ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

死に行く命

2006-11-04 04:49:59 | 父の事
医者にこの週末までかなと言われた父の命。手を握り、ただじっと見つめている事しか出来ない。そして思う。“死ぬという事は努力のいる事なんだな”と。

入れ歯を外した口は、息をするために開けられている。その為、唇も舌も乾き、時々湿らせてあげなくてはならない。

全身を使い呼吸をする父。息をする事だけに全身のエネルギーを使っている父。呼吸をするという事がこんなに大変な事だとは。死ぬ為に必至に努力している。死ぬという事も大変な仕事なんだなと思う。

すべての生きとし生きるものは死ぬ為に生きている。誰もいつかは必ず死ななければならない。自然の摂理。もちろん私も。永遠の命なんてないのだと、あらためて思う。

それなのに、どうして簡単に人の命を、そして自分の命を奪ってしまえるのだろう。こうし
て、父の顔を見つめていると、死者の国に行った色々な人達を思い出す。

祖母が死んだのは、雪の降り積む師走だった。私はまだ小学生だった。明日の朝でしょうと医者に言われ、前の日の夜には親戚達が集まり、準備とその時を待つ為に、祖母の回りを囲んでいた。

都会に働きに行っていた姉は、雪の為に電車が遅れ、待っても待っても到着しなかった。医者も祖母の傍に坐り、そこにいるすべての人が祖母の回りに坐り、その時を待つ。

やっと姉が到着して「おばあちゃん!」と駆け寄った。医者が母に言う「どうぞ、末期の水を」と。母はそっと唇を濡らす。祖母はコクンと飲み込むようにし、大きく息をする。「ご臨終です」と医者の声。まるでドラマのような祖母の死だった。小さな私は、きっと大きく目を見開いて見ていた事だろう。大往生だった。死が身近に、そしてそれぞれの家にあった、古き昔。

今は、人は病院で死を迎える。父は誰かに手を握られ、親しい人達が別れを言いに訪れる。娘は昨日、東京から来て2時間程いて帰って行った。今日は息子がやっぱり2時間程、別れの為に来るという。

色々な死に方があるこの時代で、父の迎える死は幸せな形なんだと思う。


コメント
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