婿さんの上ちゃんが、漫画本の最終巻を読み終わった時に、もう一度映画が見たいと言っていた。
それで、入場者プレゼントが始まった日に、娘の家族と一緒に見に行って来た。
映画館で待ち合わせて、私は早く行ってベンチに座って待っていた。
15時40分の回しか取れなかったという。
沢山の人が入場待ちしていた。アナウンスが、プレゼントは全員がもらえますので、並ばないで下さいと言っていた。
入場開始が始まり、隣に座っていた杖を突いた年配の女性が立ち上がって列に並んだ。何か、嬉しかった。一緒に楽しみましょうねと心での声掛け。
ほとんどの人が中に入った頃、娘の家族が来た。
私は、もう3回目なので、落ち着いて見れる。
それでも、オープニングのお館様のシーンから、感動。
墓石にチラチラと映る木漏れ日。苔むした沢山の墓石。
漆黒の夜を切り裂いて走る蒸気機関車。たなびく煙で、窓から漏れる灯りが消える窓も。
善逸の夢の中の木々の木の葉の光の揺らぎ。川の透明なせせらぎ。
何と言っても炭治郎の青く澄んだ心象風景の心が洗われるような透明感。
日輪刀から繰り出される圧倒的な色彩の嵐。
特にラストの煉獄さんの燃え上がる情念の炎。
ストーリーも、登場人物の数々のセリフも、全てが分かっていても、それでも手を握りしめ、「勝って、負けないで」と心で叫ぶ。
煉獄さん、死なないでとマスクの中で口元が震える。
ラストのお母さんが迎えに来てくれた事に、心が震えるほどの感動で、新たに救われる思いが込み上げる。
そして、やっぱり、最後のクレジットが流れ、「炎」の歌が静かに終わり、暗闇に横たわる刃の欠けた煉獄さんの日輪刀に「煉獄さん・・・ありがとう・・・お疲れ様でした」と、胸に手を当てる。
暗くなった通りを、映画の話をしながら予約したお店に向かう。
<余談>
鬼滅の映画を見る前に家で、再放送のあった「わたしを離さないで」の最終回を見て、ジーンとしていた。
こんな世の中で、つい鬼滅と比べてしまう。
鬼滅では、想いは不滅。そして想いは引き継がれていく。
離さないででは、体は奪われても思い出は誰にも奪われないと、えみこ先生が言っていたが、でも、奪われないけど思い出は誰にも引き継がれては行かない。悲しい事だけど。
鬼滅では、人間の為に鬼と命を懸けて戦う。
離さないででは、普通の人間の為に自分の体を提供する為に、生まれて来た。そして提供の日を待つ日々。
人間の命は必ず終わる、それが知らされているか、知らされていないかの違いと受け入れて行く。もし、戦うというのであれば、自分の心かな。
でも、若い三浦春馬さんから目が離せなかった。
「この世に生まれて来て良かった。キョウコと会えてよかった。こんな終わり方が出来て良かった」とドラマの中で、トモは終わりを受け入れて行く。
三浦春馬さんは、現実の世界で生まれて来て良かった、と思う事はなかったのだろうかと悲しく思う。
この「わたしを離さないで」は、ずいぶん前にカズオ・イシグロ氏の小説もイギリスの映画も見ていたが、ドラマは、日本らしい物語になっていて、ゆったりと過ぎて行く時間が心に沁みた。
三浦春馬さんが大好きだった友達に、DVDにおとして渡す事にしている。
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