ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

映画「ベンジャミン・バトン」

2009-03-04 13:25:52 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
冒頭の、一人息子を戦争で無くした時計職人が作った大きな時計が、駅の開通式に掲げられた。来賓の見守る中で動き出した針は、逆回りに時を刻み出した。もしも、時が逆に回り出し、戦士した息子の時間が戦争に行く前の時間に戻ってくれたらとの願いを込めて。

死に行く年老いた母に、娘はせがまれて「ベンジャミン・バトン」の日記を読み始める。外は、迫りくるハリケーンの暴風雨。私達は娘と一緒に、ベンジャミンが淡々と、そして波乱に満ちた人生の物語の時間に魅せられて行く。

戦争の終わりを祝う町の賑わいの中、母の命と引き換えに醜い赤ちゃんが生まれた。愛する妻の命の代わりの、あまりにも醜い息子を夫は川に投げ込もうとするがジャマをされ、賑わう町を走り回り、とある家の階段に息子を置いて行く。

そこは老人達の家。老人を世話している黒人の娘に拾われ、たまたま来ていた医師に診てもらう。医師は「今にも死にそうな老人と同じ肉体だ。」と。そこに横たわっている赤ちゃんは、顔も皮膚も手も足も全てが、寿命の来た老人だった。

ベンジャミンは普通の子と同じように、だんだん身長も伸びて大きくなって行くが、その容姿は小柄な老人だった。髪は白くまばらで、顔はシミとシワでたるみ、手もカサカサとシワだらけ。でも、心はママを大好きな子供だった。その、子供だった頃、時々おばあさんを訪ねて来るディジーと仲良くなる。

ディジーは美しく成長しプリマドンナとなる。ベンジャミンも大人になり、髪が増え、でも老人だった。

ディジーが交通事故で入院している時に現れたベンジャミンは栗色になった豊かな髪を綺麗にとかして、でもまだ、ディジーよりはずっと年が上だった。

ディジーが年を重ね、ベンジャミンが若返って行く時間が丁度交わったのが、それぞれの俳優の実年齢の40代。二人は、又、二人の時間が離れて行くのを恐れるように毎日を、ただひたすら抱き合って過ごす。

そして、ディジーは妊娠し、ベンジャミンの不安の中、五体満足の普通の女の子を産む。可愛い娘が一才の誕生日にベンジャミンは「私の記憶を残したくない。娘には普通の父親を与えてほしい」と姿を消す。

ベンジャミンが最後にディジーの前に現れたとき、彼は20歳前後の若者になっていた。一晩、ベッドを共にし、朝の淡い光の中で、部屋の隅で下着を付け服を着るディジー。ベッドに寄りかかり、それを悲しく見つめる、美しく若く魅惑的な青年のベンジャミン。ディジーの老いの現れた肩や背中や腰回りの悲しい哀れさ。その姿に涙が溢れた。余りにも残酷な二つの時の流れ。

時が流れ、ディジーがベンジャミンに会ったのは、彼が幼児になりディジーの事も分からなくなってからだった。「僕、何にも思い出せない」と。すべすべしたホッペの柔らかいフワフワの髪のかわいい坊や。

最後は天使のような赤ちゃんになり、ディジーに抱かれ、ジッとつぶらな瞳でディジーを見つめ、そして静かに瞳を閉じて永遠の時の彼方へ去って行くベンジャミン。柔らかく抱きしめるディジーの腕の中で・・・。。胸が詰まって涙がポタポタ溢れた。

今も、そのシーンを思い出すと胸が一杯になり、鼻の奥がツーンとなる。未だに、私の心の中で20代のまま年を取らない封印した昔々の思い出が蘇って・・・。

ブラッド・ピットの特殊メイクが凄かった。生まれたときの赤ちゃんと最後の幼児以外を全て自分で演じたのは凄い。老人顔の小さな子供の頃も、ちゃんとピットが演じていた。合成技術は違和感なかった。

そして、青年のピット!老け役よりは若い役の方が難しいと思うが、ドキっとする程に若い美しいピットがそこにいた。画面の中の若い自分を、本物のピットはどう思っただろうか。世の中年過ぎの人達が、特に女性が、どんなに望んでも絶対に手に入らない若返り。毎日、鏡を見ながら「20代の頃の自分に戻りたい」と、どれだけの女性がため息をついているだろう。

冒頭の逆周りの時計が、ガラクタ倉庫の中で、ハリケーンで溢れた出た水に洗われるのが印象的だった。

そして、外のハリケーンの暴風雨をよそに、静かな白い病室の中で、白いベッドに横たわる年老いたディジーがそっとつぶやく。

「おやすみ、ベンジャミン・・・」と。




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