おゆき先生レッスンでロミジュリを見てもらったとき、時間あんまりなかったけどモツソナも見てもらってて…
←今しみ込んだものが明日の自分を作る
私がえらい楽しそうに弾いてるので(たぶん)、先生が言うには
「やはり小さいころたくさん聞いていたのが残っているから、なんだかんだいってもこういうのがお好きなんでしょうね」
とかなんとか
…確かに。小さいってほんとに小さい、お腹の中にいたころから、物心つくまで、最も多く聞いたのがいわゆる古典派の音楽だろうから。
バッハでもなく、ショパンでもベートーベンでもなくモーツァルトだと思う。最多は。
もちろんベートーベンとかシューベルトとかバッハとかもそれなりに聞いてるけど。
あと、クレメンティとかハイドンとかまぁそんな感じのソナチネアルバムに入ってるようなやつは頻繁に。
まぁ、そんなに幸せな演奏は聞いてないと思うんだけどね(^^;;
量ならすごい。
ヤマハで大人ピアノ再開したのち、みんなの弾かない曲を求めて…それと、自分にとっても新鮮な響きを求めて、いろんなややこしい曲に手を出し(フォーレとかラフマニノフとかファリャとかグラナドスとか)それはそれなりに気に入ったんだけれども、なんか気が付くと
つつつ…とモーツァルトに引き寄せられて戻ってくるみたいな感じ。
というわけで、私にとっての「刷り込み」の第一はモーツァルトです。
そして「刷り込み」には第二もありまして、時期的には中高生、思春期というか青春というか、そんな時代に聞いて歌って毎日まいにち、というわけで賛美歌、グローリア、ハレルヤとかそういうキリスト教系の音楽。
六年間を通して、というか今に至るまでキリスト教そのものには格別の興味関心もなく、宗教心皆無ですが、そんなこととはお構いなく、音楽というものはしみ込んできてしまうものでして、
はなひめの学校を探してあちこち見学に行ってたころも、生徒さんたちがグローリア歌ってるビデオを見ちゃったり(埼玉の某女子校)、学校説明会を聞きに部屋に入っていくと生のオルガン演奏が流れていたり(都内の某共学校)、そんなときに理由もなくクラッと「あ、よさげな学校」と感じてしまうというような無防備な思考停止な状態(笑)
音楽の力、侮りがたし。
キリスト教ってば、こうやって信者を増やしてきたのね。
リスト編曲のAve Verum Corpus聞いたらやっぱりこれまたクラッときちゃって、
フレーズや響きの端々に、
祈りの気持ちを感じたり、
神の存在を感じたり、
なんか変な話ですよねぇ、でもこれ理屈じゃないんです。骨の髄まで叩き込まれてしまっていますね。
一方、吉松編曲のAve Verum Corpusはそんなにビビッと来ません。あれは編曲のおもしろさとかそういう問題じゃなくて、宗教的じゃないと思う。
そしてさらに、第三の「刷り込み」としてなぜか「ダンタイソンのショパン」というのがあって…
彼がショパンコンクールに優勝した関係で、私がFMのエアチェック(←レトロ)を始めてクラシック曲を聴き漁るようになったころにたくさん放送されてたんです。当然、私のカセットテープコレクションの中にも「ダンタイソンのショパン」が主要な位置を占めるようになってまして…
後年、大人ピアノ再開してからショパンのノクターンを弾いてみるに至って、いろんな演奏を聞きましたが、アルゲリッチ、アシュケナージ、清水和音、どれもピンと来なくて、さらにあれこれ探していたら、
これだ!!
しっくりはまったのはダンタイソン(の若いころ)のノクターン全集でした。それって「刷り込み」だよね…
そんな具合に、音楽を聞き続けるとそれが染み込んで取れなくなるので(^^;;
たぶん、今たくさん聞いたものも、若いころほどじゃないかもしれないけど、100歳から見れば50歳なんて若いですから(笑)
たくさん浴びた音楽が後の自分を作る、と思うんです。
食べたものが栄養になって体を作っている、みたいに。
そう考えると、何を聞くかというのはけっこう重要なことです。
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私がえらい楽しそうに弾いてるので(たぶん)、先生が言うには
「やはり小さいころたくさん聞いていたのが残っているから、なんだかんだいってもこういうのがお好きなんでしょうね」
とかなんとか
…確かに。小さいってほんとに小さい、お腹の中にいたころから、物心つくまで、最も多く聞いたのがいわゆる古典派の音楽だろうから。
バッハでもなく、ショパンでもベートーベンでもなくモーツァルトだと思う。最多は。
もちろんベートーベンとかシューベルトとかバッハとかもそれなりに聞いてるけど。
あと、クレメンティとかハイドンとかまぁそんな感じのソナチネアルバムに入ってるようなやつは頻繁に。
まぁ、そんなに幸せな演奏は聞いてないと思うんだけどね(^^;;
量ならすごい。
ヤマハで大人ピアノ再開したのち、みんなの弾かない曲を求めて…それと、自分にとっても新鮮な響きを求めて、いろんなややこしい曲に手を出し(フォーレとかラフマニノフとかファリャとかグラナドスとか)それはそれなりに気に入ったんだけれども、なんか気が付くと
つつつ…とモーツァルトに引き寄せられて戻ってくるみたいな感じ。
というわけで、私にとっての「刷り込み」の第一はモーツァルトです。
そして「刷り込み」には第二もありまして、時期的には中高生、思春期というか青春というか、そんな時代に聞いて歌って毎日まいにち、というわけで賛美歌、グローリア、ハレルヤとかそういうキリスト教系の音楽。
六年間を通して、というか今に至るまでキリスト教そのものには格別の興味関心もなく、宗教心皆無ですが、そんなこととはお構いなく、音楽というものはしみ込んできてしまうものでして、
はなひめの学校を探してあちこち見学に行ってたころも、生徒さんたちがグローリア歌ってるビデオを見ちゃったり(埼玉の某女子校)、学校説明会を聞きに部屋に入っていくと生のオルガン演奏が流れていたり(都内の某共学校)、そんなときに理由もなくクラッと「あ、よさげな学校」と感じてしまうというような無防備な思考停止な状態(笑)
音楽の力、侮りがたし。
キリスト教ってば、こうやって信者を増やしてきたのね。
リスト編曲のAve Verum Corpus聞いたらやっぱりこれまたクラッときちゃって、
フレーズや響きの端々に、
祈りの気持ちを感じたり、
神の存在を感じたり、
なんか変な話ですよねぇ、でもこれ理屈じゃないんです。骨の髄まで叩き込まれてしまっていますね。
一方、吉松編曲のAve Verum Corpusはそんなにビビッと来ません。あれは編曲のおもしろさとかそういう問題じゃなくて、宗教的じゃないと思う。
そしてさらに、第三の「刷り込み」としてなぜか「ダンタイソンのショパン」というのがあって…
彼がショパンコンクールに優勝した関係で、私がFMのエアチェック(←レトロ)を始めてクラシック曲を聴き漁るようになったころにたくさん放送されてたんです。当然、私のカセットテープコレクションの中にも「ダンタイソンのショパン」が主要な位置を占めるようになってまして…
後年、大人ピアノ再開してからショパンのノクターンを弾いてみるに至って、いろんな演奏を聞きましたが、アルゲリッチ、アシュケナージ、清水和音、どれもピンと来なくて、さらにあれこれ探していたら、
これだ!!
しっくりはまったのはダンタイソン(の若いころ)のノクターン全集でした。それって「刷り込み」だよね…
そんな具合に、音楽を聞き続けるとそれが染み込んで取れなくなるので(^^;;
たぶん、今たくさん聞いたものも、若いころほどじゃないかもしれないけど、100歳から見れば50歳なんて若いですから(笑)
たくさん浴びた音楽が後の自分を作る、と思うんです。
食べたものが栄養になって体を作っている、みたいに。
そう考えると、何を聞くかというのはけっこう重要なことです。
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