随分前に「積木くずし」がヒットした時、本も読みドラマも見た。あの頃はこの手の本やドラマが多かったように思う。校内暴力・家庭内暴力・不良・暴走族・番長・裏番長・女番長・スケバン等々・・・。少年・少女達が荒れた時代があった。彼らのエネルギーは暴力として破壊へ向かっていた。そしてそれは時間とともに収束に向かい、今度は陰湿な個へのイジメへと変貌して行った。一人をバイキンと言いながら、多人数でイジメつくすのである。そしてイジメによる自殺が多数発生する。そしてその次には、「人を殺してみたかった」と無差別の殺人。今はネット自殺か・・・。
本当の「積木くずしの真実」として、もう一度作られたドラマを見た。前編は昔の「積木くづし」、後半は少女の本当の心の姿を物語っていた。朋美(ドラマの中の名前)はある日突然、暴れだしたのではなかった。昔の「積木くずし」は親の立場で書かれていたから、親にして見れば理不尽に娘がかわってしまったと、自分達は一種の被害者だと、何とか娘を厚生させなければと言う視点から書かれていた。昔のドラマもその線で作られていた。視聴者も突然不良になったと、唐突にシンナー・暴走族・夜遊びと始まり、親への暴力・家の中の破壊が始まったと思った。
彼女には誰にも言えない秘密があった。生まれた時から内臓が弱く治療を受け続けていた。その副作用で髪が染めたように赤かった。それがイジメの始まりだった。でもそれは我慢出来る事と、ずーっと我慢して来た。でもある時、プツンと切れる出来事があった。集団でのレイプである。親にも誰にも言えなかった。はっきりと理解するにはまだ幼かった。理不尽な暴力に対してどう対応していいのか分からなかった。あの時代はまだ女性の地位も低く、女性が人間としての権利を主張しずらい頃でもあった。レイプされるのは女性が悪い、レイプされたら人生終わり、だから絶対に秘密にしなければと、普通の女の子は考えていた。
やっと立ち直った時、もし親が「積木くずし」を書かなかったら、その後の地獄はなかったろうに。どこにいっても「積木くずしの女の子」。就職しょうとしても「ああ、あの子」と断られる。どこにも居場所が無く又荒れて行くのである。
病気が進行して自分の残りの時間が無いと知ったときから「自分が生きてきたという証を残してから死にたい」と本来の優しい女の子にもどり、色んな人達とおだやかな関係を築いていった朋美。残り時間は一年といわれたけど、三年間を今までの失われた時を取り戻すように必死に行き抜いた。そして彼岸にたび立つ時に、別れを惜しむ為に沢山の仲間達が集まっていた。どのシーンでも安達祐実の大きな瞳に胸が一杯になった。荒れている時の憎しみの瞳に涙し、弱者に向けるあたたかい瞳に涙し、自分をさらけ出せずじっとパパやママを見詰める瞳に涙した。「積木くずし」なんて、昔の過去の事と思ってあまり期待しないで見たけど、彼女の名誉の為にも今こんな時代に「積木くずしの真相」は放送されて良かったと思う。
未成年が事件を起こすと、必ず識者や評論家やマスコミ等が「少年の心の闇」を問題にする。でも、子供を育てながら子供たちの世界を見つめ、バブルの饗宴におどる政財界の品位の欠片もない狂態を見、不況になってウロウロした挙句の果てにTVで並んで頭を下げる大会社のトップ達を見て来て「心の闇」は本当は私達大人達の中にあるのではないかと思ってしまう。そして、子供達の心にあるのは「大人達の心の闇」を映す「鏡」なのかもしれない。まず私達大人が知性と品位と教養を取り戻さなくては。白紙の心で生まれてきた人間の子供を、長い時間をかけて常識的な普通の人間に慈しみ育てあげる重要性を思う。
本当の「積木くずしの真実」として、もう一度作られたドラマを見た。前編は昔の「積木くづし」、後半は少女の本当の心の姿を物語っていた。朋美(ドラマの中の名前)はある日突然、暴れだしたのではなかった。昔の「積木くずし」は親の立場で書かれていたから、親にして見れば理不尽に娘がかわってしまったと、自分達は一種の被害者だと、何とか娘を厚生させなければと言う視点から書かれていた。昔のドラマもその線で作られていた。視聴者も突然不良になったと、唐突にシンナー・暴走族・夜遊びと始まり、親への暴力・家の中の破壊が始まったと思った。
彼女には誰にも言えない秘密があった。生まれた時から内臓が弱く治療を受け続けていた。その副作用で髪が染めたように赤かった。それがイジメの始まりだった。でもそれは我慢出来る事と、ずーっと我慢して来た。でもある時、プツンと切れる出来事があった。集団でのレイプである。親にも誰にも言えなかった。はっきりと理解するにはまだ幼かった。理不尽な暴力に対してどう対応していいのか分からなかった。あの時代はまだ女性の地位も低く、女性が人間としての権利を主張しずらい頃でもあった。レイプされるのは女性が悪い、レイプされたら人生終わり、だから絶対に秘密にしなければと、普通の女の子は考えていた。
やっと立ち直った時、もし親が「積木くずし」を書かなかったら、その後の地獄はなかったろうに。どこにいっても「積木くずしの女の子」。就職しょうとしても「ああ、あの子」と断られる。どこにも居場所が無く又荒れて行くのである。
病気が進行して自分の残りの時間が無いと知ったときから「自分が生きてきたという証を残してから死にたい」と本来の優しい女の子にもどり、色んな人達とおだやかな関係を築いていった朋美。残り時間は一年といわれたけど、三年間を今までの失われた時を取り戻すように必死に行き抜いた。そして彼岸にたび立つ時に、別れを惜しむ為に沢山の仲間達が集まっていた。どのシーンでも安達祐実の大きな瞳に胸が一杯になった。荒れている時の憎しみの瞳に涙し、弱者に向けるあたたかい瞳に涙し、自分をさらけ出せずじっとパパやママを見詰める瞳に涙した。「積木くずし」なんて、昔の過去の事と思ってあまり期待しないで見たけど、彼女の名誉の為にも今こんな時代に「積木くずしの真相」は放送されて良かったと思う。
未成年が事件を起こすと、必ず識者や評論家やマスコミ等が「少年の心の闇」を問題にする。でも、子供を育てながら子供たちの世界を見つめ、バブルの饗宴におどる政財界の品位の欠片もない狂態を見、不況になってウロウロした挙句の果てにTVで並んで頭を下げる大会社のトップ達を見て来て「心の闇」は本当は私達大人達の中にあるのではないかと思ってしまう。そして、子供達の心にあるのは「大人達の心の闇」を映す「鏡」なのかもしれない。まず私達大人が知性と品位と教養を取り戻さなくては。白紙の心で生まれてきた人間の子供を、長い時間をかけて常識的な普通の人間に慈しみ育てあげる重要性を思う。