新橋共同建築(左:中和ビル、右:甘糟ビル)
所在地:港区新橋2-6
建設年:中和ビル 1929(昭和4)、甘糟ビル 1930(昭和5)
構造 :RC
階数 :中和ビル 5F(後年増築して一部6F)、甘糟ビル 4F
設計 :復興建築助成株式会社
備考 :2008年解体。
Photo 2003.12.29
新橋共同建築は、もとは織田ビル・中和ビル・甘糟ビルの3棟が一体の共同建物だったという。織田ビルはこの2棟より前に解体され、建て替えられていた。
ビル名が別々になっていて、階段もそれぞれの建物毎に設置されていたようだが、構造体としては一体的につながっていたらしい。上の写真で見ても、二つの建物の境目の位置に雨樋があり、二つの建物にまたがるかたちの金具で樋が固定されている。
Photo 2003.12.29
奥の10F建てのビルは先に建て替えられた織田ビル。新橋共同建築は、九段下ビルを設計した復興建築助成株式会社が造った共同建物だが、建設の経緯や考え方が九段下ビルとは異なるようで、外観デザインが建物毎に異なり、廊下や階段、入口なども共通化されていない。資料で共同建築だったと知ることがなければ、ひとまとまりの建物だとはおそらく気づかなかっただろう。
なお、右端の新橋亭本社と、その更に右側(写真外)の新橋モダン食堂のビルもほぼ同時期に解体され、現在、建て替えが行われている。
★近代建築探訪★ > 新橋のビル
CiNii > 復興建築助成株式会社による関東大震災復興期の「共同建築」の計画プロセスと空間構成に関する研究Tokyo Lost Architecture
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