これから弾く曲を考えるときに、ひとつにはもちろんこれまで弾いたことのない曲(で、一生のうちには弾きたい曲)を選びたいのだけど…
←難曲は時間ばかりかかってコスパ悪い。と思うのについ。。
それは、「これからの人生、今が一番若いんだから」なるべく「今」手をつけておくことで今後取り組みやすくなるということでもあるし、
未知の曲への興味ということでもある。
でももうひとつには、過去の自分がいったんは取り組んでおいてくれた曲を再度やってみるってのがあるよね。
それはつまり、過去の投資による実りを刈り取ることでもあると思うの。
これも、うっかりやらないうちに人生が終わっちゃうともったいないからね??
それに、過去に自分が弾いた曲ってのは、すなわち自分の好みの曲でもあるわけで、そういう意味では選曲の効率も良いわけです。
それで、ここんとこ、何年か前に自分がYouTubeにアップしたようなものをいろいろ聞いてたんだけど
…いやーーーー過去の自分があまりに難曲好きなんであきれるわ(^^;;
ショパン スケルツォ2番、ショパン バラード1番、ショパン バラード3番、ショパン ノクターン13番、ラヴェル 道化師の朝の歌、ラヴェル ソナチネ、フォーレ ノクターン1番、フォーレ ノクターン4番、ラフマニノフ 前奏曲op23-5、ラフマニノフ エレジー
とか。あまりに突っ走りすぎてて過去の自分に追いつけません。この中でフォーレのノクターン4番はなんとか引っ張り出して再度弾いたんだけど(2016年一月にあったピ練会発表会)、難しすぎて維持できない(-_-;; からもう弾けない
なぜそんな方向へ走っちゃってたのかといえば、ピアノを弾くってことがすなわち「せっせと音を並べる」ということにすぎず、だからそっち方面に面白みがあると思ってたということなのでしょう。実際、そのころの私が「簡単な曲(音符をとりあえず並べるには簡単な曲)」を弾いたとしてもつまらん演奏になっていたでしょうしそれはそれって気もしますが。
今は、このころに比べるとずっと、ピアノを弾くおもしろさそのものが自分の中で進化を遂げたので、難曲ばかり弾きたいとは思いません。
いわゆる難易度的に言うと、易しいものから難しいものまでかなりの幅で選曲していますが、人前で弾いたときに評判がよかったものというと、実はほとんどが易しい曲のとき。
大辻ゴンとかシベリウス小品とかブルクミュラーとか耳をすませぱとか。
吉松の小さな四つの夢とか
モツソナ「ドーミソシードレド」とか。
ややこしい曲に挑戦したときはだいたいハズしてる。(たぶん唯一の例外がアルカンの「ファ」)
まぁ考えてみれば当たり前な話で、聞く側からいえば、私がめいっぱい難曲を選んだところでどうせ「そんな曲弾けてすげぇ」になるはずもないんだし、そんなめいっぱいな演奏を聞かされるよりは、どんな曲かよくわかるように整理して提示されたうえで、何がしか余裕があってそこに「その人なりの良さ(きれいとか、新鮮とか、おもしろいとかsomething)」がある演奏のほうがよっぽどいいものねぇ。
自分でもそのほうが弾いていて楽しいし(今となっては)。
だからもういい加減に難曲路線はやめよう…
と、思うんだけど…
過去のろくでもない録音を聞くと
「あぁもう!! 今弾けばもうちょっとマシに弾けるはず」
って思っちゃって、つい弾きたくなっちゃう。
というわけで、この秋は
プロコフィエフ「ロミオとジュリエット-ピアノのための10の小品」より10.別れの前のロミオとジュリエット
に再度挑戦します(2012年の「おろしあおふ」で大破したやつ)。
周り(レッスンをしなければならないおゆき先生と、その会のときに聞く人)にはいい迷惑かも…
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それは、「これからの人生、今が一番若いんだから」なるべく「今」手をつけておくことで今後取り組みやすくなるということでもあるし、
未知の曲への興味ということでもある。
でももうひとつには、過去の自分がいったんは取り組んでおいてくれた曲を再度やってみるってのがあるよね。
それはつまり、過去の投資による実りを刈り取ることでもあると思うの。
これも、うっかりやらないうちに人生が終わっちゃうともったいないからね??
それに、過去に自分が弾いた曲ってのは、すなわち自分の好みの曲でもあるわけで、そういう意味では選曲の効率も良いわけです。
それで、ここんとこ、何年か前に自分がYouTubeにアップしたようなものをいろいろ聞いてたんだけど
…いやーーーー過去の自分があまりに難曲好きなんであきれるわ(^^;;
ショパン スケルツォ2番、ショパン バラード1番、ショパン バラード3番、ショパン ノクターン13番、ラヴェル 道化師の朝の歌、ラヴェル ソナチネ、フォーレ ノクターン1番、フォーレ ノクターン4番、ラフマニノフ 前奏曲op23-5、ラフマニノフ エレジー
とか。あまりに突っ走りすぎてて過去の自分に追いつけません。この中でフォーレのノクターン4番はなんとか引っ張り出して再度弾いたんだけど(2016年一月にあったピ練会発表会)、難しすぎて維持できない(-_-;; からもう弾けない
なぜそんな方向へ走っちゃってたのかといえば、ピアノを弾くってことがすなわち「せっせと音を並べる」ということにすぎず、だからそっち方面に面白みがあると思ってたということなのでしょう。実際、そのころの私が「簡単な曲(音符をとりあえず並べるには簡単な曲)」を弾いたとしてもつまらん演奏になっていたでしょうしそれはそれって気もしますが。
今は、このころに比べるとずっと、ピアノを弾くおもしろさそのものが自分の中で進化を遂げたので、難曲ばかり弾きたいとは思いません。
いわゆる難易度的に言うと、易しいものから難しいものまでかなりの幅で選曲していますが、人前で弾いたときに評判がよかったものというと、実はほとんどが易しい曲のとき。
大辻ゴンとかシベリウス小品とかブルクミュラーとか耳をすませぱとか。
吉松の小さな四つの夢とか
モツソナ「ドーミソシードレド」とか。
ややこしい曲に挑戦したときはだいたいハズしてる。(たぶん唯一の例外がアルカンの「ファ」)
まぁ考えてみれば当たり前な話で、聞く側からいえば、私がめいっぱい難曲を選んだところでどうせ「そんな曲弾けてすげぇ」になるはずもないんだし、そんなめいっぱいな演奏を聞かされるよりは、どんな曲かよくわかるように整理して提示されたうえで、何がしか余裕があってそこに「その人なりの良さ(きれいとか、新鮮とか、おもしろいとかsomething)」がある演奏のほうがよっぽどいいものねぇ。
自分でもそのほうが弾いていて楽しいし(今となっては)。
だからもういい加減に難曲路線はやめよう…
と、思うんだけど…
過去のろくでもない録音を聞くと
「あぁもう!! 今弾けばもうちょっとマシに弾けるはず」
って思っちゃって、つい弾きたくなっちゃう。
というわけで、この秋は
プロコフィエフ「ロミオとジュリエット-ピアノのための10の小品」より10.別れの前のロミオとジュリエット
に再度挑戦します(2012年の「おろしあおふ」で大破したやつ)。
周り(レッスンをしなければならないおゆき先生と、その会のときに聞く人)にはいい迷惑かも…
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