急性心筋梗塞で、救急車で循環器専門病院に運ばれて9日目の今日退院した。
お医者さん・看護師さん・スタッフの方々に、本当に良くしてもらった。
ナースステーション(普通の病院と違ってオープンでほとんど仕切りが無く、低いカウンターにパソコンが置いてある)の真ん前の病室。広い入り口は開放されていて、母はベットに座って一日中、彼等を見ていた。時にはテーブルを入り口に置き、椅子に座り、飽きずに人々の動きを見ていたそうだ。
母と目が会うと、彼等は手を振り、母はニッコリと微笑む。そして、時々は話し相手に来てくれたらしい。新潟弁の母の話が分かったのか。母はいつも看護師さん達とこんな話をしたと話してくれた。
今日も退院の手続きの資料を待っていると、女性や男性の看護師さんがお別れに来てくれた。母はタクシーの所まで車椅子で送ってもらって、「さようなら。ありがとう」と涙ぐんでいた。
夫が最近「おばあちゃんて、何か可愛いね」と言う。本当に私もそう思う。年を取って、こんなに丸くなるなって信じられないくらいだ。
思い出せる事がが少なくなり、思い出せない事が多くなり「だんだん、バカになって行く」と悲しそうに下を向く。「おばあちゃん、こうして話を沢山出来るのだから、悲しむ事無いよ」と手をさする。白く輝く髪をそっと、なでてあげる。
「悪いね、何にも出来なくて。ごめんね、世話になって」「何、言ってるの。おばあちゃんには育ててもらった恩があるもの。今度は私達が世話をする番なんだから。なんも気にする事ないのよ。安心して、私やねーちゃんに任せて」
金曜日には母を連れて、柏崎に帰る。父の一周忌が終われば、又、姉の所で生活する。ホンの三週間ちょっとの時間だったけど、母との時間を持てて本当に良かった。私にとって、大切な愛おしい日々になった。私が母を独り占めにした日々は、又、私自身の過ぎし日々の思い出にドップリと浸った日々でもあった。
「まだ、生きていてもいいのかね」なんて、言わないで。もっともっと元気でいて。まだまだ分かれたくないのだから。「じーちゃんの所に行きたい」なんて言わないで。まだまだ泣きたくない。
お医者さん・看護師さん・スタッフの方々に、本当に良くしてもらった。
ナースステーション(普通の病院と違ってオープンでほとんど仕切りが無く、低いカウンターにパソコンが置いてある)の真ん前の病室。広い入り口は開放されていて、母はベットに座って一日中、彼等を見ていた。時にはテーブルを入り口に置き、椅子に座り、飽きずに人々の動きを見ていたそうだ。
母と目が会うと、彼等は手を振り、母はニッコリと微笑む。そして、時々は話し相手に来てくれたらしい。新潟弁の母の話が分かったのか。母はいつも看護師さん達とこんな話をしたと話してくれた。
今日も退院の手続きの資料を待っていると、女性や男性の看護師さんがお別れに来てくれた。母はタクシーの所まで車椅子で送ってもらって、「さようなら。ありがとう」と涙ぐんでいた。
夫が最近「おばあちゃんて、何か可愛いね」と言う。本当に私もそう思う。年を取って、こんなに丸くなるなって信じられないくらいだ。
思い出せる事がが少なくなり、思い出せない事が多くなり「だんだん、バカになって行く」と悲しそうに下を向く。「おばあちゃん、こうして話を沢山出来るのだから、悲しむ事無いよ」と手をさする。白く輝く髪をそっと、なでてあげる。
「悪いね、何にも出来なくて。ごめんね、世話になって」「何、言ってるの。おばあちゃんには育ててもらった恩があるもの。今度は私達が世話をする番なんだから。なんも気にする事ないのよ。安心して、私やねーちゃんに任せて」
金曜日には母を連れて、柏崎に帰る。父の一周忌が終われば、又、姉の所で生活する。ホンの三週間ちょっとの時間だったけど、母との時間を持てて本当に良かった。私にとって、大切な愛おしい日々になった。私が母を独り占めにした日々は、又、私自身の過ぎし日々の思い出にドップリと浸った日々でもあった。
「まだ、生きていてもいいのかね」なんて、言わないで。もっともっと元気でいて。まだまだ分かれたくないのだから。「じーちゃんの所に行きたい」なんて言わないで。まだまだ泣きたくない。