姉の遺品整理に、息子の車に乗せてもらい行って来た。
金曜日に息子に車で来てもらい、朝、起きたら直ぐに東名で安城へ向かった。
姉が5年前に亡くなり、一人暮らしていた姉の夫が4月に突然亡くなった。
3人の息子たちは、それぞれ、自分の家があるので、姉の家を売る事になったのだ。
姉の家も、増築したり、改修したりで、まだまだ、住めるが、更地にして売るのだという。
それで、片付けの手伝いに、私と妹と息子と行ってきた。
姉が結婚して直ぐに買った家に、高校を卒業して結婚するまで同居して名古屋の会社に通勤していた。
姉が長男を産んだ時には、二人で育児書を読みながら育てたっけ。そして、次男が生まれる前に私は結婚して東京に住むようになった。
でも、実家に行くよりも、姉の所に行く事の方がはるかに多かった。特に、転勤で関西の高槻市に住んだ時には、車でよく姉の所に遊びに行ったり、姉の家族と私の家族と旅行にも出かけたもして楽しかった。
姉の三男が私の息子と同い年だったので、小学生の時には、三男は冬休みを毎年私の家で過ごしていた。
父が亡くなり、母を引き取って住んでいた時には、泊まりに来たり、一緒に旅行に行ったりした。
そんな、思いでたっぷりの姉の家が無くなるのは寂しい。
姉の長男夫婦が来て、思いで話をしながら姉の家の整理をした。
家を壊すにも、なるべく中の物を、時に、かさばる布団や衣類類を処分したほうがいいのだそうだ。少しでも、かかる費用を少なくするためにも。
夫もそうだったが、同い年の姉も、物を捨てる事が出来ず、溜めこむ一方なので、本当に物が多い。
私達4人家族や両親や姉の3人の子供達が、よく姉の家に集まったので、それはそれは布団類が多かった。
私と違って洋服も着物も好きだったので、とてもとても沢山あった。
私は、転勤族だったので、物はなるべく持たない主義だった。今のマンションもそんなに収納場所が多くは無い。
ところが、姉の所は部屋数も多いから、収納場所もとにかく多い。だから、物がそれはそれはたっぷりと多い。
一日目は運び出しやすいように整理した。
翌日、軽トラックを借りて、市のゴミ処理センターに運んだ。
初めて行ったゴミ処理センターは、怖かった。
10台くらいの車が並んでいて、、そこに運んで行った物を投げ込んでいた。
ポッカリとあいた足元をのぞくと遥かずっと下の方に、投げ入れた衣類等が落ちて行く。私も引き込まれそうでとにかく怖い。
係りの人が笑いながら、なるべく下を見ない方がいいよ、と言った。
休日は、お昼までというので、軽トラックと乗用車で2往復したが、後は、長男夫婦が一日会社を休んで運ぶと言う。
人が亡くなるという事は、不用品がとにかく沢山出る。全てが不用品になってしまう。
そして、最期は、家まで不用品のゴミになってしまうのだと思うと、悲しい。姉が生きて来た証が、と思うと…。
家に帰ったら、私も自分の身の周りを見渡して、少しでも不用品を処分しようと思った。
3時頃に、私と息子は車で東名へ、妹は、新幹線で柏崎へ帰って行った。
帰りに、息子が妹の子供に会いたいというから、娘の家に寄った。
息子に、「はい、抱いて」 とゆなたんを渡したら、ぎこちない抱き方で、見なれない人なので、泣き出した。
「泣かなくていいのよ」 と背中トントンしたけど、そっくり返って泣くので私が受け取った。
ピタッと泣きやんでニコッとする。しばらくたって息子に渡したが、やっぱり泣き出した。
もっと小さい時には、黙って抱かれていたのに。でも、息子は、可愛い可愛いとちょんちょんと触っていた。
夕飯は、婿さんが作ってくれたカレーと肉じゃが。美味しかった。
1泊二日、目一杯働いてくたびれた。
今日は、筋肉痛で腕が痛い。
もう、安城に行く事はないんだな、と思うと寂しい。
金曜日に息子に車で来てもらい、朝、起きたら直ぐに東名で安城へ向かった。
姉が5年前に亡くなり、一人暮らしていた姉の夫が4月に突然亡くなった。
3人の息子たちは、それぞれ、自分の家があるので、姉の家を売る事になったのだ。
姉の家も、増築したり、改修したりで、まだまだ、住めるが、更地にして売るのだという。
それで、片付けの手伝いに、私と妹と息子と行ってきた。
姉が結婚して直ぐに買った家に、高校を卒業して結婚するまで同居して名古屋の会社に通勤していた。
姉が長男を産んだ時には、二人で育児書を読みながら育てたっけ。そして、次男が生まれる前に私は結婚して東京に住むようになった。
でも、実家に行くよりも、姉の所に行く事の方がはるかに多かった。特に、転勤で関西の高槻市に住んだ時には、車でよく姉の所に遊びに行ったり、姉の家族と私の家族と旅行にも出かけたもして楽しかった。
姉の三男が私の息子と同い年だったので、小学生の時には、三男は冬休みを毎年私の家で過ごしていた。
父が亡くなり、母を引き取って住んでいた時には、泊まりに来たり、一緒に旅行に行ったりした。
そんな、思いでたっぷりの姉の家が無くなるのは寂しい。
姉の長男夫婦が来て、思いで話をしながら姉の家の整理をした。
家を壊すにも、なるべく中の物を、時に、かさばる布団や衣類類を処分したほうがいいのだそうだ。少しでも、かかる費用を少なくするためにも。
夫もそうだったが、同い年の姉も、物を捨てる事が出来ず、溜めこむ一方なので、本当に物が多い。
私達4人家族や両親や姉の3人の子供達が、よく姉の家に集まったので、それはそれは布団類が多かった。
私と違って洋服も着物も好きだったので、とてもとても沢山あった。
私は、転勤族だったので、物はなるべく持たない主義だった。今のマンションもそんなに収納場所が多くは無い。
ところが、姉の所は部屋数も多いから、収納場所もとにかく多い。だから、物がそれはそれはたっぷりと多い。
一日目は運び出しやすいように整理した。
翌日、軽トラックを借りて、市のゴミ処理センターに運んだ。
初めて行ったゴミ処理センターは、怖かった。
10台くらいの車が並んでいて、、そこに運んで行った物を投げ込んでいた。
ポッカリとあいた足元をのぞくと遥かずっと下の方に、投げ入れた衣類等が落ちて行く。私も引き込まれそうでとにかく怖い。
係りの人が笑いながら、なるべく下を見ない方がいいよ、と言った。
休日は、お昼までというので、軽トラックと乗用車で2往復したが、後は、長男夫婦が一日会社を休んで運ぶと言う。
人が亡くなるという事は、不用品がとにかく沢山出る。全てが不用品になってしまう。
そして、最期は、家まで不用品のゴミになってしまうのだと思うと、悲しい。姉が生きて来た証が、と思うと…。
家に帰ったら、私も自分の身の周りを見渡して、少しでも不用品を処分しようと思った。
3時頃に、私と息子は車で東名へ、妹は、新幹線で柏崎へ帰って行った。
帰りに、息子が妹の子供に会いたいというから、娘の家に寄った。
息子に、「はい、抱いて」 とゆなたんを渡したら、ぎこちない抱き方で、見なれない人なので、泣き出した。
「泣かなくていいのよ」 と背中トントンしたけど、そっくり返って泣くので私が受け取った。
ピタッと泣きやんでニコッとする。しばらくたって息子に渡したが、やっぱり泣き出した。
もっと小さい時には、黙って抱かれていたのに。でも、息子は、可愛い可愛いとちょんちょんと触っていた。
夕飯は、婿さんが作ってくれたカレーと肉じゃが。美味しかった。
1泊二日、目一杯働いてくたびれた。
今日は、筋肉痛で腕が痛い。
もう、安城に行く事はないんだな、と思うと寂しい。