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新橋亭(中央)、新橋モダン食堂(右)、左奥は新橋共同建築
Photo 1997.3.27
所在地 :
構造・階数:
建設年代 :
解体年 :
備考 :
新橋亭
港区新橋2-6-3
RC・4?(当初は3F)
震災後〜昭和初期?
2008(平成20)頃
1946(昭和21)創業
2007.3末で休業 新橋モダン食堂
港区新橋2-6-2
RC・3
震災後〜昭和初期
2008(平成20)頃
2005.2末閉店
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新橋亭(左)、新橋モダン食堂(中央)
Photo 2003.12.29
新橋亭と新橋モダン食堂の建物の跡地は、新橋共同ビル跡地と共に一体的に建て替え中。
新橋亭じたいは新館・別館等で営業中。ファサードが大幅に改変されていて、もとの建物の様子が分からない。3Fないしは4Fだったので、新しい建物ではないはず。創業は戦後すぐで、その頃の建物か、もしかすると更に古い建物に入居した可能性もなくはない。ただし詳細は不明。
新橋モダン食堂の建物は、軒先に昔風の装飾などが付いており、どちらかというと戦前の建物のように見える。
2025.1.5追記
下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事によれば、こちらの建物はかつては新橋志乃多寿司で、同社が建てたものらしい。
また、新橋しのだ寿司は1949(昭和24)年創業だそうだが、戦前、1932(昭和7)年の火保図にも「篠田スシ」の名があり、正式な創業以前からここで営業をしていたようだ。
第一ホテルから外堀通り 出典『米軍が見た東京1945秋』p.131
また、上写真は1945(昭和20)年10月に占領軍関係者によって撮影されたもので、新橋共同建築と新橋モダン食堂(旧新橋志乃多寿司)の建物がはっきり写っている。新橋亭の建物は、戦後、4階建てに増築?されたようだが、新橋志乃多寿司の建物は窓割など以外はほぼ変わっていないことが分かる。
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新橋志乃多寿司/新橋2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
写真出典『米軍が見た東京1945秋 終わりの風景、はじまりの風景』佐藤洋一、洋泉社、2015
Tokyo Lost Architecture
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