久しぶりに、本当に久しぶりに田舎の柏崎にお墓参りに行って来た。
息子に頼んで車で行って来た。
若い時には、車を運転する事が何よりも好きだった。
結婚前に免許を取り、夫は免許を持っていなかったので、いつも私が運転していた。
結婚してから東京に住み、その頃には関越道は出来ていなくて、お盆には大渋滞の三国峠を越えて行った。山道を1メートル進んで止まり、5メートル進んで止まりのノロノロ運転だった。夫は、助手席で小さな息子をだっこし、行きも帰りも私が運転していた。今のようにオートマだったら、楽だっただろう。
でも、若かったのか、全然苦にはならなかった。
その後、夫も免許取り、大阪に転勤になり、今度は、交代で運転しながらの帰省だった。
今の駅に近い所に住むようになって、必要なくなったので車は手放し、田舎へは新幹線で帰るようになった。
今回は、夫の実家にも寄りたかったので、車がないと、とても不便なので息子に連れて行ってもらった。
実家は誰も住んでいないので、ホテルの予約をしようとしたら、9日(土曜)しか空いていなくて、その日に行って来た。
前の金曜に会社帰りに来てもらって、土曜の朝に出た。始めて圏央道から関越道に入ったが、ほとんど渋滞はしていなかった。
まず、夫の実家に寄った。
夫の遺品で、お義兄さんに欲しいと言われたもの等を渡し、久しぶりに楽しくおしゃべりをした。
夫が何よりも思いこがれていた、大好きな夫の実家は何も変わっていなかった。
帰りには、車なので、コメや野菜等をもらった。コメ一袋(30キロ)は、車から家までどうやって運ぼうかと考えながらも。
「古米だけど、新米が出来たら、また送るから」 と。何よりもお米は有りがたい。これは私が食べて、新米は娘夫婦にあげよう。
翌日は、台風が来て雨が降りそうなので、翌日と思っていたが、帰りに私の実家に向かった。
先に、お墓に。
草取りやお掃除をしないといけないかな、と道具を持って行った。でも、一度綺麗にした後があり、その後に生えた草を綺麗にした。
途中で、お店かコンビニがあったらお花を買おうと思ったが、何もなくてお花は持って行けなかった。
家から持って行ったロウソクとお線香でお参りをした。
今年の5月に、お墓に入った母。やっと、帰りたかった田舎に戻って来たね。
子供が小さい時には、浴衣を着せて、提灯を持たせて大勢で来たっけ。遠い遠い昔なんだな、と思うと寂しい。
その後に、直ぐ近くの実家に行った。
誰も住んでいないので、庭は草ぼうぼうで、家を見ても悲しい状態になっている。甥が、せめて草取りでもしてくれていたらなと思うが…。
姉が生きていれば、二人で年に2~3回は来て草取りや掃除したりしたのにな…。
私が、
「夏草や兵どもが夢の跡」 だねと言うと息子が
「本当だね。子供の頃は、にぎやかだったものね」 と。
確かに。私の子供二人と、姉の子供の腕白な3兄弟、時に、妹の子供2人が、朝から晩までドタバタドタバタと走り回っていた。
元気だった父や母や夫や姉の声が聞こえてきそうで、胸が熱くなった。
母はモミジが大好きで、モミジのお庭みたいだった。その草だらけのの中から、モミジの赤ちゃんを見つけて、持って行ったスコップでいくつか掘り起こして来た。
10年近く前に持って来たモミジは、今、一鉢は盆栽風にして、一鉢は、娘の庭に地植えした。
大事に育てようと思う。
花が大好きだった母が、裏庭をお花畑にしていた。何か持って来たかったが、もう、草ぼうぼうで…。
アッと言う間に過ぎ去った思い出達。なるべく過去を振り返らないようにしているが、時に、どうしょうも無く辛くなる時がある。
目をつむって、ちょっとだけ身をゆだね、目を開けて、今と少しだけ先を見つめて歩いて行こう。
従姉と妹の家族と会い、ちょっぴり疲れて、日常に帰って来た。
いっぱいおしゃべりが出来た、息子との二人だけの旅は楽しかった。
息子に頼んで車で行って来た。
若い時には、車を運転する事が何よりも好きだった。
結婚前に免許を取り、夫は免許を持っていなかったので、いつも私が運転していた。
結婚してから東京に住み、その頃には関越道は出来ていなくて、お盆には大渋滞の三国峠を越えて行った。山道を1メートル進んで止まり、5メートル進んで止まりのノロノロ運転だった。夫は、助手席で小さな息子をだっこし、行きも帰りも私が運転していた。今のようにオートマだったら、楽だっただろう。
でも、若かったのか、全然苦にはならなかった。
その後、夫も免許取り、大阪に転勤になり、今度は、交代で運転しながらの帰省だった。
今の駅に近い所に住むようになって、必要なくなったので車は手放し、田舎へは新幹線で帰るようになった。
今回は、夫の実家にも寄りたかったので、車がないと、とても不便なので息子に連れて行ってもらった。
実家は誰も住んでいないので、ホテルの予約をしようとしたら、9日(土曜)しか空いていなくて、その日に行って来た。
前の金曜に会社帰りに来てもらって、土曜の朝に出た。始めて圏央道から関越道に入ったが、ほとんど渋滞はしていなかった。
まず、夫の実家に寄った。
夫の遺品で、お義兄さんに欲しいと言われたもの等を渡し、久しぶりに楽しくおしゃべりをした。
夫が何よりも思いこがれていた、大好きな夫の実家は何も変わっていなかった。
帰りには、車なので、コメや野菜等をもらった。コメ一袋(30キロ)は、車から家までどうやって運ぼうかと考えながらも。
「古米だけど、新米が出来たら、また送るから」 と。何よりもお米は有りがたい。これは私が食べて、新米は娘夫婦にあげよう。
翌日は、台風が来て雨が降りそうなので、翌日と思っていたが、帰りに私の実家に向かった。
先に、お墓に。
草取りやお掃除をしないといけないかな、と道具を持って行った。でも、一度綺麗にした後があり、その後に生えた草を綺麗にした。
途中で、お店かコンビニがあったらお花を買おうと思ったが、何もなくてお花は持って行けなかった。
家から持って行ったロウソクとお線香でお参りをした。
今年の5月に、お墓に入った母。やっと、帰りたかった田舎に戻って来たね。
子供が小さい時には、浴衣を着せて、提灯を持たせて大勢で来たっけ。遠い遠い昔なんだな、と思うと寂しい。
その後に、直ぐ近くの実家に行った。
誰も住んでいないので、庭は草ぼうぼうで、家を見ても悲しい状態になっている。甥が、せめて草取りでもしてくれていたらなと思うが…。
姉が生きていれば、二人で年に2~3回は来て草取りや掃除したりしたのにな…。
私が、
「夏草や兵どもが夢の跡」 だねと言うと息子が
「本当だね。子供の頃は、にぎやかだったものね」 と。
確かに。私の子供二人と、姉の子供の腕白な3兄弟、時に、妹の子供2人が、朝から晩までドタバタドタバタと走り回っていた。
元気だった父や母や夫や姉の声が聞こえてきそうで、胸が熱くなった。
母はモミジが大好きで、モミジのお庭みたいだった。その草だらけのの中から、モミジの赤ちゃんを見つけて、持って行ったスコップでいくつか掘り起こして来た。
10年近く前に持って来たモミジは、今、一鉢は盆栽風にして、一鉢は、娘の庭に地植えした。
大事に育てようと思う。
花が大好きだった母が、裏庭をお花畑にしていた。何か持って来たかったが、もう、草ぼうぼうで…。
アッと言う間に過ぎ去った思い出達。なるべく過去を振り返らないようにしているが、時に、どうしょうも無く辛くなる時がある。
目をつむって、ちょっとだけ身をゆだね、目を開けて、今と少しだけ先を見つめて歩いて行こう。
従姉と妹の家族と会い、ちょっぴり疲れて、日常に帰って来た。
いっぱいおしゃべりが出来た、息子との二人だけの旅は楽しかった。