NHKのドラマ「ハゲタカ」が非常に面白かった。それで、読んで見ようと買って来た。面白くて、一気に読んだ。
民放PTBが舞台。過去にオウム真理教の坂本弁護士事件を思わせる、ビデオ事件があり、ジャーナリストとは?を問われていた。
TVの報道と、お笑い系のバラェティ番組の視聴率争いをテーマとして物語は進む。
私は最近のTVの視聴率争いの番組が好きではない。特にお笑い系は見たこと無い。娘が見ていると、自分の部屋のTVに追いやり、ニュースか、無ければTVは止める。ドラマもほとんどが海外ドラマを見ている。
日本のTVでの連続ドラマの台詞の多い家族物でも、海外ドラマの「ブラザーズ&シスターズ」の方が遥かに面白いし、家族とはを考えさせられる。「ロスト」「ヒーローズ」「ギャラクティカ」「プリズン・ブレイク」「コールドケース」等々。10月から又新しいドラマも始まるし、楽しみにしている。
内容も濃く、俳優達も魅力的だし、何と言っても大人のドラマがいい。どうして、日本では「大人のドラマ」が出来ないのだろうか。そして、週に何回も再放送があるのがいい。自分のスケジュールに合わせて見れるから。
イロイロな事件や出来事があった時、TVの報道は?と思う事がある。特に、松本サリン事件。三浦事件もそう。TVも週刊誌も全てが同じ方向を向いていた。TVが警察であり、検察であり、裁判官だった。視聴者も、それに同調していた。
私は、松本サリン事件の時、ビートたけしのお兄さんの北野大氏がTVで「私は、彼は犯人では無いと思う。残されている薬品で絶対にサリンは作れないから。」と早い段階で言っていた。彼は化学者なので、私は彼の方を信じた。会社でそう言ったら、同僚の女性に「彼が犯人に決まってるじゃないの。死刑よ。死刑」と言われた。でも、北野氏の言葉は、圧倒的な流れに消されて行った。
結局、犯人ではなく、被害者だったのだが。ジャーナリストを名乗る人達は、ちゃんと「自己責任」を総括して、私達に開示しただろうか、記憶には無い。
この本に、イラク人質事件と思わせる報道に対する、主人公の葛藤が書かれている。あの時も、日本中が「自己責任」と人質達を非難した。特に、政治家の言葉は、TVのコメンティターと言われる人達の同じようなニュアンスで皆を同じ方向に向かわせた。
今回のアフガンの伊藤さん人質殺害事件も、同じような「自己責任」と言う言葉が聞かれた。
でも、「自己責任」を一番感じて欲しい政治家達には、自分とは関係ない事らしい。だから、平気で失言、暴言、恫喝、を言い、「責任」を放り投げても平気で代議士の椅子に座っていられるのだろう。
今のバラエティに悩むプロジューサーに、彼の父が言っている。「テレビとは、大衆に理屈抜きの娯楽と笑いと感動を与えられる力を持っている。だが、同時にテレビには、見た人すべてを囲いこんでしまう危ない魔力もある。音や画像処理で見る人を釘付けにし、映像のすべてを信じ込ませる力を持っている。これは危険だぞ。報道の体たらくも目に余るが、それ以上に怖いのはおまえさんたちだ」と。
報道は、時の権力をキチンと検証し、私達に、真実を伝える義務があると思う。そして、私達も、自分の頭と心で考え、検討し、選択して行かなければならないと思う。全ては、まわり回って自分に帰って来るのだから。
もう直ぐ、総選挙があるらしい。しっかりと、子供達の未来を考えなくては。
民放PTBが舞台。過去にオウム真理教の坂本弁護士事件を思わせる、ビデオ事件があり、ジャーナリストとは?を問われていた。
TVの報道と、お笑い系のバラェティ番組の視聴率争いをテーマとして物語は進む。
私は最近のTVの視聴率争いの番組が好きではない。特にお笑い系は見たこと無い。娘が見ていると、自分の部屋のTVに追いやり、ニュースか、無ければTVは止める。ドラマもほとんどが海外ドラマを見ている。
日本のTVでの連続ドラマの台詞の多い家族物でも、海外ドラマの「ブラザーズ&シスターズ」の方が遥かに面白いし、家族とはを考えさせられる。「ロスト」「ヒーローズ」「ギャラクティカ」「プリズン・ブレイク」「コールドケース」等々。10月から又新しいドラマも始まるし、楽しみにしている。
内容も濃く、俳優達も魅力的だし、何と言っても大人のドラマがいい。どうして、日本では「大人のドラマ」が出来ないのだろうか。そして、週に何回も再放送があるのがいい。自分のスケジュールに合わせて見れるから。
イロイロな事件や出来事があった時、TVの報道は?と思う事がある。特に、松本サリン事件。三浦事件もそう。TVも週刊誌も全てが同じ方向を向いていた。TVが警察であり、検察であり、裁判官だった。視聴者も、それに同調していた。
私は、松本サリン事件の時、ビートたけしのお兄さんの北野大氏がTVで「私は、彼は犯人では無いと思う。残されている薬品で絶対にサリンは作れないから。」と早い段階で言っていた。彼は化学者なので、私は彼の方を信じた。会社でそう言ったら、同僚の女性に「彼が犯人に決まってるじゃないの。死刑よ。死刑」と言われた。でも、北野氏の言葉は、圧倒的な流れに消されて行った。
結局、犯人ではなく、被害者だったのだが。ジャーナリストを名乗る人達は、ちゃんと「自己責任」を総括して、私達に開示しただろうか、記憶には無い。
この本に、イラク人質事件と思わせる報道に対する、主人公の葛藤が書かれている。あの時も、日本中が「自己責任」と人質達を非難した。特に、政治家の言葉は、TVのコメンティターと言われる人達の同じようなニュアンスで皆を同じ方向に向かわせた。
今回のアフガンの伊藤さん人質殺害事件も、同じような「自己責任」と言う言葉が聞かれた。
でも、「自己責任」を一番感じて欲しい政治家達には、自分とは関係ない事らしい。だから、平気で失言、暴言、恫喝、を言い、「責任」を放り投げても平気で代議士の椅子に座っていられるのだろう。
今のバラエティに悩むプロジューサーに、彼の父が言っている。「テレビとは、大衆に理屈抜きの娯楽と笑いと感動を与えられる力を持っている。だが、同時にテレビには、見た人すべてを囲いこんでしまう危ない魔力もある。音や画像処理で見る人を釘付けにし、映像のすべてを信じ込ませる力を持っている。これは危険だぞ。報道の体たらくも目に余るが、それ以上に怖いのはおまえさんたちだ」と。
報道は、時の権力をキチンと検証し、私達に、真実を伝える義務があると思う。そして、私達も、自分の頭と心で考え、検討し、選択して行かなければならないと思う。全ては、まわり回って自分に帰って来るのだから。
もう直ぐ、総選挙があるらしい。しっかりと、子供達の未来を考えなくては。
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