”忘却とは忘れ去ることなり”とは、戦後すぐまだ空襲による焼け跡が残っていた時代、NHKラジオが放送した人気ドラマ「君の名」の冒頭のセリフだが、74年前の東京大空襲を経験した僕らにとって「3月10日」は、忘れに忘れられない日である。調べてみたら、僕は2006年、このブログを始めているが、毎年のように3月10日には東京大空襲の体験を書いている。
当時、僕は中学2年生だった。東京の五反田に住んでおり、直接被害に会わなかったが、下町方面に上がる業火を一晩中、まんじりともせず強い風の中で眺めていた。この日の空襲にはB-29爆撃機329機が襲来、繰り返しの爆撃で、なんと非戦闘員10万人以上が犠牲になった。東京の三分の一が一夜にして焼失してしまった。
東京では平成2年、石原慎太郎知事時代、3月10日を「東京都平和の日」に制定、戦争の惨禍を忘れず、平和を祈念して記念式典を開催、犠牲者に対して1分間の黙祷を捧げている。今年で19回目だが、東日本大震災の後、この時期、マスコミの関心が「3月11日」に移りがちな気がする。戦後生まれが国民の2割を切り、大空襲の体験者となるとほんの少数派になってきた。今日10日午後2時からの記念式典に合わせ、1分間の黙祷を忘れずにしよう。
これから先もずっとそうなのでしょうね。
日本で戦争の話は完全なタブー視されてますし、話題になるのは韓国のねつ造した戦争の話です。
ありえませんね。
3月10日は東京大空襲前は、日露戦争で奉天の戦いに勝利した陸軍記念日でした。今はだれも記憶していません。歴史とはそんなものですね。一夜にして10万人の命が奪われました。広島、長崎と同じように語り継ぐべき日だと思います。自然災害とは違います。語り部はいるのでしょうか。
東京裁判では、
広島・長崎の原爆投下と同じく、東京空襲に対して、人類の平和への罪などと、遡及法を捏造する必要はなく、当時存在していた戦時国際法によれば、明白な、非戦闘員の大量虐殺であった。
日本から、国連の記憶遺産に登録の申請をしては、どうだろうか?
一夜にして10万人になった。自然災害ではない。しかも非戦闘の一般木造家屋の大量焼失を狙った焼夷弾による空爆である。被災地の東京だけでなく、全国的に、この日を記憶する記念日にすべきである。大地震の発生した時間に合わせての黙祷とは意味が違います。その意識の欠如から、空襲を行った敵の隊長に勲章を贈ったりするのでは。やがて、陸軍記念日と同じように忘れられてくるのではと心配します。
朝日新聞は東京大空襲を当初、「東京大焼殺」と報じていました。東京大空襲という呼び方では、まるで台風か何かの自然災害のように聞こえます。アメリカによる国際法無視の悪魔の如き所業である戦争犯罪を言い表す言葉として、朝日が当初報じていた「東京大焼殺」という呼び方が相応しいのではないでしょうか。
亡父の日記によると、昭和19年11月1日のB29の東京空襲は1機です。本格化する前の偵察飛行ったのですね。大晦日には下谷の伯父の家が全焼しています。亡父は几帳面に警戒警報、空襲警報の発令、解除の時間まで記述していますが、東部軍管区(東京)の情報だけで、他地区の情報はわかりません。新聞でも報道が詳報はなかった気がします。東京でも自分の住んでいる地域の被害だけの情報しかわかりませんでした。
たしかに非戦闘員まえ巻き込んだ「大虐殺」でした。