新聞の映画作品の紹介欄で読んで見たいと思っていた。その紹介欄では、父と子が道を歩く。ただそれだけの映画とあった。
私と娘は映画大好きで、以前は映画館によく行っていた。特に私が退職した会社の事務所が渋谷にあった頃、娘が高校や大学に通っていた頃、渋谷で待ち合わせて頻繁に映画館に行っていた。
携帯も、PCもまだ無かった頃は、映画は一番の娯楽だった。今ではウソみたいだけど、1時間も並んで見るなんて普通だった。
今は、TVで映画チャンネルもあるし、PCで映画だって見れる。映画館に行かなくても、どんな方法でも映画を見れる時代になった。
でも、暗い映画館で、自分一人の世界の中でスクリーンの物語にドップリと浸かれるのは、やっぱり最高にいい。
私も娘も最近はハリウッド的な映画に飽きている。たっぷりのお金とCGを使っての映画は、以前は面白かった。でも、今は、そんな映画を見ていても、何となく新鮮味が感じられず、見ていて飽きて来る。それに、海外ドラマの方が今は面白い。
反対に、どこでやっているのだろう、と思うような映画に興味がある。
それで、有楽町まで出かけて 「ザ・ロード」 を見て来た。
平日の11時40分からの初回に行ったのだが、まあまあの入りに驚いた。私のような年ごろの男性や女性なら分かるが、サラリーマン風のOL風の年代の人達が、そこそこいるのにビックリ。
確かに、父と子が道をひたすら南に向かって歩く、暗い暗い色彩の無い映画だった。
でも、時々、父の回想シーンで、色彩豊かな美しい風景で遊ぶ夫婦の姿がさしこまれる。ほんの十何年か前の時代の、美しい妻と幸せな夫…。
いったい、何が世界に起こったのかは明かされていないが、地球規模の破滅的な惨害があり、日がささず、しょっちゅう雨が降りしきる灰色の世界。
食べる物の無い世界は、最後は 「人肉」。
父は息子に、一発しか残っていない拳銃で、誰かにつかまりそうになったら口にくわえて引き金を引く事を教える。
父にとって息子が世界であり、息子にとって父が世界の全て。
父は息子に「自分達は善き人であり、火を運ぶ人」だと教える。だから、けっして人を食べたりしないのだと。
この世界に絶望し、死を選んだ妻が 「この子が寒くないように南に行って」 との言葉にただ、ひたすら息子と南に向かって歩いて行く。
時々、“悪き人”に追いかけられたり。
死にそうな老人が少年を見て 「坊やを見て、私は死んだのだと思った。そこに天使がいるから」と。どんない汚れていても、どんなにボロをまとっていても、少年は天使の年頃で可愛い。
絶望の過去から、絶望の未来に続く日々の、ほんの短い現在を切り取った映画。
南の海に到達し、初めて見た海に 「パパ、あの向こうに何があるの?」 「多分、向こうの浜辺でも同じようにこうして海を見ている人がいるかもしれない」と二人浜辺にすわり、海の向こうを見つめる。
地図で見た海は青かったが、少年が初めて見た海も灰色だった。
そして、病気で父が無くなり、手を差し伸べた男性に少年は問う。
「あなたは、善き人なの?火を運ぶ人なの?人は食べない?」と。
映画なのに、彼らに平安が訪れますようにと願い、思わず涙がこぼれた。
私と娘は映画大好きで、以前は映画館によく行っていた。特に私が退職した会社の事務所が渋谷にあった頃、娘が高校や大学に通っていた頃、渋谷で待ち合わせて頻繁に映画館に行っていた。
携帯も、PCもまだ無かった頃は、映画は一番の娯楽だった。今ではウソみたいだけど、1時間も並んで見るなんて普通だった。
今は、TVで映画チャンネルもあるし、PCで映画だって見れる。映画館に行かなくても、どんな方法でも映画を見れる時代になった。
でも、暗い映画館で、自分一人の世界の中でスクリーンの物語にドップリと浸かれるのは、やっぱり最高にいい。
私も娘も最近はハリウッド的な映画に飽きている。たっぷりのお金とCGを使っての映画は、以前は面白かった。でも、今は、そんな映画を見ていても、何となく新鮮味が感じられず、見ていて飽きて来る。それに、海外ドラマの方が今は面白い。
反対に、どこでやっているのだろう、と思うような映画に興味がある。
それで、有楽町まで出かけて 「ザ・ロード」 を見て来た。
平日の11時40分からの初回に行ったのだが、まあまあの入りに驚いた。私のような年ごろの男性や女性なら分かるが、サラリーマン風のOL風の年代の人達が、そこそこいるのにビックリ。
確かに、父と子が道をひたすら南に向かって歩く、暗い暗い色彩の無い映画だった。
でも、時々、父の回想シーンで、色彩豊かな美しい風景で遊ぶ夫婦の姿がさしこまれる。ほんの十何年か前の時代の、美しい妻と幸せな夫…。
いったい、何が世界に起こったのかは明かされていないが、地球規模の破滅的な惨害があり、日がささず、しょっちゅう雨が降りしきる灰色の世界。
食べる物の無い世界は、最後は 「人肉」。
父は息子に、一発しか残っていない拳銃で、誰かにつかまりそうになったら口にくわえて引き金を引く事を教える。
父にとって息子が世界であり、息子にとって父が世界の全て。
父は息子に「自分達は善き人であり、火を運ぶ人」だと教える。だから、けっして人を食べたりしないのだと。
この世界に絶望し、死を選んだ妻が 「この子が寒くないように南に行って」 との言葉にただ、ひたすら息子と南に向かって歩いて行く。
時々、“悪き人”に追いかけられたり。
死にそうな老人が少年を見て 「坊やを見て、私は死んだのだと思った。そこに天使がいるから」と。どんない汚れていても、どんなにボロをまとっていても、少年は天使の年頃で可愛い。
絶望の過去から、絶望の未来に続く日々の、ほんの短い現在を切り取った映画。
南の海に到達し、初めて見た海に 「パパ、あの向こうに何があるの?」 「多分、向こうの浜辺でも同じようにこうして海を見ている人がいるかもしれない」と二人浜辺にすわり、海の向こうを見つめる。
地図で見た海は青かったが、少年が初めて見た海も灰色だった。
そして、病気で父が無くなり、手を差し伸べた男性に少年は問う。
「あなたは、善き人なの?火を運ぶ人なの?人は食べない?」と。
映画なのに、彼らに平安が訪れますようにと願い、思わず涙がこぼれた。
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