覆面プロレスラーとして戦後のプロレス界に君臨したザ.デストロイヤー(リチャード.ベイヤー氏)が亡くなった。なんと僕と同じ88歳、もっと高齢だと思っていただけに驚きだ。デストロイヤーが昭和38年(1963年)5月、空手チョップの力道山と世界選手権をかけて戦った試合はまだ覚えている。試合は引き合いに終わったが、テレビの視聴率は64%という高視聴率であった。
戦後昭和20年代後半から30年代にかけてのプロレスブームは異常だった。テレビの本放送の始まった28年頃から、プロレスは力道山人気もあって、都会の街頭テレビは大群衆で埋まった。そのころ、僕は力道山を取材している。29年と思うが帝国ホテルに泊まっていた外人レスラーが強盗事件を起こし、そのレスラーが力道山と試合をしたというので取材した。僕は力道山は荒くれ男と思っていたが、意外と小男(176cm)で、言葉使いが丁寧だったのを覚えている。
デストロイヤーは覆面をかぶり,容貌から悪役だったが、得意技とする四の字固めが子供たちの間で人気があった。僕も子供とレスリング遊びをして四の字固めの真似をしたりした。力道山が急死した後、ジャイアンツ馬場とも戦っている。さらにプロレスラーを引退した後もテレビの芸能番組にも出演しており、2年前には政府から国際的な評価を得た外国人に与えられる旭日双光章まで授与されている。戦後の娯楽の少なかった時代に茶の間を楽しませた人物、その価値はあろう。合掌。
タイムリーで見ていたのか、何かの再放送で見たのかはわかりませんが、当時は誰もが知っていたと思います。私も幼稚園くらいだったのか、もっと幼かったのか、、、でも知っています。
20年くらい前に麻布十番の喫茶店で見かけました。
覆面をしていたので分かりました。
日本に住んでいたのかな?と思ったり。