「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          シーク教徒インド首相の訪日に思う

2010-10-25 06:58:34 | Weblog
インドのマンモハン・シン首相いま来日している。日印両国間ですでに基本的に合意を得ている経済連携協定(EPA)について菅総理はじめ閣僚との間に最終的なツメの打ち合わせをするのが来日の目的だが、僕はこの機会に改めて歴史的な日印の友好関係を回顧し友好の絆をいっそう深めるべきだと思う。

世界的にインド人といえば、髭をのばし長髪にターバンをまいた姿が目に浮かぶ。この容姿のインド人はシーク教徒であって、実際には全インド人の中で2300万人しかいないが、昔から特異な服装と勇敢な性格で知られている。マンモハン・シン首相は、まさにそのシーク教徒である。シーク教徒は名前に男は「シン」(ライオン)女性は「カウル」(王女)を名乗る。

インド独立にさいし、二人のシーク教徒が日本軍に協力して活躍した。一人は戦前から藤原岩市少佐率いるF機関と連絡をとり、マレー・シンガポール作戦を成功に導いたINF(インド独立連盟)のプリタム・シン書記長でもう一人は、戦争緒戦で日本軍に捕虜になった英印軍を一つにまとめてINA(インド国民軍)を創設して初代の司令官になったモハン・シンである。不幸にもプリタム・シンは昭和17年3月、東京で開催されたインド独立会議に招かれ来日のさい、乗っていた飛行機が焼岳に衝突不慮の死を遂げた。一方のモハン・シンは戦争の途中、日本の参謀本部と意見があわず逮捕され、流刑されているが、彼の協力がなければ日本の緒戦の勝利はなかった。

二人だけではない。インド独立にさいして日本が協力した独立の志士にはチャンドラ・ボース、ビハリ・ボース氏もいる。チャンドラ・ボースもインドの独立を待つたず台湾の松山飛行場で、これまた不慮の死を遂げている。先人たちの友好の心を大切にしたいものである。