自分の弾きたい曲を、とりあえず弾いてみているというときに、それがどんな練習になっているのかは、その弾き方・聴き方・考え方によって様々だ。
←弾きたい曲が多すぎて困るんだけど
ただなんとなく弾いていても、慣れていけばだんだん音がスムーズに並ぶようになっていくし、それは少ーし、練習ではある。大人ピアノ再開してすぐのころは、ほぼそんな感じで、でもひとつの曲を数か月「練習」していれば、まぁ発表会で弾いて、それなりの充実感。
このころの「練習」を思い返すに、そんなに自分の音を聞いていなかったかも!?
つっかえて、弾き直しても、頭の中でうまくつなげれば、ハイ素晴らしい流れ、これでおっけー。
がちがち弾いて、濁った音色でも、頭の中でうまく修正すれば、ハイ素晴らしい音色、これでおっけー。
つまり、曲を手でだいたい「再生」すればそれを雑に聞いてあとは脳内修正するからぜんぜんだいじょぶなのね。変な話だけど。
脳内修正だけは昔からとてもうまかったです。なにしろお腹の中にいるころからたどたどしいピアノを聴きまくっていますからね。年季が入ってます。
それがだんだん変わってきて、実際の響きに耳を傾けてしまう…そしてこうではなくてこういう音がほしいなと考えてしまう…そして弾き方を工夫する…
結局のところ、日々弾いているときにいつもそばについている「先生」は自分の耳(ともちろんそれに付随する脳みそ)であって、その「先生」のお好みによって、「練習」の内容は変わり、引っ張られる方向も変わってくるわけです。
それでは、その「自分の耳(+脳)先生」は何によって変わってきたのかといえば、
・ほかの人の演奏を聞くこと(プロから初心者まで)
・レッスンを受けること
・楽器から教えてもらうこと
・本を読む、人の話を聞くなど
などで少しずつ変わってきます。少しずつといっても、感覚としては、連続的に変わってくるというよりは、ときどき「ジャンプ」があるというのに近いと思います。
ここまでの話でいうと、練習の仕方としては要するに「曲を弾く」ということであって、あんまり見た目は変わりがありません。実際に中身は変わっているんですけれども。
それにプラスして、練習の「見た目」が変わっている部分も多少はあります。
それは練習の仕方というか組み立ての問題で…前はとにかく通して弾くということばかりしていたように思いますが、
今は部分に区切って何度も弾いてみることで収束が早いとか(わりとよくやるようになった)
謎すぎるときは片手で弾いてみるとか(たまに)
何がうまくないんだろ? と思えば録音して聞いてみるとか(たまに)
なんかわけわからんと思えばアナリゼ的なことをしてみる(稀)
そういった工夫のバラエティーも増えてきて、それは効率アップにつながっていると思います。
工夫のバラエティーは、だいたいにおいてレッスンのときに先生が「こうやってみたら」って提案したことだったりして、そんでもって「楽しくない練習はしません」ってな状況であったのが、あるときからそれを取り入れてみたら「あらこれはいいわね」ってことになって(^^;;
楽しいレパートリーが増えてくる。
ということでずいぶん練習内容も(いろんな意味で)豊かになってきたと思いますが、まだ取り入れてないものがあります。というか今後も特に予定ないです。それは
好きな曲を弾けるようになるために、弾きたい曲以外のものを練習する
という方法です。つまり、ハノンとかチェルニーとか。
チェルニーはいくつか弾いてみましたが、かわいくてきれいな曲でした。弾いて楽しかったですが、ほかの曲が立て込んできたらいつの間にか忘れてしまいました。ハノンは別に弾きたいと思わないので弾かない。
一回目にモツ煮(モーツァルト二台のピアノのためのソナタ)をやったとき、厳選音階練習(関係調のみ)をお勧めされたのですが、そんな真心こもったアドバイスなのに、ちょい試してそんなにピンとこなかったのでやめてしまいました。
ということで、結局音階練習はどうなったのか。という記事を次に。
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ただなんとなく弾いていても、慣れていけばだんだん音がスムーズに並ぶようになっていくし、それは少ーし、練習ではある。大人ピアノ再開してすぐのころは、ほぼそんな感じで、でもひとつの曲を数か月「練習」していれば、まぁ発表会で弾いて、それなりの充実感。
このころの「練習」を思い返すに、そんなに自分の音を聞いていなかったかも!?
つっかえて、弾き直しても、頭の中でうまくつなげれば、ハイ素晴らしい流れ、これでおっけー。
がちがち弾いて、濁った音色でも、頭の中でうまく修正すれば、ハイ素晴らしい音色、これでおっけー。
つまり、曲を手でだいたい「再生」すればそれを雑に聞いてあとは脳内修正するからぜんぜんだいじょぶなのね。変な話だけど。
脳内修正だけは昔からとてもうまかったです。なにしろお腹の中にいるころからたどたどしいピアノを聴きまくっていますからね。年季が入ってます。
それがだんだん変わってきて、実際の響きに耳を傾けてしまう…そしてこうではなくてこういう音がほしいなと考えてしまう…そして弾き方を工夫する…
結局のところ、日々弾いているときにいつもそばについている「先生」は自分の耳(ともちろんそれに付随する脳みそ)であって、その「先生」のお好みによって、「練習」の内容は変わり、引っ張られる方向も変わってくるわけです。
それでは、その「自分の耳(+脳)先生」は何によって変わってきたのかといえば、
・ほかの人の演奏を聞くこと(プロから初心者まで)
・レッスンを受けること
・楽器から教えてもらうこと
・本を読む、人の話を聞くなど
などで少しずつ変わってきます。少しずつといっても、感覚としては、連続的に変わってくるというよりは、ときどき「ジャンプ」があるというのに近いと思います。
ここまでの話でいうと、練習の仕方としては要するに「曲を弾く」ということであって、あんまり見た目は変わりがありません。実際に中身は変わっているんですけれども。
それにプラスして、練習の「見た目」が変わっている部分も多少はあります。
それは練習の仕方というか組み立ての問題で…前はとにかく通して弾くということばかりしていたように思いますが、
今は部分に区切って何度も弾いてみることで収束が早いとか(わりとよくやるようになった)
謎すぎるときは片手で弾いてみるとか(たまに)
何がうまくないんだろ? と思えば録音して聞いてみるとか(たまに)
なんかわけわからんと思えばアナリゼ的なことをしてみる(稀)
そういった工夫のバラエティーも増えてきて、それは効率アップにつながっていると思います。
工夫のバラエティーは、だいたいにおいてレッスンのときに先生が「こうやってみたら」って提案したことだったりして、そんでもって「楽しくない練習はしません」ってな状況であったのが、あるときからそれを取り入れてみたら「あらこれはいいわね」ってことになって(^^;;
楽しいレパートリーが増えてくる。
ということでずいぶん練習内容も(いろんな意味で)豊かになってきたと思いますが、まだ取り入れてないものがあります。というか今後も特に予定ないです。それは
好きな曲を弾けるようになるために、弾きたい曲以外のものを練習する
という方法です。つまり、ハノンとかチェルニーとか。
チェルニーはいくつか弾いてみましたが、かわいくてきれいな曲でした。弾いて楽しかったですが、ほかの曲が立て込んできたらいつの間にか忘れてしまいました。ハノンは別に弾きたいと思わないので弾かない。
一回目にモツ煮(モーツァルト二台のピアノのためのソナタ)をやったとき、厳選音階練習(関係調のみ)をお勧めされたのですが、そんな真心こもったアドバイスなのに、ちょい試してそんなにピンとこなかったのでやめてしまいました。
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