「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        縁日から消えた海ほうずきとブリキの樟脳舟

2012-09-16 15:46:39 | Weblog
9月の第3土曜と日曜は。、わが町の秋祭りだ。朝から笛太鼓は聞こえてこないが、いくつになっても祭りは心が浮き立つものだ。昔の村社の名残が残る神社に詣でた。鳥居から本殿までの100㍍ほどの参道の両側には縁日の露店がいっぱい。お小遣いを手にした子供たちが昔ながらに金魚掬いに興じていた。ハッカパイプの店もあったし、お面を売っている店もあった。

僕の記憶にある子供の時の、秋祭りは昭和10年代前半、戦争が激化するまでの数年間だが、当時住んでいた五反田駅から氏神の雉の宮に向かって坂を登る都電の両側に露店がぎっしりと並んでにぎやかであった。10月3日がお祭りだったので、秋の季節感があったが、今年は残暑が厳しく秋祭りというより夏祭りだ。

縁日の露店も様変わりした。戦前の秋祭りというと”海ほうずき”の店が目に浮かぶ。赤、黄色など色とりどりの海ほうずきが店頭で売られ、女の子たちが口にふくんで鳴らしていた。僕ら少年にとっては、戦争という時代を反映してか、紙火薬のピストルとかキビ鉄砲、木刀、ゴム製の刀が魅力的だった。中でも樟脳で走るブリキ製のポンポン船に人気があった。

焼きそばは昔もあったようだが、今のようなお好み焼きは記憶にない。もちろん韓国のちじみやトルコのケバブなどなかった。カルメラ焼きや金太郎飴が記憶にある。なぜか戦前はひよこを売っている店が多かった。射的や弓矢など子供の射幸心を誘う店も昔は多かった。いずれにせよお祭りの縁日は、人生の想い出づくりに役立っている。

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1 コメント

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行政管理 (chobimame)
2012-09-17 16:23:47
縁日も時代を反映するのですね。
私が子供の頃に行ったお祭りには、見世物小屋やお化け屋敷がありました。
見世物小屋に掲げられた牛女(顔が人間で体が牛)や蛇女や人間ポンプが恐ろしいやら、でも見てみたい・・・なんともいえない雰囲気が漂っていたものです。
いつしかそんなものもなくなりました。
最近の縁日は、昔のようにヤシが取り仕切るのではなく、行政が管理しているのだそうですね。
なのでヤシの出す店にも制限があるとか。
あとは、ヤシを一切入れずに市民が露店を出したりと祭りもクリーン化してるそうです。
縁日は、あの限られた時間の妙な空間が魅力でもあるのですが・・・。
縁日の背景は昔とは様変わりしてるのかもしれません。
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