アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「楽しい練習」へのこだわり

2017年08月17日 | ピアノ
炎上型の話題づくりなのかもしれないけど「「文武両道あり得ない」下関国際・坂原監督が野球論語る」は強烈だった。

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朝5時から練習、夜も21時とか、遅いときは23時まで。野球と勉学の両立は、
「無理です。『一流』というのは『一つの流れ』。例えば野球ひとつに集中してやるということ。文武両道って響きはいいですけど、絶対逃げてますからね。東大を目指す子が2時間の勉強で受かるのか。10時間勉強しても足りないのに」と言い切る。
#10時間勉強しても足りない人は何時間勉強しても東大受からないと思うけどね

「自主性というのは指導者の逃げ」…自主的にやるまで待っていたら(高校)3年間終わっちゃう。

で、記事の最後が
「他校の監督さんは『楽しい野球』と言うけど、嘘ばっかり。楽しいわけがない。僕は現役のとき、日々の練習で野球が楽しいと思ったことはなかった。『楽しく』という餌をまかないと(選手が)来ないような学校はちょっと違う」
つまりこの監督さんが嫌いなワードは「文武両道」「自主性」「楽しい」ということなのだが。

練習は楽しくなく、強制されるもので、野球以外のことをする時間はなく、このチームの選手たちは何を求めて野球部にいるのかな。甲子園に行ければすべて報われるの??

ま、人それぞれだから余計なお世話だけどね。この監督さんは、スポ根界(そんな世界があればだが)の中でもわりと極端な人なのかなと思うんだけど(*)、私は反スポ根界(そんな世界があればだが)の中でも極端な人なので、趣味でやることの練習は「楽しい」範囲に限定するのがポリシーなんです。

おゆき先生に習い始めてしばらくのころに、おゆき先生がなんか練習方法をアドバイスしたのに対して私が即「楽しくない練習はしません」といっておゆき先生ブットビだった事件があったけれども、だって自分のポリシーがこうだというのはお伝えしておくほうがいいものねぇ…秘密にしておくとあとあと齟齬が生まれます。

ただ、練習が楽しいというには、いろんなアプローチがあるのであって、別にゆるいほど楽しいとか、脳みそ使わないで弾き散らかすのがいちばん楽しいとは限らないですよね。もちろん、なんとなく指を動かしてなんとなく知ってる曲(に類似した何か)が聞こえるのが楽しいというんだって、あることはあるし、それで他人から咎められるいわれはないわけですが。

それより、タッチを工夫したら、こんな音色も出るとか、和音のバランスを変えてみたら、響きの表情が変わったとか、調と和声を考えたらそうかこういう進行だったのかとか、音階をもっと滑らかに粒ぞろいに弾けるように練習したらぐっとイキイキしてきたとか…もっといろんな楽しみ方があります。

つまり、どんな練習をしたらどんなふうに楽しめるかというのも、その人の実力というかポテンシャルによって変わってくるので、ハノンを弾いて楽しい人もいるし(そしてその楽しみ方も様々)、楽しくない人もいる。

楽しくない人の中には、今この楽しくない練習をすることによって、明日の楽しみの幅が広がるのであれば(たとえばもっと難しい曲がきれいに弾けるとか、コンクールでよい評価が受けられるとか)、がんばりたい、と思う人もいるし、それがその人の幸福追求のスタイルなのだけど、

私はそれをしない。

というのが大人ピアノを再開してからのゆるぎないポリシー。このポリシーの利点は、結果としてうまくなってもならなくてもまったく問題なく楽しくピアノが続けられるということ。

そのポリシーで長年(15年くらい?)やってきて思うことは、何を持って「楽しい」と感じるかは変化してきているということです。それは、「楽しさ」維持は常に退屈・マンネリとの戦いなのだから、楽しみ続けるために必然的に深まってくるという性質があるからだと思います。つまり、「楽しい」範囲に限定する練習にこだわり続けていても、その練習の内容や質は違うものになってくる。

「楽しい」練習の質が向上してくるということとピアノがうまくなるということはイコールではなくて、まぁ積分で効いてくるとしてもじわっとしたものだろうけど、実は、「楽しい」範囲の練習にこだわることは、ちゃんと「上達」の方向に向かっていくものなのです。本質的に。

それに、「楽しい」から自主的に脳みそ使ってるという状態は、その人の能力を最大限発揮させるものであるわけですし。

その結果どのくらい前進できるかは、才能の問題になってくるので、これはもう人それぞれとしかいいようがないんだけど、結局のところ、「楽しい練習」にこだわることは、上達のためにもたいしたマチガイじゃないと私は思っているのです。件の監督さんとは一生、お友達になれなそうだわね。

(*)スポーツ系の人でも、「武井壮 下関国際高校野球部監督の「文武両道あり得ない」に異論」にあるように、「練習をやったら本当にその実力が身について、正しく伸びていけることが1番の喜び」「(成長のために)必要な勉学を勉強するのは、ぼくはむしろ『楽しい』に入ると思う」のように考える人もいる。どちらのタイプが超一流になりうるかはまぁお察しだと思うんだけど、そもそもこの監督さんが対象にしているのは、本人が自主的に練習の楽しさを見出していくスタイルで超一流になるような子じゃないってところがあるので、批判してもしょうがないのかもしれない。

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コメント (22)
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