アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

調性と色彩と萌え

2019年02月18日 | ピアノ
レッスンで、artomr先生はほかの先生より「まず、かっちり一定のテンポで弾く」ことに特にこだわるほうだと思うんだけど、

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←「萌え」ポイントは人それぞれ

もちろん、ルバートしないという意味ではなくてね。

たとえば、フォーレのノクターン6番の場合、早速7小節目に「萌え転調」があって、
そこでは
「ルバートしてもいい」
とartomr先生もいってた。


いつからそう思ってたか今となっては定かではないんだけど、
曲の中で「萌え」があったらそこを「ね? いいでしょ??」と自分も聞くし聞いてる人にも聞いてほしいから「つい」微妙に余分な時間をとる、それがルバートだとなんとなく思っている。

それが「正しい」のかどうか知らないけど、
まぁそう思って弾いた子供の情景の第一曲とか、吉松の過去形のロマンスとかでartomr先生がルバートほめてくれたのでそんなにハズれてないだろう。

「萌え」は転調に限らないけど、転調に大きくかかわることは確か。

だからこの曲なんて「萌え」のカタマリだよね。まぁあんまりハメを外しすぎないように弾かないとね(笑)

ところで、こういう、調性の変化から何かを感じる力というのは、もちろん絶対音感が必要なものではなく(それだったら私は一生無縁)、相対的に音を感じ取れればまったく支障ない。ただ、今日、かつさんのブログで紹介されていて見たページにあった記述

ピアノ教材研究:木下牧子 不思議の国のアリスより:
この曲集全般を通して眺めてふと思ったことは、 ひょっとしてこの方は調性の差異による微妙な色彩感覚の相違を実感できない方なのだろうか、(絶対音感をお持ちではないのだろうか) ということである。結局10曲とも色彩的には同系色というかモノクロのトーンばかりなのである。
-----

これを読んで、「?? 絶対音感と調性による色彩感に何の関係が??」と思って最初は不思議に思ったんだけれど、よく考えると、「この曲集全般を通して眺めてふと思ったことは、」とあるので、曲の中での変化ではなくて、曲ごとに何の調で書くかという配置の問題なのかな? と…

上記でいう「萌え」と転調というのはあくまで曲の中の話だけれども、
そうではなくて、曲が途切れてしばらくして(あるいは別の日に)組曲の中の別の曲を聞いたとき、その曲が何調で始まるのか。

絶対音感がなければこれについては特別の感慨がないということになり、
絶対音感があるなら意味があるということになるだろうか。

ただし、(絶対音感がない)自分のことを考えると、何調であろうが関係ないかというと必ずしもそうとはいいきれず、
ピアノを弾くにあたっては、今、自分が白鍵を弾いているのか黒鍵を弾いているのかというのが身体感覚的にかなりの違いをもたらすので、何調で始めようが無関係であるというふうには思っていない。

それに、たとえば子供の情景を全曲通して演奏するような場合は、相対音感しかなくても前の音が耳に残ったまま次の曲へ行くので、絶対音感を持っている人と同じように感じていると思っても大きな違いはないような気がする。

実際のところ、モノクロに感じられるとすれば、絶対音感があるかどうかというより、単に好みの違い(合わない、萌えない)ってことなんじゃないだろうか…


にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする