ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

久しぶりの味スタ

2011-03-02 21:18:01 | FC東京とサッカー
今日は、味スタでのFC東京の練習が公開されるというので行って来た。

久しぶりの味スタはの芝生は、この間の正田スタジアムとは天と地の差だった。深い緑の絨毯のように見える。

でも、そのピッチの周りの人工芝(?)シート(?)の緑が余りにも目立つ。新しく張り替えたのだろうが、まるで、鮮やかな緑のペンキを流したようだ。試合の時のように、看板とかのいろいろな物が無いので、異様に目に着く。後の人達の、「何か、気になるね」 と言う声が聞こえる。



しかし、寒かった。天気になるはずじゃなかったかしら、時にパラッと雨が降る。こんなに寒いのなら、ひざ掛けやカイロを持ってくれば良かった。









練習でも、やっぱり、紅白戦になれば面白い。時には拍手が、時にはクマさんの大声に笑いが起こる。

誰もいないゴール裏やバックスタンドが、土曜日には青赤な人達で一杯になるのだろうな、と想像するとワクワクして来る。

どんな一年になるのだろう。凄く楽しみだ。

ガンバレ!!トーキョー!!





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映画 「サラエボ、希望の街角」

2011-03-02 08:37:59 | Weblog
昨日は映画の日だったのと、娘が早帰りの日だったので映画を見に行った。

最近は、話題の映画や、大がかりなアメリカ映画ではなく、あまり宣伝のしていないような小作品の映画を見に行く事が多い。

サラエボという言葉に、オシムさんの本の中のボスニア紛争をを思いだす。オシムさんが外国で試合をしている時に紛争が起こり、家に帰れなくなった。サッカー関係の人達が、オシムさんの家族を救い出す為に、チームを作り努力をするのだが、奥さんは 「私達だけ安全な所に逃げ出すわけには行かない」 と、紛争が終わるまで頑張った。

ユーゴスラビアという国名での最後の国際試合を、国立で見た私としては、サラエボとの名に反応してしまう。

サラエボに住む客室乗務員のルナと空港管制塔に勤務するアマル(オシムさんの息子さんと同じ名前だ)と、幸せな同棲生活をしている。でも、子供が出来ないので、不妊治療に通い始めている。

アマルがアルコール依存症から向け出せない事から、職を失い、二人の生活に影がさして来る。

偶然、アマルは戦友に再開し、その戦友に誘われて彼らのキャンプに行く事になる。ルナには、戦友が仕事を紹介してくれたと言って。

そこは、イスラム原理主義を学ぶキャンプだった。

帰って来たアマルは完璧なイスラム原理主義者になっていた。そして、ルナにも肌を出すな、イスラム式の結婚式をしよう、それまでは純潔でいよう、あの殺戮が起きたのも皆が信仰をないがしろにするからだ、と言うようになる。

あの、紛争で目の前で両親を虐殺され、避難民として逃げて来たルナは、その後、一度も故郷に帰っていない。両親と生活していた、あの幸せだった家を懐かしむ祖母を抱きしめるルナ。

ある日、友達とその家を見に行ったアマル。その家の前で泣くルナ。それを見ていた小さな女の子が 

「どうして泣いてるの?」
「私の家だったのよ」
「今、私の家だよ」 そっと、その子のほほをなでるルナ。

迷い悩むルナは、妊娠する。

ルナは美しい公園で、アマルに妊娠を告げる。喜びルナを抱きしめてキスをするアマル。そっと、アマルを押し戻して 「あなたの子供が欲しいのか分からない。」 とサヨナラを告げる。

歩き去るルナに 「戻って来い」 とアマル。私は心で 「あなたが戻りなさいよ」 とつぶやく。

振り返ったルナが 「あなたが戻って来て」 と歩き去る。

娘と 「最後のセリフは女なら誰だって言うよね」 と、言いながら席を立った。

今回の映画もエンドロームが流れる時に音楽が流れない。わずかに鈴の音が聞こえるが、余韻を残した終わりが後を引く。

宗教とは、人々が心の平安を、人々の平和を求めるもののはずだと思うのに、どうして宗教にのめり込むと、他者への寛容が無くなるのだろう。

どうして、時間も空間も場所も関係なく、宗教は人々の争いを求め、血を流させるのだろう。

私自身、姉が急死してから、神社に行っても、お寺にいっても手を合わせる事が出来ないでいる。私の心の平安は宗教では埋められないでいる。私には、宗教よりも愛する人の方が大事だし、そばにいて欲しい。

アマルは愛する人と宗教とどっちを選ぶのだろうか。題名は希望の街角だけど、その街角をどっちに曲がるのだろうか。

そして。ルナは一人で生きて行くのだろうか、それとも、子供と二人で生きて行くのだろうか。私も娘も多分、後者だろうと話し合う。女はいざとなれば強いから。

美しい街に、あのボスニア紛争の後は見かけられないが、人々の心の奥深くには、その傷がまだ癒えないで残っている。



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