡単にできることも極端にできない部分があり(特に譜読み)、それをとにかくどなりつけてやらせることでなんとかかんとか追いつかせようっていうのは、親も子もたいへんなことだっただろう。
…気持ちはわからなくもない。
私だって、昔は…ほんとずいぶん昔だけど(笑) なんとかしてまたろうをカタにはめようと思ったものだ。
どなりつけたら「ふつうに」やれるというならそうしたかもしれない。ま、どうもならなくってあきらめたんだけど(-_-;;
あすかさんは、ともかく親子のがんばりで、学校の成績も良いままなんとか過ごせちゃったんだよね。
高一のとき、激しいいじめから自傷や不登校が始まったけど、転校で乗り越えてまた勉強をがんばり、
第一志望の大学に合格して、進学。
しかし過呼吸発作がひどくなってきて、解離性障害が強く出るに至って、入院。
退院し、田中先生との出会いがあって一時落ち着き、ウィーンへ短期留学。
そして発作、入院、異国の地でようやく発達障害の診断にたどり着く。
ほんとに、ようやく。長かった…
あすかさん本人は「わかってほっとしました」という受け止め方で、「治療費が1/10になるから障害者手帳を取りたい」というのだけど、
両親のとらえ方はまたまったく別。まずは「つまり治らないんだ」と絶望的になり、
「でも、障害者手帳を取るのは、そう簡単なことではありません。いったん障害者手帳を取れば、世間にあすかの障害を知らせることになります。将来のお見合いや結婚にも影響が出るでしょう。はたして、あすかに障害者手帳を持たせていいのかどうか、親として二の足を踏むのは当然でした。」(「発達障害のピアニストからの手紙」より、父の記述)
いやいやいや、隠して結婚とか無理だし、第一、そんなことよりあすかさんのことがよくわかったうえで好きになってくれる人といっしょじゃなきゃ幸せに暮らせないでしょうが!!
あすかさんとまたろうでは生まれた年がだいぶ違うので、最初のころ、発達障害という概念が広まってなかったのはしょうがない。けど少なくとも自閉症だったら知られていたはずだし、どこもかしこも体当たりみたいな対応しかないのはなぜ。
ということで、私から見るとあすかさんのご両親の対応は納得いかないところが多いんだけれども、でもそうやって厳しく迫って凸凹の凹をがんばらせるような路線を究極に推し進めた先に、そしてつらいつらい解離性障害(発達障害からの二次障害と思われる)にも悩んだ末に、もうそういう何もかもをあすかさん自身の個性として取り込んだうえでの、多くの人の感動を呼ぶ演奏「こころのおと」。
いや無理。こういう子育て無理。
もちろん結局、この両親も娘の障害を認めて(障害者のコンクールに出るとき逡巡があり、結局許した)今のコンサート活動に至るんだけど、まぁでも「自立」の考え方とか、我が家の在り方(ゆるゆる)とはだいぶ違うみたい。これから先もまだひと山ふた山ありそうだけど、あすかさんの幸せで充実した生活がありますように…
(…今、またろうの年金手帳が見つからなくて、探させているんだけど、「そういうなくなると面倒なもので、ふだんいらないものはこっちで預かっとくか?」なんてことをつい言ってしまって…いや、自立は~)
(注: またろうとあすかさんは発達障害といっても住む星系がだいぶ違うので比べてもあまり何もわからない。親が自立を願い葛藤するところは同じだけども)
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育

「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社

これは、あすかさんが「塩と砂糖」のお使いに行ってあまりの疲れにソファーに倒れ込んだあと、最近少しずつできることが増えてきてうれしいという両親の思いを語ったところに出てきたセリフ。
「自立できるようになったら、こんなに嬉しいことはないです」
「障害を持つ子の親御さんの願いはみんなそこだと思うんですよね」
うん、障害があろうがなかろうが、親は子より先に死ぬということを見越して、みんなとっとと自立してくれやぁ、とそりゃ思ってる。当たり前だ。けど、このお父さんの考える「自立」というのと、私が考える「自立」というのは、ちょっと違うようだという違和感。
(なんか、ここより、またろうブログで書いたほうがよさそうな内容になってきたけど、勢いでこのまま行かせてもらいます)
元々、あすかさんくらいの顕著な発達障害の特徴がありながら、22歳の診断が青天の霹靂というのはいったいそれまでどうやって暮らしていたんだ、とそれが衝撃でもあるわけだが、両親ともそんなことは夢にも思わず、むしろふつうよりずいぶん厳しく育てていたようだ。
「ジャーンとピアノの和音を聞かせて、それらが何の音か当てる練習を毎朝のようにやっていました。
「これは何の音?」
母親に言われて、あすかが何の和音かを答えます。
「そうじゃない!」
間違いだと言われて、半べそをかきながら、あすかが別の和音を答えます。
「違うでしょ! わかるまで、これ、聴いときなさい!」
こうやって、毎日、妻に叱られて、あすかはよく泣きながらピアノに向かっていました。」(「発達障害のピアニストからの手紙」より、父の記述)
「私は必死だったのです。当時はあすかを健常者だと思っていましたし、少しでもほかの子どもと比べてできないことがあれば、負けたくない一心で口うるさくあすかを指導していました。(中略)そのときは人の目を気にして、まわりに何とかおいつかないと大変だと、私はそればかりを考えていたのです。」(「発達障害のピアニストからの手紙」より、母の記述)
あすかさんは、草むしりをさせればチャイムが鳴っても帰ってこないし、教室以外の場所で合えばクラスメイトであることもわからず(人の顔がわからない)、人と話すとき相手の目を見ない、通学経路のようないつもの道でも覚えられずしょっちゅう逆へ行ってしまうような子だったのに、そこ(ピアノの進度)がそんなに気になりますか??
最終的に、ピアノは得意なことに発展したのではあるけど、ふつうの子が簡単にできることも極端にできない部分があり(特に譜読み)、それをとにかくどなりつけてやらせることでなんとかかんとか追いつかせようっていうのは、親も子もたいへんなことだっただろう。
…気持ちはわからなくもない。
私だって、昔は…ほんとずいぶん昔だけど(笑) なんとかしてまたろうをカタにはめようと思ったものだ。
どなりつけたら「ふつうに」やれるというならそうしたかもしれない。ま、どうもならなくってあきらめたんだけど(-_-;;
あすかさんは、ともかく親子のがんばりで、学校の成績も良いままなんとか過ごせちゃったんだよね。
高一のとき、激しいいじめから自傷や不登校が始まったけど、転校で乗り越えてまた勉強をがんばり、
第一志望の大学に合格して、進学。
しかし過呼吸発作がひどくなってきて、解離性障害が強く出るに至って、入院。
退院し、田中先生との出会いがあって一時落ち着き、ウィーンへ短期留学。
そして発作、入院、異国の地でようやく発達障害の診断にたどり着く。
ほんとに、ようやく。長かった…
あすかさん本人は「わかってほっとしました」という受け止め方で、「治療費が1/10になるから障害者手帳を取りたい」というのだけど、
両親のとらえ方はまたまったく別。まずは「つまり治らないんだ」と絶望的になり、
「でも、障害者手帳を取るのは、そう簡単なことではありません。いったん障害者手帳を取れば、世間にあすかの障害を知らせることになります。将来のお見合いや結婚にも影響が出るでしょう。はたして、あすかに障害者手帳を持たせていいのかどうか、親として二の足を踏むのは当然でした。」(「発達障害のピアニストからの手紙」より、父の記述)
いやいやいや、隠して結婚とか無理だし、第一、そんなことよりあすかさんのことがよくわかったうえで好きになってくれる人といっしょじゃなきゃ幸せに暮らせないでしょうが!!
あすかさんとまたろうでは生まれた年がだいぶ違うので、最初のころ、発達障害という概念が広まってなかったのはしょうがない。けど少なくとも自閉症だったら知られていたはずだし、どこもかしこも体当たりみたいな対応しかないのはなぜ。
ということで、私から見るとあすかさんのご両親の対応は納得いかないところが多いんだけれども、でもそうやって厳しく迫って凸凹の凹をがんばらせるような路線を究極に推し進めた先に、そしてつらいつらい解離性障害(発達障害からの二次障害と思われる)にも悩んだ末に、もうそういう何もかもをあすかさん自身の個性として取り込んだうえでの、多くの人の感動を呼ぶ演奏「こころのおと」。
いや無理。こういう子育て無理。
もちろん結局、この両親も娘の障害を認めて(障害者のコンクールに出るとき逡巡があり、結局許した)今のコンサート活動に至るんだけど、まぁでも「自立」の考え方とか、我が家の在り方(ゆるゆる)とはだいぶ違うみたい。これから先もまだひと山ふた山ありそうだけど、あすかさんの幸せで充実した生活がありますように…
(…今、またろうの年金手帳が見つからなくて、探させているんだけど、「そういうなくなると面倒なもので、ふだんいらないものはこっちで預かっとくか?」なんてことをつい言ってしまって…いや、自立は~)
(注: またろうとあすかさんは発達障害といっても住む星系がだいぶ違うので比べてもあまり何もわからない。親が自立を願い葛藤するところは同じだけども)
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育

「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社