ふみさんの日々雑感

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今日は「阪神淡路大震災」の起こった日

2009-01-17 20:56:19 | Weblog
あの日のショックは今でも良く覚えている。

あの時は事務所が渋谷の道玄坂を上がった246に面したビルにあった。

いつもように起きてTVをつけ、朝食を作る。TVはつけているが、朝は忙しいので「地震が・・・火事が・・・」とか耳で聞いていて「あれ、地震?」と言いながら洗濯機を回したりしていた。

起きて来た夫がTVを見て「大変だ。大阪で地震があったみたいだ」と。それで初めて気が付いた。朝食を食べながら「大きな地震だったみたいね」と。まだ、そんなに火が大きくはなっていなかった。被害もまだ分からない状態だった。

会社に行っても「大きな地震があったみたいね」と言いながら、朝の会議をしていた。

会議の後に大阪から単身赴任している男性が「ちょっと出てくる」と言って出かけて行った。私の会社にはTVも無かった。今と違ってPCも無く、情報が入らなかった。

出かけて行った同僚が帰って来て「大変だ。大阪が燃えている」と言って、又、出て行った。私達も落ち着かなくて、ラジオをつけて聞き、初めて大変な事になっている事を知る。

家に帰って初めて大規模災害と言う事を知った。もう、TVの前から離れられなかった。大阪の高槻に7年間住んでいたので、私自身の友達もいる。夫は大阪の支店にいたので、会社の同僚から取引先から沢山の知り合いがいる。

連絡がつくまで本当に心配だった。友人達は無事だったが、一様に「本当に恐かった」と言っていた。

何日かたった頃、会社の帰りに献血車が「地震で血液が不足しています。ご協力をお願いします」というので直ぐに応じた。初めて献血をした。沢山の人が順番を待っていた。それから、会社を退職するまで毎年、献血をしていた。二回ほど、献血を出来なかった時がある。一回は貧血で、もう一回はアンコールワットに旅行したので一年間はダメと。

あれから、日本中、どこかで大きな地震がある。私の故郷の柏崎は2回も地震にあっている。

今、住んでいる東京でもいつ地震が起きてもおかしくないと言われている。もし、東京都心で、あの地震と同じ大きさの地震が来たらと思うと、ホントに恐い。電車に乗っていたら、地下鉄だったら、高層ビルにいたら、繁華街で歩いていたら、どんな所であうか分からない。

自分だけでなく、都心で働いている娘の事が一番心配だ。私は勤めている時、スニーカーをロッカーに入れておいた。娘にもそうしなさいと言っている。まず、足元がしっかりしていないと危ないから。

保存食や水の正味期限を調べておかなくては、持ち出し袋も調べておかなくてと思う。

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