都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

同潤会清砂通アパートメント 1〜3号館

2019-03-18 | 江東区  
同潤会清砂通アパートメント 1号館
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・4F
建設年:1927(昭和2)
解体年:2002(平成14)
Photo 1994.7.13

 同潤会清砂通アパートメントは比較的規模が大きく、白河3、4丁目と三好4丁目に、計16棟の建物が残されていた。なかでも1号館は、清州橋通りと三ツ目通りが交わる白河三丁目交差点に面しているため、シンメトリーなデザインで塔屋があり象徴性のある姿を見せていた。


 Photo 1996.5.12

 コーナー部分が建物の入口で、階段室になっている。

 塔屋のある1号館は角地にあり、角の部分はカーブを描いている。ただその両側に角張った部分があるため、やや鎧のように厳めしく、屋上の塔屋は船の艦橋のようでもあった。交差点に向かって前進してくるのではないかと思わせる迫力のある形。


 清州橋通り側の側面 Photo 1996.5.12

 幹線道路に面した1号館の1階には店舗が入っており、いわゆる下駄履きアパートになっている。同潤会アパートはRC造集合住宅として初期のものだが、店舗付き集合住宅としても初期のものになるのではないかと思う。


 左:1号館、右:2号館 Photo 1994.7.13

 L字型の1号館の裏側には同じくL字型でやや小規模な2号館があり、二つの間には四角い中庭があった。斜めになった奥の壁面は1号館コーナー部の裏側にあたる。


 1号館裏の中庭的なスペース Photo 1994.7.13

 左が1号館の南側翼部。2棟あるように見えるが、採光と風通しを良くするために裏側は出入りのある形にしていたようだ。右は2号館。


 1号館階段室見上げ  Photo 1994.7.13

 少々凝ったデザインの階段室も他の同潤会アパートにはおそらくなかったもの。丸い角を持つ三角形の吹き抜けが印象的だった。



同潤会清砂通アパートメント 2号館
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・3F
建設年:1927(昭和2)?
解体年:2002(平成14)
Photo 1994.7.13

 2号館は1号館の西南側裏にあった。写真は南側の東西方向道路に面した部分。物干しのベランダなどがないため、物干し台を増築した部屋なども一部には見掛けられた。



同潤会清砂通アパートメント 3号館
所在地:江東区白河3-4
構造・階数:RC・4F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2002(平成14)
Photo 1996.5.12

 1号館の西隣にあった3号館。1号館同様、清洲橋通りに面しており、1階部分は店舗になっていた。1号館に比べると2〜4階の開口部の幅が小さめ。

 戦後の都営住宅や公団住宅そして現在に至るまで、集合住宅は南向きが重視され、そちらに居室の主な窓が配され、階段室や廊下、玄関などは北側に置かれることが多い。大通りの南側にある集合住宅の場合などは、自動車交通の騒音を避けるため通り側に背を向けることが特に多いのだが、初期の事例だったためか、さほど日当たりを気にしていなかったのかとも思える外観になっている。欧米の集合住宅は通りに面した壁面(いわゆるファサード)をきれいにデザインしていることが多いが、その影響もあったのだろうか。

 白河3丁目にあった1〜4号館は2002年に解体。また、東側の白河4丁目、三好4丁目の建物群もその後取り壊されて再開発が行われた。

廃景録同潤会 清砂通アパート
ぼくの近代建築コレクション
  同潤会清砂通りアパートメント1号館/白河3丁目
Tokyo Lost Architecture
同潤会清砂通アパートメント
 1〜3号館  5号館  6号館  7〜10号館
 11、12、14号館  16号館

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コメント
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