ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

ヴェルディ対セレッソ大阪

2009-03-15 20:47:49 | FC東京とサッカー
稲城市民チケットで夫と味スタに行って来た。地元が稲城でもヴェルディのファンではない。どちらかと言えば、セレッソに頑張ってもらいたい。J1に上がって来て欲しい。そして、長居スタジアムで知り合いの家族に会いたい。

今日がヴェルディの開幕。地元稲城市長がキックオフをする。


前半、夫は「つまんない試合だな」と呟く。まア、FC東京の試合と違って、気持ちも力の入れ方も違うから、ノンビリと見ているからだろうと思う。後半は、結構、スピーディーで面白かった。ヴェルディが負けている事もあって。

観客が1万人にも行かないのは寂しいが、でも、応援に来てる人達は本当にヴェルディが好きな人ばかりなんだなと思った。バックスタンドの真ん中あたりにいたのだが、周りが本当に熱い。若いお嬢さんのグループがゴール裏に合わせて、大声で歌っていた。監督きどりのうるさいおじさんもいたが「ああ、いいな」と思った。

そして、ヴェルディのゴール裏を見ていて思った。自分の好きなチームはJ1でもJ2でも関係ない。ただ、そこに自分が心を寄せれるチームが在って、生活の一部になっているチームが在って、週末にはワクワクと期待を持って足を運ぶチームがあって、喜びに悲しみに心を揺り動かされるチームがある、それが幸せなんだと思った。

FC東京は開幕2連敗しているが、
「You'll never walk alone」である。

ユルネバを歌って、FC東京が勝利するために応援しよう!!

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浦和に完敗

2009-03-14 19:51:17 | FC東京とサッカー
まさか、3-1とは・・・。

午後からは晴れると言っていたのに、浦和美園に降りたら雨が降っていた。そして、寒かった。今日の参戦は私一人。仲間は誰も来ない。

席は、丁度、記者席の並びだった。初めて2階に上がったが、すごい、見やすい。浦和の開幕はもっと派手かと思った。雨のせいか拍子抜けだった。


浦和ゴール寄りのメイン指定席だったけど、東京ゴール裏から聞く浦和の応援とは感じが違っていた。そんなに脅威を感じなかった。東京ゴール裏から聞く浦和の応援の方が凄い。それに東京の応援も時々聞こえてくる。


屋根が大きく覆っているのに、雨が霧雨のように時々あたる。寒い。

サッカー専用スタジアムで、このくらいの高さから見ると、本当にゲームがよく分かる。いい所も悪い所も。そして、気持ちが、どうしても勝つという気持ちが浦和の方に強く感じた。

後半、浦和にボールを回される、セカンドボールは取られる、東京は追い掛け回すだけでマイボールに出来ない、ミスが多い、ボールを必死で追いかけない、昔のようにサイドの迫力ある駆け上がりは無しなのか・・・。

どうしてか、クリアしてもカットしても足を出しても必死のパスも、ボールは浦和の選手の所に行く・・・。

浦和には簡単にゴールを決められたように感じた。それに、もう1点か2点入れられたもおかしくなかったような・・・。

あ~、もうネガティブになるのはやめよう。勢いのある山形に対して、どのように向かって行くのか見守る事にしょう。

いつまでも、いつまでも追いかけてくる浦和の凱歌を聞きながら、浦和美園駅まで歩いた。一人で来て正解だった。誰とも話したくないもの。速攻でスタジアムを出たので、電車は空いていた。



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明日はFC東京と浦和戦

2009-03-13 09:31:38 | FC東京とサッカー
両方ともJリーグ初戦を負けてしまった。東京は4点も取られ、向こうは0点の完敗。どっちも、負けられない試合。ガチンコの激しいゲームになるだろう。

そして、あの、狂ったような赤い暴風雨。それに圧倒されるのか、ここ何年も、その嵐に勝てない東京。

思い出すのは、初めて駒場に行った時の事。出島事件の時。何人かの仲間は出島に閉じ込められたが、私は指定席にいた。帰る時にトイレに行った時、男性のトイレは警備員が囲んで入れなくなっていた。見ると、入り口に男性が伸びていた。赤いマフラーの浦和の人。仲間同士でケンカして、倒れたとの事。目をつむって白い顔をして大の字になっていた。

アウェイ浦和に行くと、いつも、その時のシーンを思い出す。あの時に比べて、赤い色は遥かに大きく膨張した。スタジアムが赤い色彩と暴力的なノイズで頭が痛くなる時がある。埼スタには、もう二度と行きたくないという仲間もいる。

明日は、チケットが取れなかったので、仲間はTV観戦。私は、仕事でホーム開幕戦に行けなかったので、何とか、残っていたメイン指定席を買った。だから、一人で乗り込む。

きっと赤い海の中状態だろう。そして、浦和ホーム開幕戦でもあり、ビジュアル的にも凄い事になりそうだ。

青色も赤色も身に付けないで、私は外面は静かに心はマグマのように熱く応援する。そんな異物に回りは気が付くだろうが、関係ない。もしかしたら、私のような東京人が回りにいるかも知れない。

そして、そして、勝って、赤い殺気を全身に浴びたい!!
あの、嫌いな浦和美園駅までの道を一人ガッツポーズで歩きたい!!

絶対に、勝て!!
負けるな、FC東京!!




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稲城のヴェルディ

2009-03-12 19:27:42 | FC東京とサッカー
私は大のFC東京ファンと言うよりサポーター。だから、ヴェルディが稲城をホームタウンとして、引越して来た時。えええーー!!と思った。そして、駅前にはヴェルディのフラッグがはためいている。頭の中では、青赤のフラッグのはためきに変換している。

あれから、何年も過ぎるというのに、ヴェルディは稲城に根付いているのだろうか。市役所の京王線から見える側にヴェルディを応援する大きな垂れ幕が下がっていたが、いつ頃からか見なくなった。

稲城市では稲城市民の為に安いチケットを売っていて、市役所から無料の送迎バスが出ていた。時々、対戦カードによっては夫と見に(あくまでも見に)行っていた。特に送迎バスがあるから。

今年も、ヴェルディの開幕戦は、FC東京のゲームと重ならないし、相手がセレッソなので夫と行く事にして、チケットを市役所で買った。しかし、送迎バスは無くなったとの事。スポンサーが付かなかったのか。そういえば、ヴェルディはユニホームの胸にスポンサーが入っていないが・・・。

この間から、朝、仕事に行く為に駅へ行くと、駅で何人ものヴェルディの人が「開幕戦に来てください」とビラを配っていた。

そして、今日、なんと、あの“ラモスさん”がいる。モチロン、ミーハーの私は、ラモスさんの所に行き、チラシを受け取り「チケットを買いました。頑張って下さい」と握手をする。ラモスさんは「ありがとう」と私の目をジッと見つめて両手で私の手を握ってくれた。ちょっと感激!

Jリーグは地域密着をうたっているが、ヴェルディは稲城をホームタウンとするクラブとは思えない。稲城の知合い達に聞いても、ヴェルディの事はあまり知らない。ラモスさんは知っているが、だれも選手の名前を知らない。

選手達が商店街に来るとか、サイン会があるとかあまり聞いた事がない。稲城市民際の時は、グラウンドで子供達とボールを蹴ったりサイン会はするみたいだけど、普段は聞かない。市の広報にも、あまり情報が載らない。

本当に、ヴェルディ自身が、稲城をホームタウンとして地元に溶け込もうとしているのか疑問だ。クラブがホームタウンである稲城を愛してくれなければ、稲城市民もヴェルディを「ウチのチーム」として応援に行かない。まずは、稲城市民をスタジアムに呼び込む為の、地道な努力から始めなければダメだと思う。稲城市民は、あの昔のヴェルディの為にはチケットは買わない。J2だとか、勝てないとか、そんな事は関係ない。彼らが何処を向いているのかが問題なのだ。

さて、私はヴェルディ開幕戦はどっちを応援するだろうか。セレッソには、ヤンマー時代、物心が付いた時から応援していたという知り合いがいる。セレッソがJ1にいた時は、スタジアムで、あの強烈な桜吹雪のレプリカユニを着た彼と、互いにエールを送り握手をしてあっちとこっちに分かれて応援した。

ピンクのユニを着た彼のお嬢さんに会い。大きくなっただろうな。何年生になったのかしら。その為にも、セレッソにはJ1に上がって来てもらいたい。

FC東京のゲームと違って、穏やかにサッカーを楽しもう。

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哀れなパンジー

2009-03-11 11:03:30 | 花と自然
毎年、今頃は、家のベランダの手すりはパンジーの花で溢れている。

ところが、今年は、全然パンジーの花を見れない。見事に花がない。鳥が、みんな食べてしまうのだ。早朝に来るので、鳥が食べているところを見たことがない。でも、ちゃんと、フンというお土産を置いて行く。




ここに住んで10年以上が過ぎるが、こんな事は初めてだ。先月の終わり頃から水をやる時、パンジーの花が千切れたようになっていて、おかしいなと思っていた。そして、花が無くなり、蕾もなくなり、手すりに鳥の糞がついているので、「ああ~、鳥さんに食べられたのか」と気が付いた。

どうして鳥がパンジーを食べるようになったのかと考えた。丁度、南山の工事が始まった頃からだと気が付いた。まだ、一部だが、山の木々が日々、引っこ抜かれて行く。それが原因かは分からないが、時期が合っているので、よけいに山が無くなるのが悲しくる。


この間の新聞に、絶滅保護種の「トウキョウサンショウウオ」の調査をすると載っていた。「トウキョウサンショウウオ」は多摩地区に生息している。この、南山にもいた。工事が始まるに当たって、それを問題にした時、開発組合は「トウキョウサンショウウオには気持ちよく引越しをしてもらいました」と言った。どこに引越し(!)をしたのかは明らかにしてくれない。

南山に生息していた「トウキョウサンショウウオ」の家族は引越し先で元気にしているのだろうか。

又、南山にはオオタカも住んでいて、雛が生まれたのも確認されている。野鳥の会の人が言っていたが、この南山で発生する上昇気流はオオタカの活動に最適なのだそうだ。上昇気流に乗り、高く舞い上がったオオタカは、毎日、同じルートを多摩川に向かって滑空して行くそうだ。

オオタカが住んでいる所では、開発工事は出来ないはずだが、そんな事はお構いなく工事は始まる。そして、その工事の騒音等でオオタカが何処かに飛んで行ってくれる事を、組合は期待しているのだろう。でも、オオタカの餌場は広範囲だ。営巣だけの問題ではない。

「平成狸合戦ぽんぽこ」の高畑監督が、この南山を歩いて「都心からも近い、そして駅のそばにある貴重な多摩丘陵を削らないで」と言っている。

「南山は都民のオアシス、ぜひ残して!!」と色紙にも書いていただいた。

遥かな昔から日本人は自然に対して、山々に対して畏れ、そして敬って来た。神々を感じ、悠久の希望も感じて来たはずだ。いつから、現世の欲望の対象になってしまったのだろう。林が森が山がコンクリートに覆われてしまったら、私達の心の安らぎはどうなるのだろう。

始まってしまった大きな動きは、私達の声だけでは止められない。改めて、箱物行政・土木行政推進のトップを選んでしまった私達の責任を感じる。これは最終的には地方政治の問題なのだと、つくづく最近、そう思うようになった。

私のパンジーの花が鳥に食べられた事で、ますます、目の前の南山消滅工事が恨めしい。

違う花を買って来て、パンジーと入れ替えたが、やっぱり鳥が来て食べた。それで、夜に花に袋を被せる事にした。鳥さんには気の毒だが・・・。





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今日は娘と合同の誕生会

2009-03-08 21:36:32 | Weblog
娘は3月初め、私は2月の半ばの誕生日。毎年、3月初めに家族で、私と娘の誕生会をレストランのランチを予約してしている。

娘が渋谷の、時々家族の誕生会で利用しているレストランがいいと予約の電話をした。まだ、一週間前だし早すぎるかなといいながら。ところが、満席と言う。2~3日前でも大丈夫だったのに。

どうして、そんなに早く一杯になるのかと聞いたら、ミシュランの星がついたからと言う。星が付いたなんて、全然、知らなかった。第一、ミシュランに興味が無いので本を読んだこともない。

そのレストランの大きな窓からの眺めが本当に素晴らしい。空気が澄みきっていれば、多分、富士山が見えるはずだ。まだ、一度も見た事はないが。

次回の、夫の6月の誕生日に行こうかと話している。早く、予約して。

でも、今日の新宿のフレンチコースも美味しかった。

息子は千葉から出て来るが、こんな時でもないと、なかなか息子と話が出来ない。昨日のサッカーの試合でFC東京が完敗した事を「どうしたの?」って笑われた。どうしたのって言われても、ゲームだもの勝つ時も負けるときもある。リーグ34試合のウチの1試合。まだまだ、始まったばかり。次に勝てばいい事。

息子は、昔はアントラーズが大好きだったのに、今は欧州サッカーが面白い、アーセナルが面白いと言う。

どんなに、外国サッカーが面白くても、スタジアムで見るゲームに勝るものは無いと思う。緑の芝生、走り回る選手達、サポーターの応援、素晴らしいプレーの時のどよめき、最高だ。

ユックリといろいろな話を一杯して、至福の時を過ごした後は、レストランの前で別れる。夫には息子からもらったプレゼントを持って帰ってもらう。息子は、久しぶりに新宿に来たのでブラブラして行くと。私は娘に付き合ってショッピング。

家族が皆そろって美味しい物を食べた日は、とっても幸せだ。




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明日は待ちに待ったJリーグ開幕

2009-03-06 19:48:45 | FC東京とサッカー
長い長いオフがやっと明ける。サッカーファンが待ちに待った開幕戦。選手の仕上がりは?新しい選手のフィット感は?フォーメーションは?と。あちこちの情報を覗きながら、焦がれたJリーグサッカーゲーム観戦。何よりも、私のFC東京の試合への渇望感。去年のゲームのビデオを見ながら、早く始まらないかな、と恋焦がれていた。

いよいよ明日は開幕戦。

ところが、その待ちに待った開幕戦に参加出来ない。FC東京を応援し始めて開幕戦に行けないのは初めてだ。チケットを譲った友人は大喜びで、早速、旦那さんの分のチケットを買いに行った。

去年の3月で会社をリタイヤして、悠々自適の生活をしていた。今年に入って、友達が「職を探さなければ」と言っていたので、たまたま、新聞の求人折込チラシを見ていた。そしたら直ぐ近くでパートを募集していた。行ってみたら「来てください」と言うので「はい。よろしくお願いします」となってしまった。

2月から勤め始めた。ほとんど電話番みたいな楽な仕事。3人で、半日交代で回しているので、休みの自由はある。でも、土曜日は出勤日。土曜日は月に1回か2回出ればいいのだが、たまたま7日は二人がどうしても用があると言う。新人だから、しょうがなく出る事になった。

開幕戦は行けれないので、何とか浦和戦は行きたい。チケットは仲間と電話・PCと頑張ったが取れなかった。キャンセル分も取れなかった。仲間はTV観戦すると言うが、私は開幕戦を見れないので、まだ残っていたメイン座席指定(それも、浦和ホーム寄り!)を買った。

浦和アウェイはゴール裏しか行った事がない。メイン座席指定から見る景色は、ちょっと楽しみでもある。東京と分かるグッツは全て外して行かないといけないかな。心の中で熱く応援するつもりだ。

土曜日は、携帯でチェックしながら、ドキドキしながら東京の応援。

ガンバレ!!東京!!
ぜひ、勝利を!!
必ず、勝点3を!!

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映画「ベンジャミン・バトン」

2009-03-04 13:25:52 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
冒頭の、一人息子を戦争で無くした時計職人が作った大きな時計が、駅の開通式に掲げられた。来賓の見守る中で動き出した針は、逆回りに時を刻み出した。もしも、時が逆に回り出し、戦士した息子の時間が戦争に行く前の時間に戻ってくれたらとの願いを込めて。

死に行く年老いた母に、娘はせがまれて「ベンジャミン・バトン」の日記を読み始める。外は、迫りくるハリケーンの暴風雨。私達は娘と一緒に、ベンジャミンが淡々と、そして波乱に満ちた人生の物語の時間に魅せられて行く。

戦争の終わりを祝う町の賑わいの中、母の命と引き換えに醜い赤ちゃんが生まれた。愛する妻の命の代わりの、あまりにも醜い息子を夫は川に投げ込もうとするがジャマをされ、賑わう町を走り回り、とある家の階段に息子を置いて行く。

そこは老人達の家。老人を世話している黒人の娘に拾われ、たまたま来ていた医師に診てもらう。医師は「今にも死にそうな老人と同じ肉体だ。」と。そこに横たわっている赤ちゃんは、顔も皮膚も手も足も全てが、寿命の来た老人だった。

ベンジャミンは普通の子と同じように、だんだん身長も伸びて大きくなって行くが、その容姿は小柄な老人だった。髪は白くまばらで、顔はシミとシワでたるみ、手もカサカサとシワだらけ。でも、心はママを大好きな子供だった。その、子供だった頃、時々おばあさんを訪ねて来るディジーと仲良くなる。

ディジーは美しく成長しプリマドンナとなる。ベンジャミンも大人になり、髪が増え、でも老人だった。

ディジーが交通事故で入院している時に現れたベンジャミンは栗色になった豊かな髪を綺麗にとかして、でもまだ、ディジーよりはずっと年が上だった。

ディジーが年を重ね、ベンジャミンが若返って行く時間が丁度交わったのが、それぞれの俳優の実年齢の40代。二人は、又、二人の時間が離れて行くのを恐れるように毎日を、ただひたすら抱き合って過ごす。

そして、ディジーは妊娠し、ベンジャミンの不安の中、五体満足の普通の女の子を産む。可愛い娘が一才の誕生日にベンジャミンは「私の記憶を残したくない。娘には普通の父親を与えてほしい」と姿を消す。

ベンジャミンが最後にディジーの前に現れたとき、彼は20歳前後の若者になっていた。一晩、ベッドを共にし、朝の淡い光の中で、部屋の隅で下着を付け服を着るディジー。ベッドに寄りかかり、それを悲しく見つめる、美しく若く魅惑的な青年のベンジャミン。ディジーの老いの現れた肩や背中や腰回りの悲しい哀れさ。その姿に涙が溢れた。余りにも残酷な二つの時の流れ。

時が流れ、ディジーがベンジャミンに会ったのは、彼が幼児になりディジーの事も分からなくなってからだった。「僕、何にも思い出せない」と。すべすべしたホッペの柔らかいフワフワの髪のかわいい坊や。

最後は天使のような赤ちゃんになり、ディジーに抱かれ、ジッとつぶらな瞳でディジーを見つめ、そして静かに瞳を閉じて永遠の時の彼方へ去って行くベンジャミン。柔らかく抱きしめるディジーの腕の中で・・・。。胸が詰まって涙がポタポタ溢れた。

今も、そのシーンを思い出すと胸が一杯になり、鼻の奥がツーンとなる。未だに、私の心の中で20代のまま年を取らない封印した昔々の思い出が蘇って・・・。

ブラッド・ピットの特殊メイクが凄かった。生まれたときの赤ちゃんと最後の幼児以外を全て自分で演じたのは凄い。老人顔の小さな子供の頃も、ちゃんとピットが演じていた。合成技術は違和感なかった。

そして、青年のピット!老け役よりは若い役の方が難しいと思うが、ドキっとする程に若い美しいピットがそこにいた。画面の中の若い自分を、本物のピットはどう思っただろうか。世の中年過ぎの人達が、特に女性が、どんなに望んでも絶対に手に入らない若返り。毎日、鏡を見ながら「20代の頃の自分に戻りたい」と、どれだけの女性がため息をついているだろう。

冒頭の逆周りの時計が、ガラクタ倉庫の中で、ハリケーンで溢れた出た水に洗われるのが印象的だった。

そして、外のハリケーンの暴風雨をよそに、静かな白い病室の中で、白いベッドに横たわる年老いたディジーがそっとつぶやく。

「おやすみ、ベンジャミン・・・」と。




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私のおひな様

2009-03-03 19:21:24 | Weblog
今日はひな祭り。

そして、母の誕生日。母が子供の頃、田舎の貧しい農家ではおひな様なんて、飾っている家はほんの一握り。私が子供の頃も、お友達の家でおひな様を飾っている家は無かった。

結婚して、引越しが多いため娘が生まれてもひな壇は買わなかった。夫の叔母さんが作ってくれた木目込み人形を親王飾りとし、後は娘のりかちゃん人形やバービーちゃん人形やぬいぐるみ等を飾った。娘は大喜びだった。お友達の家で大きな7段飾りを見ても、別に欲しがりもしなかった。

娘も大きくなり木目込み人形も壊れて、何回か引越ししているうちに、何処かにいってしまった。

いつ頃か忘れたけど、私は「自分のおひな様が欲しいな」と思った。夫に言ったらしくて、ある時、夫が、小さくて可愛いお雛様を買って来てくれた。

毎年、夫が私の為に飾ってくれる。小さくて可愛くて気に入っている。









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“南ちゃん”の篠笹刈り

2009-03-02 15:51:25 | 南ちゃんと南山
第一と第三日曜日は“南ちゃんの会”

私達の活動の拠り所の、私達が「お父さん」と呼んでいる農家の人と南山に入る。今回は、南山の裾野の、昔、棚田だった所に生い茂っている篠笹を刈り取る作業。

確かに、そこは回りの里山とは雰囲気が違っている。いつ頃、田んぼを放棄したのか、お父さんに聞くのを忘れたが、まだ完全に山に飲み込まれてはいない。棚田だったと言われれば、なる程、その範囲は木々よりは篠笹やススキに覆われヤブになっている。ここが田んぼとして機能していた棚田だった頃は、さぞかし美しい風景だったのだろうと、想像する。

道と棚田との間には小川の名残りがある。昔は蛍が沢山舞っていたそうだ。篠笹を切り出して、奥の方に行くと、まだ、水の道がある。乾燥した冬でも、ちょっとぬかるんでいる。




お昼はいつものように、カセットコンロで大鍋のトン汁を温めていただく。前回の“南ちゃん”の時に、お父さんに沢山いただいたカラシ菜を塩漬けしたのを持って行って、皆に味見をしてもらう。


食後、お父さんが道具を運び出している間に、皆で棚田の回りを歩いた。

山に接して、昔は道だった所があった。ガードレールが土の中から少し頭を出している。そして、その手前に、半分土に埋もれて並んだ植木鉢の列と南天。多分、昔、ここに家があったのだろう。

誰も通らなくなった道ではあるが、それでも、ちゃんと道のまま上に伸びている。誰も通らなくても、道には木は生えて来ないものなのか。

皆で、ここを綺麗にして、どうしょうかと楽しい相談をする。お父さんと彼の息子さんとでは意見が違うし、私達もどのように利用し楽しもうか、まだ考えがまとまらない。ただ、ここで蛍を見たいねと皆が考えている。

山の中の道を、お父さんの畑の方に歩いて行く途中で、男性が一人で畑を作っている所を通った。私達がお父さんの山の下草刈りを始めた頃に、篠笹が生い茂った所を、下草刈りをしていた場所だ。今は、綺麗な畑が出来つつある。たった一人で黙々と畑を作っている男性。挨拶をし、耕された畑の土の豊かさを愛でる。お父さんの畑もそうだけど、豊かな落葉樹がりっぱな肥料になるからだろう。

この、豊かな里山が、ずっと里山であり続ける事を、願ってやまない。

そして、篠笹刈りをした後には、あちこちに“多摩の寒葵”があった。







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