最愛の父が5日に他界した。辛かった。やっと平常心になって来た。
私は高校を卒業して田舎から都会に働きに出て、そして結婚した。もともと寡黙な父だった。子供の頃、朝起きれば父母は田んぼに行っていた。学校から帰ってきて私と妹で夕食を作り、暗くなってから帰ってくる両親を待っていた。食事が終わっても寝るまで何かしら働いていた。私の子供達のように、父に甘える事はなかった。甘えたかったが、そんな余裕もなく出来なかった。
年を取って農業を辞めて、田んぼを他の人に作ってもらうようになって、つくづく母が言った。「農業がどんなに辛い仕事だったか、辞めて初めて分かった。今は天国みたいだ」と。
何となく親はいつまでも生きているように思っていた。でも、考えてみれば平均寿命は遥かに超えていたのだ。もう寿命と思うよりしょうがない。
父は安らかな最期だった。体一杯で呼吸をしていた父がだんだん、穏やかな呼吸となり、そしてロウソクが消えるような最後だった。私達は手を握り静かに、溢れる涙と共に別れを惜しんだ。
家に帰って来た父は、死ぬ為に必死に生きていた時とは違い、穏やかに眠っていた。目の周りのクマも消え、まるで10歳も若返ったようにきれいにしてもらい横たわっていた。遺影は自分で選んで用意していた写真が飾られていた。ほんのりと口元がほころび、若過ぎず、年寄り過ぎずよくこんなステキな写真があったなアと感心した。
本当に仲の良かった父と母。長い長い年月を二人で生きてきた。もっともっと実家に帰ってやれば良かった。後悔することばかりである。
今、母は姉に引き取られて暮らしている。もう、どんなに寒い冬が来ても、どんなに大雪が降っても、もう心配しなくてもいい。母は、暗くどんよりとした雪国を離れ、今年から太陽が一杯の冬を過ごせる。
母さん、長生きしてね。父さんの分も孝行するから。あんまり早く向こうに行かないでね。足腰も頭も老いて来たけど、でもでも、母さんは私の母さん。
私は高校を卒業して田舎から都会に働きに出て、そして結婚した。もともと寡黙な父だった。子供の頃、朝起きれば父母は田んぼに行っていた。学校から帰ってきて私と妹で夕食を作り、暗くなってから帰ってくる両親を待っていた。食事が終わっても寝るまで何かしら働いていた。私の子供達のように、父に甘える事はなかった。甘えたかったが、そんな余裕もなく出来なかった。
年を取って農業を辞めて、田んぼを他の人に作ってもらうようになって、つくづく母が言った。「農業がどんなに辛い仕事だったか、辞めて初めて分かった。今は天国みたいだ」と。
何となく親はいつまでも生きているように思っていた。でも、考えてみれば平均寿命は遥かに超えていたのだ。もう寿命と思うよりしょうがない。
父は安らかな最期だった。体一杯で呼吸をしていた父がだんだん、穏やかな呼吸となり、そしてロウソクが消えるような最後だった。私達は手を握り静かに、溢れる涙と共に別れを惜しんだ。
家に帰って来た父は、死ぬ為に必死に生きていた時とは違い、穏やかに眠っていた。目の周りのクマも消え、まるで10歳も若返ったようにきれいにしてもらい横たわっていた。遺影は自分で選んで用意していた写真が飾られていた。ほんのりと口元がほころび、若過ぎず、年寄り過ぎずよくこんなステキな写真があったなアと感心した。
本当に仲の良かった父と母。長い長い年月を二人で生きてきた。もっともっと実家に帰ってやれば良かった。後悔することばかりである。
今、母は姉に引き取られて暮らしている。もう、どんなに寒い冬が来ても、どんなに大雪が降っても、もう心配しなくてもいい。母は、暗くどんよりとした雪国を離れ、今年から太陽が一杯の冬を過ごせる。
母さん、長生きしてね。父さんの分も孝行するから。あんまり早く向こうに行かないでね。足腰も頭も老いて来たけど、でもでも、母さんは私の母さん。