ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

父への子守歌

2006-11-03 19:48:37 | 父の事
たまたま父の付き添いが私一人になった。ふと、手を握り頭をなでながら、子守歌を歌ってあげた。

「ねんねんころりよ おころりよ 坊やは良い子だ寝んねしな・・・」

父の時代は母にだっこされるのは乳を飲む時だけ。子供の多い田舎の農家の嫁には、我が子を抱く時間なんて無い。まして子守歌なんて。

長男以外、中学を卒業すれば都会に奉公。そして赤紙で戦争。今の子と違って、生まれた時から母に甘える事なんて、出来る時代ではなかった。

一杯抱きしめて子守歌を歌って育てた私の子供達を思い涙がこぼれた。

父ちゃん、向こうに行ったら父ちゃんの父や母に、子供に戻り一杯抱きしめてもらいなさいね。きっと両手を広げて待っているよ。そのうちに私も行くから、そしたら私を抱きしめて。

それまで、こうして手を握っているから怖くはないよ。皆が行く所だから。
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終末医療

2006-11-03 04:45:07 | 父の事
父が老人病院に入院して9日目に入る。意識がなくなり3日目に入る。

そばに住む妹が風邪気味という事で連れて来て末期癌と診断され、最後の日に向けての日々が始まる。

妹は2つの選択から1つを選ぶ事を要請される。1つは最善の積極医療措置をする事。1つは痛みと苦しさの緩和処置だけ。妹は「緩和処置だけをを選んだよ」といった。私達も望む所。

全身を癌に侵されているが、不思議と痛みは無いみたい。先生も驚いていた。もっと早く見つかっていればと悔やんだが、今になればこの方が良かったかも。早く見つかれば、癌治療の為に長い治療の苦しい毎日だっただろう。今日までの母との住みなれた家での穏やかな生活はなかっただろう。

母は風邪で入院しているだけと、思っているが意識は無くともまだ生きている父に会わせた。「じいちゃん、じいちゃん、こんな姿になって」と泣いた。もう半分分からなくなっているが、長い長い人生を一緒に過ごした夫婦。辛い苦しい時代を生抜いた二人。一緒にいたくても、一緒に寄り添っては行けない場所がある。

一人ぽっちになる、と泣く母。泣いてあげて、悲しんであげて、でも、私達3人の姉妹がついているよ。それぞれのやさしい夫も孫達もいるのだから、一人ではないよ。

眠り続けて3日目に入る。私と妹で交代で夜の付き添いをしている。病院にはその為の畳敷きの布団もある小部屋があり助かる。単時間でも横になって眠れるのは助かる。

もう呼び掛けても反応が無くなってきた。ただ一生懸命に呼吸を続けている。父の体には1本の点滴と無線式の小さな心電図が付いているだけ。時々、看護士さんが血圧、体温、酸素量、おむつ替えに来るだけ。積極治療はない。

どのくらい残されているのだろう。こうして手を握り顔を眺め、父との日々を反芻できるのは。もう少し、今しばらく、こうしていたい。

ありがとうね。私は生まれて来て良かったよ。あなたの子供で幸せだったよ。

父ちゃん、辛い戦争はあったけど、その後は幸せだったよね。
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