ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

南山開発について

2009-01-11 00:16:56 | 南ちゃんと南山
今日の午前中は、南山開発についての工事の説明会があった。

開発組合と建設会社から、周りの住民が集まって説明を聞いた。説明はほとんどコンサルティング会社のコンサルタントと言う人が行った。

通り一遍の説明しかなく、その後の質疑応答には参加の住民が競って質問をしていた。質問するから、私達が知らなかった事や、知らなければならない事が一杯出てきた。聞かなければ、何も話さない。そして、全てが了解された事として、了解しなくても物事は進められて行く。

聞けば、取りあえずは答えてくれるが「ご理解をお願いします。ご了承ください」の一点張り。そんなものだろうとは思うが。

今月から一期の工事の準備が始まる。そして、この、説明会で、初めて私達住民に開発の概要が話された。と言うか、こちらの強い要望で。それも、詳しく聞くと、「まだ、そこまでは決まっていない」とか「そこは、まだ、住民の人の承認がいただいていないので、こっちに仮の道を作ります」とか、何か、すっきりしなし、曖昧だ。

住民の失笑を買う場面も何回かあった。でも、そんな事は関係ない、ただ、一応は説明をしましたよ、というふうに感じられた。明日もあるので、もう一度行くつもりだ。

午後は、開発に疑問を持っている一部の地権者の勉強会があり、一般の人もOKなので私も行ってみた。

地権者が今一番、悩んでいる「仮換地指定とは何か」と言うことの勉強会で、外野としては面白かったし、勉強になった。

そして、私達が危惧しているとおり、何も知らないで印鑑をおした人達が多々いる。口約束は何の拘束もない。「そんな事言ってないし、あなたは判を押したでしょ」と言われればお終いだ。

「換地」とか「減歩」とか「精算金」とか勉強になったし、知らない事は恐い事だと思った。そして、何よりも恐い事は、組合員は絶対に抜ける事は出来ない。そして、たとえ反対であっても、その開発の地権者に該当する人の2/3の人が賛成すれば地権者になってしまう。そして、「施行者」は「施工者」ではない。たんなる工事業者ではなく「行政処分」の権限があるというのだ。

どこでも、この、換地でもめるらしい。それはそうだ。誰だって換地に一番条件のいい土地がほしい。それが、公平に決められるのであればいいが、どうしてもそこには?が付きまとう。「いい所を回すから判子を押して」と言われて判を押したけど、実際に仮換地の書類を見たら約束が違うというのがある。

「仮換地の供覧」というのがある。これは、地権者に換地の位置や面積等の説明と意見を聞く事である。コレが終わってから「仮換地の指定・使用収益の開始」の通知で換地が決まる。

この、南山開発では「仮換地の供覧」が11月上旬から順次行われ、「仮換地の指定・使用収益の開始」が12月20日に通知されたという事で、この勉強会に招かれた専門の先生が「あり得ない。信じられない。普通は一年くらいかかる事もあります。こんなに短いのは初めてです」とビックリしていた。

参加していた地権者の人達は、詳しい事もあまり知らされなくて、ここに来て「待てよ。おかしいのでは」と不安になって来たらしい。それに、口約束はイロイロあったらしいが、お金の話は詳しく話してくれないらしい。「たいしてかからないから」と。

部外者の私でさえ、心配になってくる。大事な家屋敷から山から農地から、そんなに簡単に判ついてしまって。今になって、「もう、イヤだ。ヤメたい」と言っても遅いのだ。

これから、異議申し立ての期限の60日までに、先生に教えを請いながら勉強して行くとの事。

もっと早くに地権者同士で話し合えば良かったのにと思う。まア、開発推進派にとっては、連帯しないように、地権者同士バラバラにしておく事が狙いなのだから。多分に知られては困る地権者同士のイロイロな差別が沢山あるのは自明だ。声の大きい人や権力のある人が有利になるように進められて行くのは必須だから。

結局、世の中は無知ではいけないのだ。自分の身は自分で守って行かなくてはいけない。ノーと言うべき時にはノーと言わなければ。振込み詐欺ではないけど、私は騙されました、では遅いのだ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達と新年会

2009-01-09 20:21:58 | Weblog
昨日、友達と新宿でランチを共にした。

彼女とは、20年以上も前に知り合った。大阪から東京に夫の転勤で帰って来てパートに出る事にし、ある銀行のパートの仕事に就いた。

あの頃は、深くは考えなかったが、今、思えば派遣社員だったのだ。ただ、銀行に勤めているが、所属は、その銀行の人材派遣会社だった。派遣会社って、随分と昔からあったのだ。でも、今問題になっている派遣会社とはシステムが全然違っていたが。

私達は、その会社の第一期生として入社した。一週間の教育期間は大変だった。遠い研修所へ電車で乗り継ぎ、機械の操作と銀行用語を覚えさせられた。一週間で加算機と、キーボードのブラインドタッチをマスターする事を義務付けられた。今と違い、打ち込みはカナ入力。“ちとしはまのりれ”と一週間で指で覚えるのは大変だった。その後、ローマ字入力を覚えたが、その、ローマ字入力の楽な事にビックリした。

あの頃、第一期生という事で、派遣元からも派遣先の銀行からも、随分と大事にしてもらった。そして、同期の人達とは、食事をしたり、旅行に行ったりと仲良くした。でも、今でも付き合っているのは昨日の彼女。気があったのか、年に何回も会わないが、続いているし、これからも続いて行くだろう。

6年も勤めた頃、疑問を感ずるようになった。行員と同じ仕事を同じようにし、忙しい時はトイレに行く間も惜しんで仕事をしていたが、時間給の余りの格差にだんだん我慢が出来なくなって来た。それで、正社員として働く事にした。その頃、まだ、バブルが弾けていなかったので、直ぐに仕事を見つけた。

今、リタイアして、65歳になってのフルでもらえる年金額を知り、ガッカリしている。女性は正社員でも男性に比べて、遥かに給料が安い。だから、年金が安い。独身女性は生涯賃金が安いから、老後が大変だろうなと思う。

日本は男女の格差が、世界130カ国で93位との事。中国よりも低い。

今、派遣の人達の悲劇が、日本で渦を巻いている。派遣だけでなく、能力とは一切、関係ない所で差別と格差が広がっている。

景気のいい時は、安い労働力で利益を上げ、景気が悪くなれば、彼らを切り捨てて、会社の利益を守る。こんなに簡単に人件費を調整出来るのであれば、高給な社長や人事部長なんて要らないのではと思ってしまう。

せめて、65歳になり、年金を満額もらえるようになった会社勤めのサラリーマン達(トップも含めて)は、自分の椅子を若い人達に明け渡して欲しい。そして、まだ仕事をしたかったら、その人達こそ、派遣として働いたらと思う。

働ける人達には、しっかり働いてもらい、しっかり税金を納めてもらい、自分の老後の為に、しっかり年金を積み上げてもらう方が、日本の為になるのにと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい年に、元気になれる夢を

2009-01-04 16:43:08 | Weblog
去年は本当に暗い事件や事故があった。そして、酷い生活に落とされてしまった、職と住いのない人々。年が明けて、彼らに暖かい日々が戻るのだろうか。

TVを見ても、能天気にふざけている番組と「死ぬしか方法がないのだろうか」と未来に希望がもてない人々の映像が同居している。何とも、座り心地の悪いお正月。

世界的に不況の嵐が吹き荒れ、そして、ここに来て又イスラエルとパレスチナでの戦争が始まった。TVでしか知る事の出来ない子供達の苦しみや大人達の嘆きに、どうして人々は争いを無くす事が出来ないのだろうと悲しくなる。

日本も、政治を見ても経済を見ても人々の暮らしを見ても、少しは希望を感じられる事はあるのだろうかと、雲一つない冬晴れの青空を眩しく見上げる。

そんな中、日本経済新聞の1月1日の「逆境に克つ」という特集には、非常に元気をもらった。

日本には世界に負けない絶対的な技術が知恵が人々の暖かさがある。

資源の無い日本には立派な人材という資源があったはずだ。戦後の焼け野原から世界有数の経済大国になったのは、真面目な優秀な一般大衆がいたからではなかったかしら。この、不況は、その人材という一般労働者を、日本の風土とあわない方法で、単なる資材と見なして利益を追求した事ではなかっただろうか。

この、日経の記事では、世界に打って出ている企業から小さな山村、そして、医療、子育て、文化、農業、お金から地方自治まで、あらゆる分野での元気が載っている。そして、共通するのは、知恵を出し合って、真面目に様々な事に取り組む人々と、他を思いやる心と、人々の絆。

手垢のついた言葉だけど、やっぱり、人の幸せはお金では買えない、人との繋がりなのでは、と思う。

大企業のトップが、末端で働く人々が人間として見えていたら、そして、彼らが働いてくれているお陰で、自分の裕福な生活が出来るのだと言う事をわきまえていてくれたら、“派遣”と名づけられた人々のお正月は、もう少しマシだったのではと思う。

去年は弱者が“自己責任”という言葉で黙らされた。本当は政治家や経済界のトップこそが“社会的責任”を全うしなければならなかったのではないかと思う。

日本経済新聞の特集のように、今年こそは、国のトップに立つ人々は、私達に夢と安心を示して欲しい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の新年会

2009-01-02 20:19:32 | Weblog
息子の誕生日が12月18日なので、誕生会と忘年会とクリスマス会を兼ねて毎年家族で美味しいお料理を食べに行っていた。

最近は、暮れはそれぞれ忙しいので、去年からお正月の2日に新年会も兼ねて食事会をする事にしている。家族の誕生日の食事会は娘が、いつも美味しい所を探してくれる。ディナーは帰りが遅くなるとイヤなので、暮れにランチの予約を入れておいた。

今日は、青山の「星のなる木」という和食のお店。見た目も美味しく、食べても美味しかった。



写真をとる前に、ちょっとつまんでしまったデザート。


今度、お友達と来ようかなと思う。

渋谷の岡本太郎さんの壁画は大きすぎてカメラに収まらない。


帰りには、府中の“大國魂神社”に初詣によった。毎年、行っているが、一番の人手だった。午後に行くのは初めてだからなのか。


家族にとって穏やかのお正月の二日目が終わる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇杯決勝

2009-01-01 20:49:26 | FC東京とサッカー
夫と国立に天皇杯を見に行く。本当はFC東京の試合を応援に行く予定だったが、適わなかった。それで、純粋にサッカーの試合を楽しもうと出かけた。

でも、寒かった。太陽が出ていると、少しはマシだが、ちょっと雲に隠れると寒い。膝掛けをして、カイロをしてもやっぱり寒い。

バックスタンドの二階は久しぶりだ。選手が分かりづらいが、ゲームの展開は良く分かる。




ガンバはビックリするくらいにパスを回す。回して回して、縦に入れる。柏はパスよりも速攻で攻めあがる。後半になって、延長になって、やっと面白くなって来た。そして、やっぱり、ガンバが勝った。

決勝って、もっとスリリングな展開を期待していたが、でも、ちょっぴり退屈。それに、ガンバのゴール裏に近かったので、最初から最後まで同じ調子で応援しているガンバのリズムに眠くなりそうに感じた。

やっぱり、冬の寒い試合は辛い。ジッと座っていると身体が固まって来る。電車に乗ってジワッと、身体が暖かさにほぐれてきてホッとした。もし、雨か雪が降っていたら、絶対にTV観戦していただろう。

帰りの駅でFC東京のサポーターに声をかけられた。何処かに、FC東京のサポーターであると自己主張しているので、お互いにすぐ分かる。電車の中で去年の事や、これからの東京の話を楽しんだ。

2009年の一日目は国立の天皇杯決勝で始まった。穏やかなお正月。良い年でありますように。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする